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深夜1時の来訪者

コーヒーが飲みたい。

そう言って彼が来たのは深夜1時を過ぎたあたり。新聞社で働く彼はこれから仕事場に向かうところだという。

もちろんこんな時間にと、ビックリしなかったわけではないけれど、私自身も転がり込んだ友人宅でごろごろと、あてのない話を続けていたので、ヒトのことは言えなかった。

白いシャツと、カーキのワイドパンツ。ポケットには何やらたくさんものがはいっているのだろう、大きくふくらんでいる。細身の体のせいかニッカポッカのようにも見えなくもない。センスの良いメタルフレームの丸メガネから、こちらを見る目はとても不思議な光を帯びていた。

はっきり見つめるでなく、目を合わせないのでもない、人見知りのそれといえば想像しやすいのかもしれないが、私はひと目彼を見て、とても安心した。

今日はポプラのコーヒーしか飲めなかったんだと話しはじめた彼と、広島地方に馴染みのコンビニの話をひとしきりした後、案の定と言うべきか、私は自分のことを話しはじめた。過去のこと今のことを。

これは悪い癖と言っていい。はじめての人に自分を知ってもらいたいと言う思いなのか、どうしても一通り話さずにはいられないのだ。相手もそこまで知りたいわけでもないだろうに。

しかし、彼は私の話をひとしきり聞くと不思議なことを話し出した。

それは私のことだ。私が私だと認識していることだ。

ゆるやかに私の輪郭をなぞるように、私について話す彼に驚いた。ひとつひとつを言い当てていくといった感じではない。しかし彼の話の中に、うっすらと自分の姿が現れるのがみてとれた。

そして彼はこう言った。

自分で何かはじめるほうがいいですね。

まただ。

ここ数ヶ月、何人かの近しい人たちに言われたことだ。

ただ、今回はなにか確信めいた感覚があった。これは考えてみれば不思議だ。だって自分で導き出した結論ではないからだ。むしろその線はないとおもっているのに、彼からその言葉を聞くとすっと腹に落ちる感覚があった。

会話が、静かに淡々とすすんでいく中で、彼は「これより先に進むためには、選択をしなくてはいけないのです。あなたが望むところに行きたいのであれば。」そう伝えているようだった。お話にでてくる、こころの優しい神様みたいに。

気づけば時計は2時を少し過ぎていた。

右手を差し出した彼は、何事もなかったように仕事場に向かった。

とてもすぐに眠ることはできそうになかった。彼が残したタバコの匂いと、不思議な空気が部屋にまだ感じられた。

時計の針が進む音が聞こえる。

「選択しなくてはいけないのです。」耳元で、こころの優しい神様がもう一度囁く。

やれやれ。

私の中の村上春樹が、小さくため息をついた。

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