「オールスター感謝祭」に求めていたもの

 半年に1度のお楽しみが1年ぶりに見られるということで、喜んでTVをつけて視聴したのだが横になって見ていたら23時過ぎに寝落ちしてしまった。結局優勝したの誰でした?今回?

 世界中で今も猛威を振るっている、かの病の感染対策ということでスタジオの出演者も少なく、この番組は春・秋からの新ドラマの宣伝という面もあった関係でそのドラマのスタッフさん達が応援に詰めかけていてワイワイしていたのだが、それも無くなって従来よりスタジオの中の賑わいというのは見られなかった。
あれだけ人が少ないとやはり5時間半の長丁場を単純にクイズと企画で持たせるのも大変そうだなあという風に思えたし、私がオールスター感謝祭の何を・どこを楽しんでいたのかが改めて浮き彫りになったような気がしたし、その楽しかったところが味わえるのはまだ先の話になるか……もしかしたら、もう『私の好きなオールスター感謝祭』は戻って来ないかもしれない、というところまで覚悟しないといけない、そう感じたのだった。その辺の話を書き留めておこうと思う。


 オールスター感謝祭は子供の頃からずっと見ていた。200人もの芸能人が一堂に会してのクイズ大会というのは本当に壮観で、お笑い芸人から俳優から皆が同じ立場でクイズと企画に挑み、赤坂の夜を駆ける姿は他のテレビ番組では中々お目にかかれない規模のキラキラしたエンタメだったのだ。

 そのキラキラも勿論楽しかったのだが、私が愛するオールスター感謝祭の良さはそこだけではない。
200人という人が集まる場だとカメラや司会者も全員の動きを常時網羅はしきれないし、解答席に立つ出演者たちからしても、自分に200分の1のスポットがあたる時間というのはたかが知れている。クイズを1問出す度にその問題を答えたのが一番遅かった者を脱落させる「予選落ち」システムのおかげで目立つチャンスは従来のクイズ系番組よりはあったものの、有体に言って『5時間半フルに真面目にやるんじゃ長くて暇』ではあった。
その『暇』で緩んだり緩まないようにしようという出演者の、横に居る人との雑談しているだとか、「えー何これわかんない!」といったワイワイした感じだとかのどこか一般人と差の無いような、肩の力が抜けている状態での他者とのやりとりが映る瞬間、というのがなんだかたまらなく好きだった。

 その『一般人と差の無いようなやりとり』を最も見られる最高の時間が、ミニマラソン後の休憩タイムだった。
色んなジャンルの有名料理店のご馳走が並ぶのを芸能人の人達がめいめい取りに行き、美味しいご飯をここぞとばかりに楽しむ人も居る横で「あっどうもどうも」みたいな態度で会釈して話し込む様子があちこちで展開されているあの時間の面白さといったらなかったんである。
「あっ、あの人とあの人ってこういう場で話す仲なんだ、へぇ~」みたいな、それがわかったところで何にもならないけどとにかくへぇ~と言いたくなるあの感じ。
特に俳優さん・女優さんというのは我々視聴者がテレビで見ている中では、宣伝や必要なトーク以外で口を開く姿なんてお目にかかれるものではなかったんである。
今でこそ各種SNSやブログで日常のテレビ番組で出て来ないような俳優さんの暮らしぶりを見られる機会は増えたが、それともまたちょっと違う、役を纏うのでもなく芸能人としての取り繕いも薄くなった、いわゆる「素」に近いような顔でご飯片手に談笑する様子がカメラ越しにブラウン管テレビの前で垣間見れたあの瞬間に、価値というものを見出していたのだ。

 だから、数年前にこのご飯タイムが『ディナーショー』という形に銘打って変わった際にはとても落胆した。ショーという体裁にしてしまった以上皆がその場から動かずに見ていなくてはならないし、テーブルに用意されたご飯は普段のテレビ収録の合間にいただくのと大差が無さそうな一口サイズのサンドイッチがたよりなく乗っかっていて、「これで5時間半の収録をやっていけってさすがに出演者の人らが可哀想でやだ…ちゃんとお腹いっぱい食べないともたないんじゃないかね…?」と不満に思って視聴していたのを覚えている。
その次の回か、もう1個次の回だったかでこの形式は無くなったが、その際女優・泉ピン子氏からのクレームもあり廃されたと言われたくだりがあった。あの時ほど、『大御所芸能人』という存在をありがたいものだと思ったことはない。ありがとうピン子おばあちゃん。


 オールスター感謝祭はクイズを『予選として何問か出題→最終問題で一番速かった正答者がチャンピオン(賞金獲得)→チャンピオンが挑めるボーナスクイズ(チャンピオンが正解したらさらに賞金獲得、不正解ならそれ以外の正解者で賞金山分け)』という流れを「ピリオド」という塊単位で区切っての進行が基本となっていた。
この形式で個人的に見所たっぷりでアツいと思っていたのが、実は『休憩タイム後のピリオド』だったのである。
 何故かというと、先ほど言ったように休憩タイムのご飯はすごく豪勢だ。寿司にラーメンに中華にいいお肉にと、普段のロケ弁よりもう2段くらい美味しいものなんじゃないかなあ、という風に見えるご馳走は全種類制覇するには、実は番組内の休憩タイムで真面目に行って帰って来るんではちょっと足りない。
だから、ここでちょっと出演者各人の思惑が交差する、一番ヒトの面白いところが見られるピリオドだったりしたのだ。ある者は1ピリオド捨ててまで晩御飯を楽しみ、ある者はそういう人らがいない分競争相手が少なくなって賞金獲得できるチャンスとみて意欲的にクイズを頑張る、そんな芸能人という華やかなヒトも私達一般人と変わんないところってあるんだなぁ、と笑える、イイ感じの生々しさがオールスター感謝祭の個人的な推しポイントだったりもした。


 世界は、病によってあらゆるものの転換を余儀なくされた。それは華やかで絢爛なTVショーにおいても避けられなかったことで、今回のオールスター感謝祭もその例外ではなかった。感染対策という制限の中でよく頑張っていたと思う。
それでもやっぱりちょっと、かつての栄華を覚えている身からしたら物足りなかったしさみしいものだったなぁという想いは拭いきれなかった。
次の半年後、1年後の感謝祭がどうなっているか。ずっと楽しみにしてきたテレビ番組に寄せる楽しみもまた、変えていった方がいいのだろう。
時代の転換を迫られるのは、もう皆他人事ではないのだ。


とりあえず、今回もトランプマン氏がマラソンを走りに来ていたので最終的には良かったです。今後も引き続きお元気でいてくれ。

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