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母と手を繋いでほしかった・・

先日から、ゆか先生という素敵なコーチングの方にサポートをしていただき、自分の中のモヤモヤが少しすっきりしました。料理教室をやってきて、ふとなぜ、料理教室をやっているのだろうと振り返ってしまいました。そして答えが出ないと進めない状況にまで陥り、もがき、悩み、大食いもしました。⇒なんでここで、大食いなんだろう~~~(笑)

そしてついに、潜在意識がゆか先生に会わせてくれました。ふとこの人に聞いてみようと思い立ったのです。私の経験的に、ふとひらめいたことは、結構当たるのです。(予知能力とかないですが、)そして、ついに、わたしのモヤモヤが取れました。なくなった母は、私がヨチヨチあるきができるころから、私を膝の上にいつも乗せていました。親戚みんなでキャンプにいったりしても、いつも母は私をお膝にのせていました。母もきっと私を膝にのせていることで、居場所があり、安心だったのでしょう。

私はずっと母の膝に乗っていたかった。母と手を繋いでいたかった。

なのに、

母は、私が3歳か、4歳くらいのときから、働き始めました。私はいつも学校から帰ると、母の職場に行き、母が終わるまで遊んでいました。母の作る料理は美味しかった。そして、母は手編みもとくい、ミシンも得意、バイオリンもでき、ピアノもでき、とても素晴らしい母でした。わたしは、それから、結婚し、母の元を離れますが、主人が悪いわけではなく、なぜか、寂しさが埋められず、母の元に、帰りたいと言い出しました。

だが、母に断られました。。。

私は、それから、私の迷い道のスタートとなります。いや、もっと前から、母の手を繋いでほしくて、迷い道スタートをしていたのかもしれません。そして、昨年、母は亡くなりました。最後まで、母は、私に厳しかったです。

亡くなる一週間前まで、病院で意識がもうろうとしているなか、私が病室で取り乱すと、母は「看護婦さんにご迷惑になるようなことをしてはいけない!!」と叱ったのです。そんな母の意図がわかりませんでした。

そして、

今回、ゆか先生と話をして、はっきりとわかりました。

母は、最後の最後まで、私に母として「大事な娘に親として伝えるべきことを伝えておかなければ」という愛情だったのです。

そして、いまやっとわかったのは、「ずっとずっと母は私の手を繋いでいてくれていた」という事です。

もう母は亡くなっていません。なので、母に変わって、私が、私の中の小さな私を抱きしめてあげたいと思いました。

そして、なぜ料理教室をやっているのか?母に美味しい料理を食べさせてあげたい、お料理上手だった母に今度会ったとき、褒めてもらえるような自分でいたい、そして、な私のような思いの方をサポートしていきたい、母への思いがいっぱいつまった自分がいました。

ゆか先生ありがとうございました。

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