脱サラ奮闘記

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脱サラしてタピオカ屋を始めてから3ヶ月が経った。

「都会の喧騒から離れて田舎で暮らしたい」という思いから、開業場所にA県のS村という、人口が50人にも満たないような小さな村を選んだ事が失敗だった。

住人の大半が70代以上、最年少で60代という、タピオカ屋を利用する層からは大きくかけ離れた年齢層だった。
田舎の生活×タピオカ屋はとんでもなく相性が悪かったのだ。

そもそもタピオカには何にも思い入れがない。巷で流行っているから商材として選んだだけだ。
「インパクトが大事なんすよネw」と、胡散臭い起業コンサルにそそのかされ、店名を

"俗物は裏の泥水でも啜ってろ"

という、今流行の食パン屋を意識した斬新なものにした結果、「"俗物"ってのはひょっとして俺の事を言ってんのか?」と勘違いした村民達がクレームを言いに一日一回、ローテーションで来るようになってしまった。

最初は「すみません、そうじゃないんですよ...」と誠心誠意謝っていたが、あまりにもクレームが頻繁にあるので、店名説明→謝罪のプロセスを踏む事が面倒になり、今では「あー、タピオカサービスするんで。サーセン」と物で解決するようになった。

正直、驚くほどタピオカは売れない。
というか、クレーマーに渡す用のタピオカドリンクしかここ最近は作っていない。

そもそも、私はつぶつぶがなんかギュって集まっているのが本当に苦手で、タピオカは私の苦手ゾーンどストライクだった。
タピオカがこんな物体だとは恥ずかしながら、店をOPENするまで知らなかった。

毎日、つぶつぶしたフォルムを見て発狂しそうになりながら、タピオカドリンクを作っている。
正気を保つため、作るときは今までの人生で辛かったエピソードを思い出して気を紛らわす。

ーサラリーマン時代、会議室Cで上司から終業時間まで詰められた事。

ー脱サラのタイミングで妻子に逃げられた事。

ー起業にあたり闇金からお金を借りてしまい、返済が追いつかず、このままだと最終的にマグロ漁船に乗せられそうな事。

そんな、血の滲むような思いを込めて、ひとつひとつのタピオカドリンクを作っている。
ストレスで円形脱毛症にもなった。
多分、ここまで命を削ってタピオカドリンクを作っている人間は私以外居ないだろう。

知っているか?世に出ている大半のタピオカドリンクは、バイトの学生同士がヘラヘラしながら、「彼ピッピからLINEの返信なくてー、マジぴえん」等と偏差値2くらいの会話をしながら作った物だ。

当店のタピオカドリンクはそんな甘いモノとは違う。(ドリンクの甘さは3段階で選べるが)
苦しみ抜いた末で作り上げた"アート"だ。
客層だって、原宿や渋谷にいるような若者を相手にしているわけではない。
もっと高レベルな、意味不明なクレームをつけてくる強者を相手に商売している。というか、もはや商売ではない。

そんな事を考えていると、今日も村民がクレームを言いにやって来た。
「フヒヒ、サーセン...」とタピオカドリンクを渡す。
村民はゴミを見るような目でそれを受け取り、一口啜る。

「ペッ...こりゃ本当に泥水啜ってた方がマシだべな」

と、村民が吐き捨てたタピオカの一粒が、道端で交尾しているカエルに当たった。

その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
そこから先は...何も覚えていない。
気がつくと、返り血を浴び、血文字で「みちょぱ」とフェイスペイントを施した状態で、私はパトカーの後部座席で揺られていた。

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