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やっぱ見た目って大事

人の話じゃないよ。  





今のPCを買ったときから使っていたPCケースがそろそろボロになってきたので、新しい物に買い換えようと思って、amazonを検索していた。

以前のPCケースは収納スペースが大きくて良かったけれど、緩衝性は私にとって必要以上で、分厚くかさばる点がちょっとだけ不満だった。
そんなわけで、薄くコンパクトになってくれることを重視して新しいPCケースを探したつもりだった。
だけど、最終的に購入したPCケースは、機能とか関係ない単なる見た目(≒デザイン性)をかなり重視して選んでいた、ということに気づいた。


自己分析の限りでは、「見た目を重視する」という文章ほど私という人間を表すに不相応な説明もない。
そう言えるほど、人を見た目で判断しないことには自信がある。

性別とか顔立ちとか、そういうぱっと見で分かりやすい属性が相手に与える印象と自分の内面の乖離に苛まれるうちに、人を見た目で判断することを避けるようになったし、友人や恋人に優れたルックスを求めることもない。
そして、出会った人の第一印象に囚われず、関わりの中で相手の印象をアップデートしていくことも結構得意。

だけど、そんな「見た目を重視しない」という私の特徴は、厳密には「人の外見に囚われない」というものであって、どうやら自分の所有物を選ぶ場面においてはむしろ人一倍見た目を重視しているっぽい。


服、鞄、財布、文房具、スマホやPCの周辺機器、インテリア、その他いろいろ。
何を買うときもその見た目を気に入るかどうかは外せないポイントだった。

もちろん、見た目さえ良ければ何でもアリ、というわけではない。
どんなに好みのデザインをしていても、明らかにサイズの合わない服やそもそも不要なアイテムまで買ったりはしない。
だけど、見た目のために価格や機能に多少の妥協をかけることや、価格や機能が魅力的でも見た目が好きじゃないために購入を躊躇うことは珍しくない。

完全に無意識だった。
しかし確かに、私は物の見た目を重視していた。




人の見た目って、どうしても選べない部分がある。

化粧とか、服装とか、そんなものである程度自己表現はできるにしても、基本的な顔立ちや身長みたいな素材はほとんど選べない。
場によってドレスコードや暗黙のマナーが加わって服装等の自由に制限がかかったら、もうぱっと見の印象のコントロールは限りなく難しい。
整形だって補正の域を出ない。

自分が一体どんな人なのか。
どんなものが好きで、どんなコミュニケーションが得意なのか。
深く関わっていけば少しずつ人となりはわかっていくけど、初対面ではどうしても内面など関係ない第一印象の影響を強く受けるし、その印象はずっと尾を引く。

だから、自分の素材が与える印象と本当の性格に大きなギャップがあると、望まないコミュニケーションに囲われてしまう。
そして、人の見た目がその人を理解する上で信頼できないものになっていく。


ただ、物は選ぶことができる。
どんな部屋に住んでいるのか、普段どんな服装を好むのか、どんなものを持ち歩いているのか。
それは、中身に合わせて選べなかった自分自信の見た目を、表したい自分に近づけていくためにできること。

まあ、実際のところは人ってたぶんそこまで他人のことを見ていないし、所持品の見た目で自分に対してのイメージを作る効果なんてそれほどはないのかもしれない。
だけど、自分が好きだと思うものに身を包んでいたい、という欲はただ愛しいものだと思う。

だから、見た目を重視して物を買う。
ちょっとでも、なりたい自分に近づくために。

やっぱり、見た目って大事だ。



新しいPCケースが届いた。
思ったよりもコンパクトに収まってくれる代物だった。
安かったし、そこそこ好きなデザインをしている。

いい買い物をした。

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