〔初作品 第7話〕一日の始まりと世界の終わりを一杯の珈琲と共に

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 私が抱っこしたのはシャロちゃんで間違いなかったようです。何故なら連絡から五分もせずに到着した山田さんがその名前で呼んだからです。
 ああ、シャロちゃんと駆け寄る姿は派手な出で立ちも相まって映画やドラマでよく見る感動の再会のシーンのようでした。対するシャロちゃんは彼女を無言で見つめてジッとしているのみでしたが。
「ずっと大人しくしてましたよ、賢い子ですね」
「自慢の子ですから。ほら、帰るわよシャロちゃん」
 山田さんが私の前で腕を広げると私の元から飛び移り、今度はご主人の腕の中で丸くなりました。触り心地の良い感覚が離れてしまうのは寂しいですが、人間と猫の愛情程尊いものはありません。なんと甘美な光景でしょう。
「とにかくありがとう。二人にはなんとお礼をしたらいいか」
「お礼は神尾にして下さい。見つけたのも捕まえたのも全部この子ですよ」
「いえそんなこと。あれ、意外とそうかも」
 それでも山田さんは私たち二人に深々とお辞儀をしました。最初こそ慇懃無礼な印象を受ける人でしたが、ボスがいい人だと言った理由が少し分かった気がしました。
「ならせめてものお礼として後でお店に行くわね。今すぐでもいいけど暑いし動き回って疲れちゃったわ。それじゃあ」
 そう言いながらも赤のガウンコートを身につけたまま、彼女は身を翻しました。猫を丁寧な手つきで撫でながら公園を後にする姿に気品の良さを感じさせました。
「よし、俺たちも戻ろう」
「そうですね…あの、これどうしましょう」
  私は猫用おやつを手に握ったままだったのです。
「ああ、なんか噛んだ跡がめっちゃついてるな…しかし本当なんだな、見ただけで寄ってくるって」
「ええ、でも実は結構薄味なんですよ」
 ボスが驚いて私とおやつとを交互に見ました。「お前まさか」
「まぁ、興味本位で」
 勿論それは嘘です。ネットで見ただけです。
 周りを見渡すと、ベンチの下で寝そべっている野良猫を見つけました。もしかすると昨日見たもう一匹の子かもしれません。シャロちゃんが連れ去られたからか寂しそうな表情を浮かべておりました。お詫びにとその子に残りのおやつをあげ、私たちは公園を後にしました。

 『Rコール』に戻るとボスが即座に冷房と音楽をかけました。まるで冷風がジャズのピアノの音色を乗せて部屋中を包むような、優しく心地の良い感じがします。それもあってか席に着いた瞬間どっと疲れがやってきました。
「あー、暑かったですね」私はカウンターに突っ伏しながら言いました。「このまま眠っちゃいそうです」
「あぁ、午後から仕事だというのにお疲れ様」
「あ、そうでした。そうでした…」
 私は掛け時計の方を見やり、そして十二時十分を指した針を見て身体が条件反射を起こしました。つまりお腹が鳴ったのです。 
「おっと、十二時の鐘が鳴ったな。先に飯にするか」
 私は赤くなった顔を縦に振りました。

 まかないのカレーを美味しく頂いた後、私たちはのんびりと店番をしました。この日は一時間に一人という平日の昼間にしては悪くないペースの客入りで、山田さんの来店は夕方の六時になる頃でした。
「ごめんなさい、遅くなっちゃったわね」
 彼女は今朝とは打って変わって晴れやかな表情でカウンター席へとやってきて、カフェラテを注文しました。
「シャロちゃんを病院で診てもらったり洗ったりしてたのよ」
「はい、ええと、こちらカフェラテになります」
 私は我ながらぎこちない動作でコースターとグラスをテーブルへ置きました。
「猫ちゃん、どこか悪かったのですか?」私の代わりにボスが聞き返しました。
「いいえ、外に出たのだから虫や病気を持ってないか診てもらっただけよ」
「随分と過保護なもんですね」
「ボス、ペットは過保護なくらいが丁度良いんですよ」
 ははあ、と感心するボスに私が反論をしました。
「あら、神尾ちゃんは分かってるのね」
 私はえへへと笑って頷き、山田さんはカフェラテを美味しそうに飲みました。
 その後私は山田さんの隣に座って、お互いの愛猫自慢談義を繰り広げ、スマホに入っている秘蔵の写真を見せ合いながら尻尾が可愛いとか寝てるときの仕草が可愛いとかそんな他愛もない事を話し合いました。その間ボスは静かに私たちを見守っているだけで、蚊帳の外は可哀想だと思い彼にも秘蔵写真を見せることにしました。
「この丸っこい顔したのがそうか」
「はい、まだ子猫だった頃の写真なんですよ。可愛くないですか?」
「なんだか意地悪そうな顔してるじゃないか」
 あれ、そうかな、と思い私はもう一度凝視し、そして気づきました。
「それ隣に写ってる人のこと言ってます?」
「そうだな」
「もう、それ私です。十歳の時の私」
 猫の方を見て下さいよ、と溜め息をついた私を見て山田さんが笑いました。
「あなたたち相性ばっちりねぇ」
「そうですか?」ボスと私は同じ言葉を返しました。

