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『僕らには僕らの言葉がある』出版に寄せて

注:本文中で聴こえる人のことを「健常者」、聴こえない人を「障害者」と定義している箇所がありますが、作者本人はこのような区分は好ましくないと考えております。しかし、この作品が出版に至るまでに経験した「認識のズレ」の部分を説明する上で、便宜上このように定義しています。何卒ご理解いただけますと幸いです。

すでに対外的にお伝えしておりますのでご存じの方、すでにご予約・ご購入下さっている方もおられるかと思いますが(ありがとうございます!)、このたび、2022年11月30日にKADOKAWA様から『僕らには僕らの言葉がある』という漫画書籍を出版していただきました。


どういった内容の本かものすごく簡単に説明しますと、「生まれつき全く耳が聴こえない男の子がいきなり普通の高校に来て野球部に入る本」です。

耳が聴こえない主人公?ああ~、◯◯みたいなやつ。
…◯◯の部分に、皆さんすでにある色々な作品をイメージされたことと思います。

でも、この漫画のネームを初めて商業誌(※KADOKAWA様とは別の会社です)の編集者に見せたときに言われたことは、「同じような設定で今までヒットしたどの作品とも系統が違うので、売り方がわからない。」でした。

長年この業界でお仕事をされているベテランの方ですから、おそらく皆さんがイメージされた作品はほぼ全てその段階でその人の頭の中にも挙がっていたのではないかと思います。そのどれとも違うので売り方がわからない、ということでした。

お優しい方なのでそれ以上の厳しい言い方はされませんでしたが、これは暗に「せめてすでに売れているパターンに寄せていってくれないと、リスクが高すぎて扱えない」と言われているのだと理解しましたので、そしてそれはそれで実際に様々な作品を売ってきた経験のある方からすればもっともな言い分だと冷静になってから思いましたのであまりしつこく食い下がることはしませんでした。

ただ、ひとつ引っかかることがありました。売り方がうんぬんの話は私では到底意見できる立場にはありませんでしたが、ネームそのものの大まかな感想が「まったく共感できない」だったこと、それを基準に難色を示されたことには大きな違和感を感じたのです。

共感できない=面白くないということ、と言われれば、まあそうだといつもどおり納得してしまいそうになりましたが…

いや、待って。ちょっと待って。私がこの漫画を通して描こうとしてることは、そもそも初めから「多くの読者にとっての共感」の外側に広がっている世界なのだから、むしろ共感できないのは当たり前のことなのでは??
そういう題材を「普通の人」が自分に置き換えて考えても共感できるかどうか、を面白さの軸にしていたら、この漫画は一生世に出せないか、出せるように改変していった結果、原形をとどめないくらい別の話になってしまうのでは?

どこか、この形をとどめたままでまったく別の視点で見てくれる出版社は、編集者は本当にどこにもいないだろうか?

そんな思いがふっと頭をよぎり、完全にボツにするのを思い止まりました。
結果としてこの時の判断は正しかったと思っております。なぜかというと、その「共感できない」と言われていたネームは別の編集者の目に留まり、ほぼ当時のままの形で今回の本に完成原稿として収録され、一般流通する本の中の一編として広く皆様に読んでいただける運びになったからです。

最初に見せた編集者が悪いのではなくて、私が最初に球を投げる方向を盛大に間違えていたのです。求められるものが一切含まれていないネームをいきなり見せられてもたしかに「(こんなものを持ってこられても)売り方がわからない」以外に言えることがないのは至極当然のことです。その節は本当にすみませんでした。

★「聴こえない球児」という存在との出会い


もともと私は高校野球が好きで、それが高じてスポーツ漫画の世界で野球漫画を描いている人間でした。2本やらせていただいた連載はいずれも「男子の野球部にいる女子選手」という、普通の…というにはちょっと変わっているけれど、でも正直いってすでに昔から色んな形で描かれてきた題材でもあるし、そういう意味では「普通」の野球漫画しか描いたことがなかったのです。

そんなある日私は、「普通の野球漫画」ではまずお目にかかることのなかった高校野球のとある一面を知ることになりました。

それが「聴こえない高校球児」の存在です。

なに寝ぼけたこと言ってんだ、「遥かなる甲子園」読んだことないのか??とお叱りが飛んでくるかもしれませんが、ちょっと待ってください。あれは、「ろう学校にある、全員が聴こえない・聴こえにくい部員で構成された野球部」の話でしたよね?

