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デザインの寺子屋をやりたい。|日々思考雑記

今日は土曜日にしては珍しくイベントがなかったから、久々にぼーっと考えてたのだけれど、デザインを共に学び、考える寺子屋をずっとやってみたいと思っていた。
僕は、プロじゃないから教えるなんてことは、恐れ多くてできないのだけれど、一緒に考え、学び、アウトプットする場ならできる気がする。
別に、絵が描けなくて、センスがなくても、デザインをやったことがなくてもいい。これから一緒に学んでいきましょう的なノリでやりたい。
ちなみに中学3年生くらいからを対象に考えている。

大学の時の担任が、「誰もがデザインできるようになって、デザイナーの仕事がなくなるといいよね」的なことを言っていた。
つまり、デザインできて当たり前な世の中を作るということ。
当時は、いや仕事なくなったら困るわって思っていたし、いまいち意味がわからなかったけど、今は共感できる。
そういう意味では、無料で使えるデザインツール(CanvaやFigmaなど)が出てきて、広がっている気がする。
でも、ツールが使えるのとデザインできるのは違う。と思う。
ツールが使えなくてもいいデザイナーにはなりうる(デザイナーとして仕事はないかもだが)
その、芯の部分をみんなで探す旅に出たいのだ。

また、デザインは伝える手法の拡張にもなりうる。話せる言語が増える感覚に近い。
口下手な僕にとってこれは非常に助けになったし、もっと早くデザインに出会いたかったと思っていた。
中学校や高校からデザインを学ぶことができたなら。。
自分が得意になれることはいつで会えるか分からないし、教育の中にあるとも限らない。でも、自分が得意になれることがないと居場所になり得ない。
デザインが居場所になるかも知れない人たちにとって、触れる接点を増やしたいのだ。

別にアウトプットが上手じゃなくていい。
そこは近い将来完全自動化される。
自分なりに課題を見つけ、仮説を立て、解決に向けて実践する。
世の中で良いと言われているものを見に行く。
自分が良いと思うものを伝える。
そういう集団を作ってみたい。
それって寺子屋なのかな?

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