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愛するビジレザの社長を退任します、なぜか?|はなみちのビジレザ経営日記#14(バックナンバー)

<2021年2月22日に書いた記事です>

ビジネスレザーファクトリー(以下、ビジレザ)の「はなみち」こと、原口瑛子です。

先日プレスリリースでご報告した通り、2022年2月28日をもってビジネスレザーファクトリーの代表取締役長を退任することとなりました。2022年3月1日より齊藤諏訪の二人が、共同代表として代表取締役に就任いたします。

私がビジレザの社長になったのは2017年。現在、日本の仲間たちは150人を超え、バングラの仲間たちは700人を超えました。すべての仲間たちと共に創ったビジレザという船。そんな愛する船を、私は一人で降りて新しい挑戦をすることにしました。

今回のブログは「はなみちの”ビジレザ”経営日記」の完結編。社長退任の理由について、今の自分の言葉でお伝えできればと思います。これまで支えてくださったすべての方々に感謝しながら。

バングラ工場での原口

まずは伝えたい、この愛を

最初に伝えたいことは、私はビジレザとビジレザで働く仲間たちが大好きだ。その事実は、私が社長に就任した時から、ずっと変わらない。これからもずっと変わらないことだろう。それなのになぜ?と思うのが、普通かもしれない。

2015年、私は「貧困をなくしたい」という志一本で、起業家としてボーダレスにジョインした。私がビジネスレザーファクトリーの社長になったのは、社会にとって最短で最大のインパクトが出せる、そう思ったから。同時に、私はビジレザで働くみんなが、大好きだった。

ビレッジ構想のスタート

ソーシャルコンセプトに立ち返った時

そんな私が、社長を退任しようと考え始めたのは、数年前にビジレザがビジネスとして軌道に乗っている時だった。経営者として次の事業構想を考える過程で、改めてソーシャルコンセプトに立ち返る時間が多くなった。

ソーシャルコンセプトとは、“社会問題の現状とその課題を解決することで実現したい理想の姿、さらに理想と現実のギャップを埋めるための「HOW」を定義したもの”。つまり「誰のどんな課題」を解決したいのか。
参考)詳細は田口一成著「9割の社会問題はビジネスで解決できる」を参照

ビジレザも、ソーシャルコンセプトに合わせてビジネスモデルがあり、このロールモデルをさまざまな地域や国に展開していけば、貧困をなくすことに貢献できる、と私は今も信じている。このロールモデルが世界中に広がれば社会はもっとよくなる、絶対に。

ブランドコンセプトムービー

新たな社会の理想が芽生えた

ただ私がソーシャルコンセプトに立ち返った時に見えてきたことは、ビジレザが解決したい「誰のどんな課題」と、私が起業家/事業家として解決したい「誰のどんな課題」の二つに、大きく重なる部分もあれば、新しく重ならない部分もあるかもしれない、ということだった。

ビジレザの理想は、生まれた国や地域、性別や環境に関わらず、すべての人々にファーストチャンスを創ること。他方で、私の中に生まれた新しい理想は、誰か/何かに自由や自我を剥奪された人々にセカンドチャンスを創ること。似て非なる理想が芽生えた。少し葛藤した。

もちろんソーシャルコンセプトを再解釈や再構築することで、それが両方実現できる起業家/事業家もいるかもしれない。でも私の場合、ビジレザのビジネスモデルの有効性を理解するからこそ、新たに生まれた理想に新しいソーシャルビジネスで向き合いたいとも思った。

そうであれば、私は社長を退任して新しい代表にバトンを渡そうと考えた。でも、いつ?誰に?

