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【豊島卒】面倒くさがり屋の受験奮闘記

自己紹介


はじめまして、豊島岡出身のぽぽこです。
勉強が嫌いなわけではないのに、面倒くさがりなせいで苦労した私の中学受験の経験をお話ししたいと思います。

受験のきっかけ

私は、小さいころから文字を覚えたり、数字を扱ったりするのが好きでした。そんな私を見て、両親が通信教育を勧めてくれました。6歳の時に小学校1年生の内容の教材を取り寄せ、1学年分先取りする形で学習を進めることになりました。しかし、私は勉強に興味は持っていたものの、非常に面倒くさがりだったため、教材をためてしまい、あっという間にカリキュラムに追いつけなくなってしまいました。

ちょうどその頃、姉が中学受験のための学習塾に通い始めました。当時の私は、中学受験がどんなものなのかは理解していませんでしたが、「通信教育よりも塾の方が楽しく勉強できそうで羨ましい!お姉ちゃんばっかりずるい!」と思っていました。(笑)

小学校1年生の冬、私も中学受験の塾に通いたいと両親に頼み、新2年生(1年生の2月)から四谷大塚のリトルスクールに通い始めました。この入塾をきっかけに中学受験をすることになりました。

ちなみに複数の塾の入塾試験を受けましたが、校舎の雰囲気などを考慮して、自分で四谷大塚への入塾を希望しました。四谷大塚の先生方は愛にあふれていて、いつも真剣に生徒のことを考えてくださりました。卒業してから何年も経っていますが、未だに四谷大塚で過ごした楽しかった日々を思い出します。

塾での生活

四谷大塚のリトルスクールは、小学校1~3年生を対象にしていて、非常にアットホームな環境で授業を展開していました。生徒は、下の名前にちゃん付け・くん付けをして呼び合い、受験のための塾というよりは楽しい習い事という感覚でした。小学校の内容を先取りするカリキュラムでしたが、全く苦ではなく、一番上のクラスをキープしていました。

4年生

小学4年生になると、受験対策のカリキュラムが始まり、科目数も増えて、授業の雰囲気もがらりと変わりました。しかし、週2~3日の通塾だったため、英会話などの他の習い事と両立できていました。塾の理科実験教室にも参加し、受験対策のカリキュラムに移行してからも、楽しく通っていました。

5年生

小学5年生以降は、通塾日数が3~4日になり、扱う内容も難しくなってきました。他の習い事はこの時に辞めました。通塾日数が増えたことで、もともと面倒くさがりだった私は、宿題をやらずにためるようになりました。4年生までは、リトルスクール時代の貯金を生かして余裕のあった私も、だんだん授業についていけなくなりました。そんな状況ではクラスをキープするのが難しくなり、一番上のクラスと二番目のクラスを行き来するようになりました。

6年生

小学校6年生の春、塾の成績が不安定になっていた私は、現実逃避をするように小学校の運動会の準備に精を出してしまいました。その結果、みるみるうちに成績が下がり、中学受験で最も大事とされる小学6年生の夏休みを目前にして、上から4番目、下から2番目のクラスに落ちてしまいました。塾の先生には、ここまでクラスが下がる人はほとんどいないと言われました。私は人生で初めて本物の絶望というものを味わいました。(笑)

そういうわけで、小学6年生の夏は、これまでとは先生もクラスメイトも全く異なる環境で過ごすことになりました。初めは不安でいっぱいでしたが、新しいクラスの先生の教え方は非常に丁寧で、クラスメイトも優しくて面白い人が多く、前向きに勉強に取り組むことができました。それまでの反省を生かして、毎回しっかりと宿題や予習をこなしました。しかし、上のクラスに戻るためには、それまでさぼってきた分を夏休み中に取り戻す必要がありました。日中は夏期講習に出席しながら、家に帰ってから朝方4時頃まで勉強しました。すべての教材をやり直す時間はなかったので、メインのテキストを見直しながら、苦手だった算数・理科・社会の「四科のまとめ」を丁寧に1周しました。また、5年生以降の週テストで点数が悪かった回や、月例テスト、組分けテストの解きなおしを2~3回行いました。その甲斐あって、夏休み後の最後の組分けテストで一番上のクラスに戻ることができました。

6年生の秋以降は、御三家の志望校対策コースに通い、入試に備えて対策を進めることになりました。

志望校の決め手

私は、御三家を第一志望とし、家の近くの学校と豊島岡を併願校にしました。第一志望は、上を目指した方があらゆる学校の対策につながるという考えから、御三家に決めました。豊島岡は、学校見学に行った母が、私の雰囲気に合っていると勧めてくれて存在を知りました。その後自分もクラブ体験会に参加し、先輩方が優しく丁寧に接してくださる姿にあこがれて、併願することにしました。読書が好きだったため、綺麗な図書館があるというのも決め手でした。また、模試で実際に校舎を利用したこともあって、親しみもありました。

受験結果

御三家は不合格、家の近くの学校と豊島岡は合格という結果でした。

小学6年生の秋以降、成績は横ばいで、御三家に合格する可能性は高くありませんでした。それでもめげずに御三家対策を続けた結果、豊島岡には合格することができました。私は、目標を設定してもどこかで手を抜いてしまう性格だったので、豊島岡を第一志望にしていたら、合格することはできなかったと思います。

受験を頑張れた理由

私が中学受験を乗り越えられたのは、「すべて自分で決めたことだった」からです。

初めに塾に入りたいと両親に頼んだこと、四谷大塚に決めたこと、宿題をやらなかったこと、6年生の夏に朝まで睡眠時間を削って勉強したこと、志望校を御三家と豊島岡にしたこと。これらはすべて私が自分の意思で決めたことでした。自分でやると決めたことだから、つらい状況になっても頑張ることができました。宿題をやらずにさぼってしまったことも、もちろん良くないことではありますが、自分の責任だという自覚があったため、遅れを取り戻す勉強に力を入れることができました。私は誰かに言われてやるというのがとても苦手で、すぐに反抗してしまいたくなる性格だったので、自分で自分の勉強について管理できたのが良かったです。


両親との関係

私の両親は、私が自分で決めたことでないと真剣に取り組まないということを知っていたので、塾の宿題の状況などについて何か言ってくるということはなかったです。しかし、父は、私が塾で今何を学習しているのかというカリキュラムの進度を理解してくれていて、私が困っているときにはアドバイスをくれました。また、組分けテストで大転落したときには、「自分でやると決めたことなんだから、最後まで全力でやれ!」とこっぴどく叱ってくれました。母は、生活面で徹底的にサポートしてくれました。塾で食べるお弁当を用意してくれたり、私が疲れているときには車で送り迎えをしてくれたりしました。大人の言うことを素直に聞かず、中学受験には非常に不向きな性格の私でしたが、両親はそんな私と真正面から向き合って、受験がうまくいくように導いてくれました。本当に感謝しています。

終わりに

私は、両親の言うことを聞いて素直に机に向かうようなおりこうさんではなかったので、不安定な受験生活ではありましたが、自分で自分に発破をかけることでなんとか乗り越えられました。私と似たような性格の方の参考になれば幸いです。 ここまで読んでいただきありがとうございました。

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