大関さんについて①

あれはたしか、1999年の夏

当時、身の回りの不審者についての情報を得る為に、妹に紹介をしてもった黒曜石という名の喫茶店にて著名人を相手に霊視鑑定をしている大関さんという高齢の男性に会いに行くことにした。

お店は、自宅から自転車で5分くらいの距離にあるビルの二階にあり、当時から占いというものを全く信じていなかったので、無言のままコーヒーを4杯くらいおかわりをしながら、4時間ほど居座ることになった。

すると向こうから話しかけてきた第一声が「自転車で来たんだね・・・・。一階に住んでいるんだね・・・・冬は寒いでしょう」次に、「雨が降るけどすぐに止むと思うよ」

これらは、予め通話を盗聴していたら相手の個人情報を得ることが出来るので、データを元に読み上げるだけで透視や占いが商売になるのである。

その時は、大関さんのことを信じ切ってしまい父親のように信頼をしていたけれど、そもそも相談というような悩みも無く漠然とした「気持ちの悪いもの」に怯えていただけだったので、心の支えのような、たまにコーヒーを飲みに行く程度のお店であった。

大関さんの透視能力について、軽い気持ちで友達に話しをしたところ、当時の公文式のデーターをコピーして教材として販売をしていた友達の旦那さんが大関さんに透視をしてもらった後に、ダムから友達に電話をしてきて「今から死ぬ」と言い出した。

あの時は、「また浮気でもしたのだろう・・・」程度に思っていたけれど、公文式というのは子供相手の教材である。今では市内の一等地に豪邸を構えている。(はず)

夏休みを利用して実家へ帰る際に、大関さんに会いに行った。せっかく行ったのに、日焼けサロンでガングロギャル風の風貌に少し怪訝な顔をされた。実家のお土産にと、業務用で一脚割れてしまったコーヒーカップを四脚もらった。

実家からバイト先の飲み屋へと支度中、「大関さんが亡くなった」と奥さんより電話が入る。「楽しかったみたいです、。ありがとう。」と言われる。涙が止まらなかったので、母親からバイトを休むように言われたが、酒が飲みたかったから行くことにした。

後日、奥さんが引き継いだお店へ行ってみた。どうやら「私宛の(他の顧客も含む)一生分の出来事をまとめた書類があるらしいが、開封していない」と言っていた。

なんだろう?蘇我蝦夷の国書を聖徳太子が編さんして藤原が改ざんした物をユダヤがネタにした計画表のようなものなのだろうか。





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