コロナの大嵐で見えた次の船長たち

そんなことを考えている矢先に、コロナが世界を襲った。2020年の春、150人の仲間の明日の仕事が、突然なくなった。まずは経営者としてみんなの命や生活を守ること、それだけに徹することにした。万一みんなの命に何かあったらと、毎日不安で眠れなかったのを覚えている。

でも、そんな大嵐の時こそ、船の底力が試されるものだ。ビジレザのみんなは強かった。それぞれがこれまでの役割を超えて、自分にできることを考えて動いた。もちろん経営的に苦しい時期は続いたけど、みんなの努力とお客さまの応援のおかげで、船は前に進んだ。

経営上、仲間を増やせなかったから、今いる仲間でなんとかするしかない、それが事実だった。そんな中で周りを見渡すと、こんなに大嵐の中でも船の行き先を見失わず、むしろ大波を成長に変える仲間もたくさんいた。今回、新代表となる齊藤諏訪もそんな仲間だった。

八重洲店時代の齊藤

きっと二人なら大航海になる

齊藤(きゅーちゃん)は、2019年にビジレザにジョイン、八重洲店の店長になった。他アパレル企業での店長経験も長く、ビジレザの中でも、いつも事業全体を考える人だった。タスクフォースにも積極的に参加し、謙虚だけど確実に、仲間とともに前に進める実行力がある。仲間を思いすぎて泣いてしまうほど、そんないい人。

諏訪(すわっち)は、2014年にボーダレス、2017年にビジレザにジョイン、営業担当を経て、宮崎店の店長に、そして販促統括になった。ビジレザの中でも、いつもソーシャルインパクトを考える人だった。大胆だけど繊細で、仲間を巻き込み前に進める実行力があった。彼もまた、仲間のためにおどけて笑顔させる、そんないい人だ。

二人の共通項は、仲間を大切にすること。そして、二人の理想の実現の道筋がビジレザにあり、その理想の実現することでビジレザがこれまで以上に繁栄していく、そんな絵が私のなかで美しく描けた。二人ならビジレザの仲間とともに大航海に行ける、と私が一番ワクワクした。でも大切なのは二人がやりたいかどうか。

宮崎店時代の諏訪(中央)

二人の答えは、即答だった

そして二人に声をかけたのが、21年秋のこと。二人は「挑戦したい」と即答だった。即答したということは、もうすでに二人がビジレザの全体を考え、理想を描けているということでもある。その即答が心強くて嬉しかった。だから私は、何の心配もなくなった。

もちろん、二人とも経営者の経験はゼロ。でも誰だって最初は初心者だ。でもきっと二人なら、ギシギシと成長痛を感じながら、愚直に努力し、仲間とともに成長できる。12月には引き継ぎを終えた。ビジレザへの愛もまるっと引き継いだ。2月末までの伴走を終え、3月には晴れて二人は新代表になる。

経営者としての成長は、自分で失敗して自分で成功すること。それ以上の近道はきっとない。だから私から言葉で伝えることよりも、自分たちで決断できる環境を早めに作ることにした。みんなのことが大好きな私は、みんなに会いたい気持ちをぐっと抑え、二人を信じて少しずつオフィスを離れていくことにした。

齋藤と諏訪

そんな私はこれから何するのか?

心から信頼できる新代表を立てることができた。では私は、ビジレザの社長を退任した後、何をするのか?

私はボーダレスの仕組みで、西アフリカのブルキナファソ(以下、ブルキナ)で貧困を解決するソーシャルビジネスを起業したい、と考えている。そのため1月下旬から3週間、現在のブルキナの社会問題を深く知るために、現地に滞在していた。その帰りの飛行機の中で、このブログを書いた。

帰りの空港にて

内陸国、ブルキナファソにて

ブルキナは、西アフリカに位置し、北にマリ、東にニジェール、南東にベナンとトーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワール、の6カ国に囲まれた内陸国だ。

内陸国の特徴の一つは、海洋にアクセスできないため経済面で不利となり、経済が発展しにくいこと。結果的に、貧困が解決されにくく、最後に取り残されやすいのが、内陸国の国々だと私は考えている。ブルキナもまた、最貧国のひとつと言われており、GNIランキングもHDIランキングも、下から数えた方が早い。「貧困をなくしたい」これが、私の志。だから、ブルキナのような内陸国の貧困に向き合えるソーシャルビジネスに挑戦したい、と考えている。

