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はじめまして。穎才学院講師のOFです。今回は、附属高校から国立大学(文系)へ進学した自身の実体験を元に、附属高校からの大学受験に潜む内実を紹介します!

以下、私の基本情報です。

  • 高校二年生の三学期に受験を決めて、大手学習塾に通い始める。

  • 校内での成績は真ん中くらい。

  • 受験したのは国立大学前期のみ。

1. 「先生」が鍵を握る

私が通っていた学校は、毎年85%以上がそのまま内部進学をする大学附属高校で、受験という選択肢を選ぶ人はかなり少なかった印象でした。実際に私の代もものすごく少なくて、学年全体175人のうち国立大学を受験した人は驚異の10人未満!

まあこんな附属高校な訳ですから、授業カリキュラムが大学受験向けな訳ないですよね……。通常授業で学ぶことそれ自体は申し分ありませんでした。しかし、受験に必要な知識以外にも、豆知識や出来事の背景、関連する事柄などを、幅広く講義の中に織り交ぜていた印象です。後々にも役立つような考え方を学ばせようとした結果でしょう。授業の内容自体はかなり面白くためになるのですが、受験の側面から考えると圧倒的にオーバーワークでした。
理系クラスに在籍し、私と同じように受験生活を送っていた友達は、「化学の進度が遅すぎて、ほとんど自分で勉強した」と言っていました。進度が遅い、というのは附属高校では特にあるあるなのかもしれませんね。スピードよりも、考えさせることを重要視しているのですから、進度が遅くなってしまうのも頷けます。

そういう時のオススメは、学校の先生を上手に使うことです。基本的に学校の先生の方が塾の先生よりも距離が近いですし、先取りをする上でのヒントを出してくれるかもしれないですしね。私自身も、世界史の先取りをするにあたって学校の先生にはかなりお世話になりました。塾の先生は、何百人単位の受験生を見る必要がありますよね。そのため、1人の受験生に使える時間はどうしても限られてしまいます。それに比べて附属高校は受験生が少ない分、どの先生もかなり深いレベルで一人一人の問題に向き合ってくれていたような気がします。

私の高校に限った話ですが、高校のカリキュラムそのものは受験向けではないものの、受験生へのサポート自体はかなり手厚かったと思います。例えば私の高校では、受験に必要になるであろう科目の特別講義が週一で設定されていて、内容もかなり豊富でした。正直、塾に行くよりもコスパのいい講義がかなりあったと思います。ですので、学校が提供してくれるコンテンツも積極的に利用していました。附属高校だからといって、頭ごなしに否定してむやみやたらに塾に走るのではなく、所属高校で利用できるものはあるかどうか、しっかりと見極めてから選択をした方がいいと思います。私の場合、数学などの理系科目は学校の講義で十分だと判断し、塾の授業は、高校で圧倒的に進度が遅かった古典と、2次試験でも使う世界史・現代文のみを取っていました。

2. 内部進学は諸刃の剣だよという話

附属高校からの受験で1番嬉しいのは、大学の内部進学枠を保持したまま受験に臨めることだと思います。

私の在籍した高校では、国立大学や公立大学、また一部の私立大学は、枠をキープしたまま受験をすることが可能でした。既に大学生になれることが決定しているという事実は、精神安定剤として、受験生活を送る上で廃れていく心を度々癒してくれます。

それだけではありません。一般的な受験生は、第1志望の他に第2志望や第3志望があり、それぞれの大学の過去問対策をする必要があります。また、共通テスト後も私立の入試日が点在しており、本命の大学に集中して勉強できる期間が比較的短いです。

しかし、私のように、附属生で国公立のみを受験する場合、過去問の対策もたった一校ですむ上に、共通テストから国立大学入試日までの約1ヶ月間、まとまった勉強時間が取れるのです。一般的な受験生で、国立大学1本という方も中にはいると思いますが、彼らは共通テスト後1ヶ月の間、脳裏に「浪人」という2文字がチラついたまま受験勉強をしなければならないのです。

ただこの精神安定剤は、受験本番が近づくにつれて毒へと化していきます。

大学側が課す入学前課題の存在はご存知でしょうか。進学先の学部ごとに、「うちの学部にくるのならこれくらいはできるようになってね」といった要領で、大学の学びを先取りするカリキュラムのことです。私の高校では、三学期から進学する学部ごとにクラス分けをして、大学の授業、およびその課題に取り組んでいました。この入学前課題は、その学部に進学する「枠」を保持している者に課されるため、私たち受験生ももちろん例外ではありませんでした。

三学期からの日常的な授業は、大学側の優しさで免除されていたものの、出さなければならない課題や出なければいけない授業は少なからずありました(進学する学部によって異なる)。例えば、12月の暮れにエントリーシート(進学する学部への熱意とやる気を見せるもの)を書くために校舎で1日費やしたり、共通テスト3日前に学校に出向いて、全く関係のない法学の授業を受けたりもしました。さらに共通テストが終わってから、その2日後に締切のレポートを必死で書いたり……。他にも、特定の学部への進学を希望する場合は、一・二学期を通して、週に一度の講義に出席しなければならないなど、やるべきことがうじゃうじゃとありました。

推薦枠を保持したままの受験は、それなりの代償も必要だよ、という話です。附属高校からの受験を考えている方は、三学期にどのようなことが待ち受けているのかを早めに知っておいて損は無いと思います。今すぐにでも先生に聞いてみましょう。もちろん、推薦枠を捨てての受験であれば、このような面倒くさいことは起こらないと思います。その場合は、ほぼ一般的な受験生と同じ受験期を送れる代わりに、確実に大学生になれるという幸せな保証はなくなりますが……。

3. 「附属生」という色眼鏡を通して見る受験

附属生の受験期は、一般的な受験生からするとかなり異質なものに感じられるかもしれません。私が思うに、附属生が推薦枠を保持したまま受験をする場合、それが100%の受験になることは決してなく、どうしても70%くらいの受験になってしまうと思います。それは純粋に、取り組む量であったり、精神的な面であったり、それらが一般的な受験生と同じレベルに到達することはほぼありえないのです。

では、附属生の目に「受験」はどのように写っているのでしょうか。

私が思うに、「受験」を最も客観的に見ることができる受験生はこの世で附属校生だけなのではないかと思います。附属生は、自分のことでいっぱいいっぱいな受験生達の中で、唯一同じ立場にいながら冷静に周りを見ることが出来る存在なのです。例えるのなら、受験を終えたチューターのような面持ちで、受験生の中に交じわれるのです。
塾の開館前から列を成して並び、朝から晩まで当たり前のように勉強をする受験生を目の当たりにして、「受験」というものがいかに重く、いかにその「受験」と身一つで向き合う一般受験生がすごいのかが分かります。それは、遊ぶのに忙しい友達・受験の世界が耐えられなくなって離脱していく同級生を見ているからこそです。おそらく、附属生の目に写る受験は、現役の一般生が捉えているものよりも何倍も大きく何倍も重いです。日々の環境がそうさせてしまうのです。だからこそ、自らの意思でそこに足を踏み入れる選択をすることは、今後の人生においても大きな意味を持つと思います。

附属高校に通うみなさんへ。「受験」という選択肢が当たり前では無いからこそ、このような「当たり前」な景色や環境に身を置くことで、得られるものや考え方が、私たちにはごまんとあります。ちょっとでも興味のある方、このままこの大学に進んでしまってもいいのかともやもやしている方がいましたら、ぜひ受験を検討してみて下さい。多くの人が挫折を経験する大きな壁を、私たちはほぼリスクなしで挑めるのですから!


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