 その後山田さんは夕飯も済ませたいと言ってミートソーススパゲティを注文して下さいました。時刻は午後七時前、確かにお腹が空く時間です。
「いいな、美味しそうだな」
 ボスが盛り付けたスパゲティを運びながらそう呟きました。帰ったら何食べようかしら、家に何かあったかな。
 配膳の後もそんなことを考えながら隣の椅子に座っている山田さんがフォークにパスタを巻き付け口に運ぶ姿をぼんやり眺めていると彼女に白い目を向けられました。
「御嶋さんこの子どうしたの」
「あー、電池切れみたいです」とボスが言いました。「お腹が空くとこうなるんです」
「あら大変」山田さんは口元を押さえました。
「ほら神尾、もう少しだから我慢しなさい」 
「今日、冷蔵庫、空」
 おい、しっかりしろ、というボスの呼び声も靄のかかったような頭では言葉の意味を咀嚼出来ませんでした。意識はお腹がキュルキュルとへこむ感覚だけに傾いていました。ですが、
「神尾ちゃん、好きなもの頼んでいいわよ」
 山田さんがそう言って差し出したのは我が店のメニュー表でした。写真の中の食べ物はいつにも増して美味しそうです。
「山田さんそれは」ボスが言いました。
「いいのよ、元々お礼するつもりで来たんだから。この程度でお礼になるのか分からないけれど」
「なります。とてもなります」私はメニュー表を食い入るように見ながら言いました。
「御嶋さんも何か頼んで。業務中でも何か飲むくらい良いわよね?」
「はぁ、まぁ作るの僕なんですけど…」
「いいじゃない。奢りよ奢り」
「私もミートソーススパゲティでいいですか?」
 名誉のために言いますが、私の食い意地がこんなに張ってるのは一人暮らしによる飢餓が原因なのです。あくまで生きるための術なのです。「あ、あとプリンも」 

 パスタを噛みしめる度に頭の中の霧が晴れ鮮明になっていきます。まるで生き返るような感覚に私は感動を覚えました。生きることとはなんと素晴らしいのでしょう。パスタの真ん中でフォークをグルグルグルと回しながら食の美しさに浸っていると、ふと山田さんがこちらを見ていることに気づきました。
「ど、どうかしました?」
「美味しい?」
 口に物を入れながら話してはいけないので私は無言で頷きました。
「良い食べっぷりね」
 山田さんは微笑んでいました。そこで私は同じやりとりを何度もしたことを思い出しました。幼き日の両親に始まり親戚のおじさんおばあさん、小学校の先生や高校生の時には同級生。私の会食にはこの問答が頻繁に発生します。そしてそのことを山田さんに伝えました。
「すごい幸せそうに食べてるから、美味しいんだと分かってても聞きたくなっちゃうのよ」
 見てるこっちまで嬉しくなっちゃうわ、とも言って下さいました。美味しい物を食べたら幸せになるのは当然だと思うのですが。
「前向きな感情を表に出せるって良いことだと思うわ。人はそういう人に自然と寄っていくんじゃないかしら」
 私は首を傾げました。
「うーん、ありがとうございます?」
「いいえ、お礼を言うのはこっちの方よ、今日は本当にありがとう。それじゃあ私帰るわね」 いつの間にか山田さんの方の食器は空になっていました。彼女は厨房にいるボスを呼ぶとお会計を済ませて店を後にしました。
「お疲れ。今日は何だか長い一日だったな」
 ボスがプリンをくださりました。
「えへへ、いただきます。山田さんっていい人ですね」
「おや、マダムに餌付けされたな」
「餌付けだなんて。でも今どきマダムだなんて呼ばれ方が似合う人は珍しいですよね」
「それが面白くてな。彼女、下の名前がムツキらしいんだ」
「ヤマダムツキ…さん?」
 私は少し考えて、気づきました。
「なるほど、生まれついてのマダムなんですね」
 ボスはクククと笑って、彼女の奢りの珈琲を啜りました。そして彼が真剣にプリンを食べる私をジッと見つめていることに気がつきました。「ど、どうかしました?」
「美味いか?」
 私は破顔して頷きました。

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