池袋HUB、よくわからない甘い酒

もうあれは23時を回っていて、普通ならば飲み会が終了するような時間だった。平日、どうしても次の日は仕事だ。だからこそ彼女から2軒目の誘いがあった時には飛び上がるほど嬉しかった。あぁ、まだもう少しこの人と一緒にいられるんだなと思った。人もそんなにいない池袋の街角、とにかくこんな時間から飲める場所を探して(24時間やっている場所はあるけれど、そういうことではきっとない)このなんでもないけれど妙に都会な街をさまよった。なんかもう、一杯だけでも飲めればいいんですけどね、そう言われた時、僕に残された時間はあと一杯なのだと悟った。それでいい。飲み屋も何も無くなった、オフィス街なのかなんなのかよくわからない街を彷徨っていた頃、彼女の手が不意に上がった。「HUBの心当たりがある」なるほど、それならそこにしましょうということで、彼女にそのままついて行った。何しろ体調はそんなに良くない、自分から誘っておいた店の瓶ビールを残し、豚バラの串を2本残留させるくらいである。美味しいのに。本当に美味しいので、いつかリベンジしたい。

 さて、そんなこんなで彼女についていくと、よくある飲食店系のビルの2階にHUBはあった。イングリッシュパブ、と謳われたそこは、とうにフードのラストオーダーは終わっていて、もう出ていくだけの客を見送る機関と化していた。ていのいい酒をオーダーした2人はなんとなく、店のTVでオンエアされていたF1なんかを見ながら、随分前にエンジン音が変わったこととか、モナコに行ってみたいとか、そういう話をした。彼女と会うのは確か2度目で、その時は僕のぐでんぐでんさも手伝って朝帰りしたのだけれど、「こいつ何も仕掛けてこないな」と思ったらしい。下心が全くなかったといえばこれまた嘘にはなるが、例の如く金がなかったし何よりそんなものを仕掛けて台無しにしてしまうにはあまりに勿体無いくらいに楽しかった。だから、「下心とか、そういうのはなかったです」と言った。ほんとうは、なかったといえば嘘になる。

 さて、HUBといえばキャッシュアンドゴーなので、カウンターで待っているとすぐさま酒が来た。なんの気無しに選んだアイスティー入りの酒だったが、席に戻ると彼女にはそれがロングアイランドに見えたらしい。美しいね。残念ながらレギュラークラス520円で出てくる酒は多分ロングアイランドなんかではなく、せっかくなので彼女とロングアイランドアイスティーをいつかちゃんと飲みたいと思った。味はほんとに、なんなんだろうこれは、甘い、酒?紅茶フレーバーに加糖したような、これ一杯では酔わないけれど時間をかけて酔っ払うための酒だと思った。あと一杯しか時間が残されていない人間が飲むにはあまりにも綺麗すぎる酒だったけれど、それもかえって良かったかもしれない。だいいち、ベロンベロンに酔っ払ってもうどうにでもしてください、などとでもいうような酒ではないのだから、きっとあれで良かったのだと思う。綺麗な感じを保つための酒。

 HUBがもう閉店だというので、最後の客になりかけながら店を出た。まだギリギリあるかなと思っていた終電には間に合わなさそうだ。別に歩いても帰れるし、それはそれでいいのだがなんだか負けたような気がした。ところが、終電がまだ20分ほどあった相手方が「歩かせてしまってすみません」と千円札を差し出してきた。何かの魔法にかかったようで、別に普通にあることなのかもしれないが、僕にはとても特異な出来事のように思えた。いやぁ、こういうのだよこういうの大好きだよ。別に千円が欲しかったとか、終電に間に合いたかったとかでは全くない。ただなんか、酒を飲んで良かったな、この人とまた飲みたいなと思える酒だった。次は終電を守ろうか、逃そうか、やっぱり守ったほうがいいよな。そう思いながら池袋からの数十分の道筋を酔い覚まししながら歩いた。意外と近いと思えたのは、多分彼女のおかげだろうか。

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