2021/08/30 晴れ

霞んだ視界の先。文字列の向こう側。
見失った平穏。手のひらからすり抜けた日常。
書きたいことがきらきらとひらひらと塵のように目の前をふわふわと浮かんでいるのだけれど、いざ捕まえて書き上げたところで大事なところは満たされない。産んだのに誰も私を愛さない。あまりに愛されないので、産む、というか堕胎に近いのかもしれないような気がしてきた。
(投稿より1時間後の追記:私を愛さないのではなく、私自身が愛していないのかもしれない。それはとても悲しいことだ。暫く考えてみる)
砂漠のオアシス。ラクダの群れ。その長い舌で掬われてみたい。君を潤したら幸福の肌を撫でられるのだろうか。
愛する、を体現する方法。書物は私の身体を通り抜ける。取り残される。路地裏に、海辺のホテルに、深夜のカラオケボックスに、高速を走るワンボックスカーに、大学図書館の螺旋階段に。
枚方の遊園地でまわるプールに流されながら、男の話ばかりしていた日のことを唐突に思い出す。女4人で行って、前の2人は彼氏や片想いの相手の話で盛り上がり、後ろの私達は私達の身体に触れ去っていく男達の話をしていた。ぬるいプールの底を蹴り、弾みをつけ、浮き輪にしがみつき、右回りに、水に身を委ねたあの日。幸福でも不幸でもなく若い肌を日差しに晒し笑っていた。
ここ2ヶ月で観た映画が全て当たりでガッツポーズなのに、話せる人が少ない、というかほぼいない。感想文を書こうにも記憶能力が偏っているため詳細に良さが語れず苦手を理解する。筆を折る。どうしても、が勝ったら、ネットの海に身を投げる方法なんて幾らでもあるのだし、まぁ、気が向いたら、頑張るやもしれん。
あめんぼ あかいな あいうえお。
急に言いたくなったから言いながら書いた。続きはしらない。
今日は最後に最近1番気に入った戯曲の台詞を引用します。なんでこの戯曲を知ったのか、気になる人は「ワーニャ伯父さん 映画」で調べてみてよ。そして3時間のその長く美しい映画を観な。それでは。

ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長いはてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてそのときが来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。
アントン・チェーホフ(神西清訳)「ワーニャ伯父さん」:青空文庫