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Berliners

久しぶりにnoteを書きたくなった。遠藤渓太の入団で、なにかと話題に事欠かない現在のウニオンベルリン。やはりここはレンツ激推しとしてクリストファーレンツという男の事を書かねばなるまい......ということで。

レンツとフィリップ

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1994年、ベルリンに生まれる。幼い頃の彼のアイドルは元チェコ代表 パネル・ネドヴェド。髪型もそっくり。彼と同じ左サイドハーフとして2008年までテニスボルシアベルリンに所属し、そこから2012年までヘルタベルリンユースでプレーすることとなる。そんな中で知己とも言える友を得た。元ドルトムントのマクシミリアン・フィリップである。

レンツの優しさ

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フィリップとレンツは幼少の頃から同じ通りの家に住み、同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中等学校に通っていた。まるで家族や兄弟のように接していたという。それ故、フィリップがベルリンを離れる際には2人ともひどく辛かったと述べている。

レンツ:フィリップとの友情は、当時抱いていたプロフットボール選手になるという夢よりも遥かに大切だった。僕にとっては家族や友人はいつも最も重要な事なんだ。彼はただの友達以上の親友であり、いつも一緒だった。僕は兄弟をもたないが、彼は本当の兄弟にも勝るようだったよ。
フィリップ:僕はレンツを兄弟と呼んでいる。とても大きな安心感だったよ。僕はひどくシャイだった。人見知りだったんだ。誰も知らないんだ。新しいチームに入ることが怖かったんだ。彼はその事を理解してくれ、助けになってくれたんだ。

つい最近、遠藤にオススメの日本食店を教えたというエピソードもあったように、レンツの優しさ、甲斐性はわずか14歳で既に培われていたようだ。フットボーラー以前に人格者として尊敬の念を払わざるを得ない。

その後のキャリア

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その後フィリップはコットブス、フライブルクを経てドルトムントへ。マルコロイスの再来なんて言われながらも昨夏にロシアへと移籍してしまったが、モスクワの地でそれなりの活躍を見せている。一方レンツはメンヘングラードバッハユースからウニオンへ。17/18シーズンはホルシュタイン・キールにレンタルに出されるも18/19シーズンウニオンに復帰、一部昇格へ貢献した。19/20はレギュラーとして活躍、残留を成し遂げる要となる躍動を見せつけた。

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現在も二人の仲は続いている。「英語話せたっけ?w」とフィリップがおちょくると、「ロシア語しか話せないんじゃ無かった?w」とやり返すレンツ。ベルリンとモスクワ。約2000kmも離れてはいるが、彼らの友情は絶えることは決してないだろう。

"アウフヘーベン"を繰り返し、大戦や冷戦から復興して来たパワフルな街で生まれ、育った二人。ベルリナーと称される典型的な「ベルリン人」の二人はかくも強き"結束"を持っているのだ。

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