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持って生まれたネガティブな性格にも意味がある

どちらかと言うと、冷めている。

好きなことに出会っても熱しやすく冷めやすく、「次行こう!」になってしまう。

推しがいる人が羨ましい。
何かに拘り打ち込める人が羨ましい。
そんな熱中できるものがある人が羨ましい。
で、長く続けられる人が羨ましい。

人に対する情も然り。

結婚経験があるから、誰かに愛情を感じた時があったはずだけど、あれは果たして愛だったのか、それとも若さや未熟さからなる勢いだったのか。

ただ言えるのは、子供に対する愛情は確実に存在するということ。

目に入れても痛くないと言えるほどではないにしても、子供たちに何か災いや心配事があった時には心が痛む。
「早く安心させてあげたい」
そんな気持ちが膨らみ辛くなる。

血の繋がりを感じるとは、こういう表し方をするんだろうか。

だとすると、とても神秘的。
と同時に、多少わたしが冷めているとしても、人としての情がないわけではないことが感じられてホッとする。

冷めているから情がないわけではない。
情をかけるモノやヒトが限定されているだけのことなんだと思う。
あまりに限定的すぎて、それでいいの?と思ってしまうんだけど。

そのお陰でなのか、色んなことに目が向き挑戦しているような気がする。
新しいことが好きというわけではないけれど、自然と新しいことに出会って関わってしまう。

わたしが冷めてる理由も、運命なのかもしれない。
持って生まれた「冷め症」?で生きることに意義がある。

この先も、冷めてる自分を楽しもうと思う。

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