私が言ってるのは、「聴こえることが前提の普通の野球部に、聴こえない球児が所属して共に練習したり試合に出たりしている場合がある」ということです。それも最近になって出てきた事例ではありません。ずっと昔から全国各地にそういう「聴こえる人間を前提として作られている”普通の野球部”にいる、聴こえない高校球児」は存在してきたという事実。

もはや何もかも描きつくされたとさんざん言われてきた高校野球漫画の世界ですが、このことをきちんと描いた作品ってパッと思い浮かばないような…?(あったらすみません)

思うにですが、なるべく事実に則してきちんと描こうとすると特にスポ―ツ漫画の世界では成立しにくい、つまり多くの読者の共感を得にくい題材なのだと思います。「障害者が健常者にまじってスポーツをやるなんて、それ相応の説得力があるんだろうな」…と期待して読む読者が多い。それは、その期待に沿うように「彼は障害者だが、健常者よりも優れている点があるからここにいていいのだ!健常者に認められているのだ!」という描きかたをしている作品がほとんどだからです。

…障害者をメインとして扱う上、スポーツ漫画となるとなおさら「健常者が納得できる理由がないのに、健常者より劣っている障害者が同じ場所にいるのはおかしいだろ。そういうやつがオレと同じ空間に存在していい理由をオレが納得できるように説明しろ」みたいな論理がストーリーや演出を考える段階で普通にまかり通ってしまう世界なんですよね。恐ろしいことに。

…あくまでスポーツ漫画の世界では、という話ですよ。

先述の「共感できない」という言葉もまさに、「健常者より秀でた部分があるように見えない障害者が同じ部内に存在している状態がまず理解できない、おかしい」という感覚から出てきた言葉なのではないかと思います。筋はきちんと通っています。

(そりゃそうだろう、何がおかしいんだ?と思う方はこの先はあんまり読まないほうがいいかも。)

でも現実世界では、客観的にみて聴こえる人より野球がめちゃくちゃ飛び抜けてうまかろうが、そういうわけでもなかろうが(野球が上手な方はいっぱいおられますよ!誤解なきよう)、聴こえる人の中にまじって野球をやっている聴こえない人・聴こえにくい人はたくさんいるんですよね。

特に日本のろう学校には現在のところ軟式野球部しかありません。「耳が聴こえないのに、硬球を使うなんて”たぶん”危ないだろうから」という理由です。なので耳が聴こえない人が学校の部活動の範囲内で硬式野球をやろうと思ったら一般の学校に進学するしか現状としては手段がありません。「耳が聴こえないならろう学校?で野球をやってればいいのに。なんでわざわざ普通の学校に来るんだよ」と思っている人の中で、どれくらいの人がこのことを知っているでしょうか。

そもそも外国では軟球が普及していないところが多いこともあってそもそも聴こえる・聴こえないに関係なく、そして男女も問わず子供から硬球を使うのが一般的ですし、ちゃんと調べてみるともちろん聴こえない人も硬球で普通に野球をやっていて世界大会まであるんですがそれは…??という感じですが。日本ではなぜか、「聴こえない人は軟球じゃないと危ない!」ということになっているようです。なぜか。

日本の場合は軟球があまりにも広く普及しすぎたせいで、硬球を使うことへのハードルが必要以上に高くなっている気がしてなりません。硬球が危ないんじゃなくて、性別も関係なくて、ただ硬球の正しい扱いかたを子供の時から知る機会が少ないことが危ないというだけなんじゃないかと…

まあとにかく読者がその事実を知っていようが、知っていまいが、事実としてそういう選手がいます。しかも決して少なくない数の。読者の大半が知らないからといってその事実をねじ曲げて、「聴こえる人のチームで野球をやっている聴こえない人」を「そんな人は普通はいない。(いるとしたら誰もがびっくりするような、相当の理由があるはずだ)」などということにしてしまっていいのでしょうか?

そんな漫画を「実際に聴こえる人のチームで野球をやっている聴こえない人」が読んだらどう思うでしょうか?

いわゆるスポーツ漫画とカテゴライズされる漫画を形成していく過程には、今も昔もその視点が圧倒的に欠けていると私は感じるのです。

・自分が納得できなくても、存在している人は当たり前のようにいる。

・たとえ自分より何かが劣っているように見えたとしても、はたまた自分より優遇されているように見えたとしても、その人がそこにいることと、自分がそう感じることの間にはなんの関係もない。

…このあたりのことは特にスポーツ漫画の「強者至上主義」世界では「障害者が健常者と理由もなく同じ空間にいるなんてありえない。なにか納得のいく説明があるはずだ」と当然のように思っている読者層を納得させられる説明をすることが難しいので、なんとか正面からの言及を避け、「なんでこんなやつがおんねん」と茶化してギャグにするか、「駆逐しなければならない存在」…噛ませ犬とかイヤなヤツとして設定するか、それも難しいとなってくると究極「最初からそんなやつはいない、ありえない」ということにせざるをえないのではないでしょうか。

