第6話 サブカル生まれサブカル育ち

サブカル生まれサブカル育ち

サブカルチャーとは、メインカルチャーと対比される概念であり、1960年代から70年代前半までは反体制的なカウンターカルチャーが主流だったが、70年代後半以降、形骸化・商業主義化し、サブカルチャーに変質していった。

そう。サブカルチャー即ち、
「サブカル」のなりたちである。

日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。
これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了して、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。
この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画やアニメ、ゲームなどのオタク文化以外にも、アイドル、ハードロック、ヘヴィメタル、パンクなどの音楽、芸能人、オカルト、鉄道などもサブカルチャーと見なされることがあった。
しかし、1980年代サブカルチャーに共通していえることは「マイナーな趣味」であったということである。




ここまで長々と説明したが、
要は逆張り(カウンターカルチャー)が生んだ悪しきとも言える文化だと捉えてる。

流行に乗れず、教室の陰でコソコソと
「俺はお前らとは違う」と、流行りに乗れずに必死に独自性を見出す奴らの文化さ。


そんな、サブカル生まれサブカル育ち、陰湿そうなやつは大体友達みたいな私が、サブカルから遠のいている気がしたから文を認めているのだが。




サブカルの聖地ともいえようヴィレッジバンガードに足を運んだ際。

あれ…全然わからん…これが今のサブカルか?

となってしまったのだ。

そもそもサブカルには明確な定義はないが、どうも主流、流行に沿ったものがやたら置いてあった気がする。


近年サブカル界で言われているのは、サブカルのメインカルチャー化が危惧されている。


少し前までは、気持ち悪がられていたようなアイドルを「推す」文化。

今では小学生にも、おじいちゃんおばあちゃんにも「推し」が存在しておかしくない時代だ。

一昔前、我々がサブカル全盛期を生きていた感覚としてはあり得ない話だ。

そもそも、カウンターカルチャーが、メインカルチャーに寝返ることは音楽シーンであっても
よくあることではあったし、
ファッションだって流行のループの中にあるのだから至って普通のことだからおかしいことではない。


当時のカウンターカルチャー(サブカル)が、メインカルチャー(流行)に追いついたのだ。

そう自分の中で理解して落とし込んだ。

(そもそも流行の対義語がサブカルだと思ってる時点でインキャ的発想なのだろうが。)





では、なぜ、私は疑問を、違和感を、感じたのだろうか。


それは間違いなく、自身が少しずつサブカルから離れ、メインカルチャーを追い始めているからであろうと思った。


大学も卒業した。社会人として仕事も始まった。

大人になるからといって、サブカルを辞めないといけないわけではない、ただ、

サブカルにぶつけていた、やり場のない心のモヤモヤや、愛してやまなかった気持ち、コンテンツが。

大人になるにつれて、確実に薄く、遠く行ってしまっている気がする。


「お前がまっすぐな幸せを手に入れていいと思ってんのか?」

「おいおいwお前のプライドはそんなもんかw」

なんて自問自答をするが、



元気もなく

「まぁ…いいんじゃないかな…今が幸せなら…笑」

みたいなつまらない返事を心の中でしてみる。


サブカルとの別れ即ち、大人になること…?


大袈裟に聞こえるかもしれないが、私自身にとっては大きな出来事であった。



別にお前はまだ痛いやつだし、こんなコラム、ブログを書いてる時点で、ただのサブカルにもなりきれてない野郎だと言われたらそこまでだが。


私自身、サブカルに覚えた違和感がとても大きく、喪失感や切なさを感じたので文字にしただけだ。



まぁ何を言いたいかと言えば。


今が楽しい。
サブカルでできた基盤があって今がある。

まだまだサブカルを愛している。
まだまだサブカルを愛している人を愛している。


それだけだ。

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