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何も欲しくない


ここで自由と孤独を愛するスナフキンのセリフを見てみよう。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」

「僕のものではないよ、だけど僕が見ている間は 僕のものなのかもね」

「僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ」

なんてカッコいいのだろうと、中学生の頃から思っていた。こんな人間になりたかった。全てのことに執着せず、サラッと生きて、いつでもフッと姿を消せるような。そんな人間に憧れていた。

しかし、よく考えたらスナフキンという男は自由の象徴っぽいだけで、全く矛盾している。エセ自由人であり、スナフキン的生き方ではミニマリストの域から出ることはできない。だってそうじゃないか。本当に歌以外いらないならその帽子もコートもハーモニカも置いていけ。「全てのことを忘れて」「暮らす」とはどういうことだ?文明を忘れてはいなそうじゃないか...。おい、、、おい、、、、


何もいらない、と言う男と付き合ったことがある。誕生日プレゼントは何もいらない。三億円あっても何もいらない。今食べたいものもやりたいことも特にない。じゃあ私と付き合っている意味はなんなんだ、と頬を引っ叩いてやりたい気持ちになったけど、自分も本当は何もいらないくせに引っ叩く権利はないと思った。


なぜ自分は何もいらないくせに、何もいらない奴を見るとイライラするのだろう。なぜ欲しがる奴ほど可愛く見えるのだろう。自分はまるで、千に迫ったカオナシじゃないか。欲しくないという人間に欲しがれ!と迫り喉元を掴む。



思えば私の両親もそうだった。自分はとっくに欲なんか枯れた顔をしながらボーッとテレビを見ているくせに、私には何が欲しいの?さては○○が欲しいんだな?と四六時中尋ねてきた。とっくに関係が破綻した今もなお、最後のコミュニケーションとしてお金を握らせたり、何か買い与えようとしてくる。


何もいらないと言い切る人間を見ると、資本主義社会においての死を感じるから不快なんだろう。日々自分の欲望を引き出すために自分の頬を引っ叩いて生きている人間にとって、「何もいらない」というストレートな言葉が一番怖い。嘘をつくな!!いるはずだ!!頼む、いると言ってくれ!!!


ホリエモンが「何もやりたいことがないなんて言ってる奴は嘘だ、あるはずだ、って言っているのに、皆全然覚えていなくて飽きもせず同じ質問を繰り返してきてムカつく!」と言っていたけど、仕方がない。「何もやりたいことがないのですが」と言ってくる人たちは、そんな欲望そのものに疲れ果てたゾンビだからだ。


お父さんとお母さんは?おうちはどこなの?と言われても、答えられないカオナシのような人たち。しかしカオナシと違って、さりげなくあんたはここにいなさい、と言ってくれる、優しくて料理上手な銭婆婆はどこにもいない。助けてください。空っぽの私に紅茶を注いでください。ケーキを振る舞ってください。軽い縫い仕事をください。たまにでいいので褒めてください。生きている意味をください。安らぎをください。全部ください。


...嘘です本当は死にた


END


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