こういう価値観が当たり前・暗黙の了解になっている世界にどうしてもなじめなかったこと、これが結局私が野球という、ファンや経験者の男性比率が高いスポーツを好きでいながら、スポーツ漫画の世界を一旦出ていくことになった理由のひとつです。

こういう価値観になじんで、適応して、
生き残れた作家だけがいていい世界なんです。
私は生き残れなかった、ただそれだけです。

でもやっぱり思うこともあり。

私はもともと、他人というのは自分が納得できようができまいが、「そこにいる」ものだと思っているんですよ。ただそれだけのことであって、まずそこに納得できる理由をなんとか見出そうとすること自体が余計なエネルギー消費だと感じてしまうんです。

大事なのはその「納得できないけどそこにいる」他人とどう向き合っていくか?の部分じゃないのかと。

まあ、すでに莫大な需要が確立された市場に売れてない漫画家が何を言っても負け犬の遠吠えと言われればまったくその通りです。商業漫画の世界においては売れているものが正しい。それはわかった上でこの文章を書いています。

ただ少なくとも私自身は、そのあたりのこと…「納得できないけどそこにいる他人」とどう向き合っていくか?そういう話をもっと詳しく探求してまじめに描いてみたいな…そう思いました。結果的に女性向けレーベルに移ったのもスポーツ漫画の世界では上述のような表現の限界があり、一番描きたい部分をごっそり削らないと先に進めないことがわかったからです。

★「ろう者」を主役にすえた本です


本作品の大きな題材となっている「聴覚障害」や「ろう者」について、ここで詳しく書くとネタバレになってしまうので、よくわからないという方はぜひ本書を一度読んでみていただきたいのですが、ひとつ明確に言っておきたいことがあります。


この本の主役である「聴こえない人」は、「ろう者」です。
聴こえないことを「悲しいこと・かわいそうなこと」ではなく、
「当たり前のこと」として描くよう努めました。

だからぜひ、ろう者の皆様にも読んでみてほしいと思っております。もちろん描いている私は聴者ですので至らない点も多々あるとは思います。でも、だからこそ、やはり一度読んでみていただきたいと思うのです。

もっと言うなら、ろう者の皆さんから見て「自分の場合はこうだった」「自分がもし真白の立場だったら、こうする!」というような意見もぜひきいてみたい。そのあたりは聴者である私は絶対に自分で経験できない部分なので、お話を伺うことでしか知る方法がないのです。

この作品はもともとSNS上で散発的に発表しているだけのものだったのですが、コツコツ投稿しているうちにある時期から聴者だけでなく、ろう者の方からも励ましのコメントをいただくようになりました。

その中でも私はある読者の方が「聴こえない人が出てくる漫画って、聴こえる人は面白い!感動しました!って盛り上がっているけど、私たちから見たらいつも結局聴こえる人を喜ばすためというか、聴こえる人にとって都合のいい存在にされているものが多くて悲しい。でもこの漫画はそうじゃない感じがするから好き」と仰って下さったのがずっと頭に残っています。

そういうお話をふまえ、なおさら「聴者を喜ばすための存在、聴者にとって都合のいい存在」にはならないようにと、常に心掛けて執筆を進めました。その結果、書籍全体の構成として、聴者から見たろう者という従来の視点だけでなくろう者自身の視点からも描く方向になっていきました。難しかったけど、やってみてよかったと思っています。

劇中には、ろう者の皆さんが母語として使用する日本手話を使うシーンや、ろう文化に基づく行動などがいろいろ出てきます。そのシーンを含め、本編全体の精度をできるかぎり高めるため、書籍化にあたり複数のろう者の皆様に監修として入っていただきました。監修の皆様には本当にお世話になり、ひとつひとつのシーンに対してとても丁寧にアドバイスをしていただきました。ありがとうございました。


私はこれからもぜひこの作品を描き続けていきたいと思っています。
今回の本だけでは描ききれなかったことがまだまだ、まだまだあるのです。

この本を読んで「続きが読みたい」と思って頂けたら、もしよろしかったらお力をかしていただけませんか。

読者アンケートなどで感想をお聞かせいただけるととても嬉しいです。Twitterのほうでも、#僕らには僕らの言葉がある とタグをつけて感想などつぶやいてもらえると作者が見つけやすくなりますので作者に読んでほしい感想をツイートしてくださる場合はもしよかったらその形でお願いします。できる限り目を通させていただきます。

なにとぞ、よろしくお願い申し上げます…!

長々と書いてしまってすみませんでした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

詠里 (https://twitter.com/EIRI_9g)


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