もう一つの特徴は、周辺国の政治に大きく左右され、平和が維持されにくいこと。ブルキナでは、2019年以降、北部や東部で過激派によるテロが多発している。突然やって来る危険に、あるいは、いつ来るかわからない危険に、人々は恐怖を感じ、避難する。2019年2月は10万人だった国内避難民が、現在では150万人以上になった。国民の20人に一人が避難民となり、そして今も増え続けている。これが、私が「今」ブルキナのソーシャルビジネスに挑戦したい、と考えた背景にある。

到着直後にクーデターが起きた...が

よし、現状の課題を深く知ろう。そう意気込んでいた時に、想定外のことが起きた。入国直後に、軍事施設で銃声、大統領が拘束。軍事クーデターが起きた。憲法が停止され、国境が封鎖された。国軍兵士らが、前政権のテロ対策の不備や不足に対して、蜂起を起こした。そして、軍事政権になった。

私も数日、ホテルで待機した。帰国も勧められたが、政治が動くこのタイミングこそ国内から現状の課題を知りたい、と残ることにした。現地で活動する方の協力も得て、道で物乞いをして生きる避難民や、難民キャンプに生きる避難民にヒアリングを始めた。ホテルで待機していても、現状の課題は見えてこないと思ったから。

クーデターでホテル待機の日

剥奪された自由や自我に向き合う

道行く人々に場所を教えてもらいながら、点在する避難民の方々を見つけては、話を聞かせてもらうことにした。多くの方々が、ただの見知らぬ日本人に、現状の課題を教えてくれた。

避難したばかりの人、避難してもう2年以上が経つ人。彼ら彼女らに、全く罪はない。ただ、突然現れた危険に、大切な物や人を奪われた。そして、人生が変わった。

土地や家畜、資金を奪われ、これまで続けてきた、農業や牧畜、商いができない。着の身着のまま逃げてきて、知らぬ地で生きる術もなく、これまでの生活を維持することが難しい。「何でもやりたいが、何ができるかわからない」と。

なかには、家族を目の前で殺された人もいた。途中まで話を聞いていたが、目線が下がり沈黙が続いて、それ以上は聞くべきではない、と判断した時もあった。彼女らの目線や沈黙から、奪われた苦しみを心で受け止めることにした。

首都近郊に逃げてきた人々

人々の声を耳を傾けながら、ひとつ感じたことがある。それは、奪われたのは物質だけではない、奪われたのは "自由や自我"だ、ということ。そして、奪われた時にできた、心の傷は長期化する。

だから今の私は、誰かや何かに自由や自我を剥奪された人々にセカンドチャンスを創りたい、と考えている。それが冒頭お伝えした、心に芽生えた、私の新たな社会の理想だ。

今の私に何ができるかは正直わからない。でも、何かしたい・何かをしなければ、と心が叫んでいる。私でなくてもいいのかもしれない、でも私に何かできるのであればやりたい。もう一度、彼女たちが自由や自我を手に入れ、自分の手で未来を描ける社会を創りたい。

同時に、ひとつのソリューションで、すべての社会問題を解決できるわけではないことも十分に理解している。知れば知るほど多くの社会問題がある。だから、ボーダレスのような社会起業家のプラットフォームが、このアフリカでできれば社会はもっと変わるのかもしれない。いくつか事業を立ち上げたら、次の社会起業家のためのチャンスも作っていけたらと考えている。それがすこし先の私の未来だ。

多くの難民キャンプがあるカヤ

よりよい社会のためだけに

ブルキナ三週間の滞在の最終日は、私が参加するビジレザの最後の月次だった。時差があり、まだ外は真っ暗な朝4:30から月次に参加した。新代表の二人が率いる、彼ららしい月次を聞きながら、いい船出だと感じた。きっとこれからのビジレザは大航海に出る、そう改めて確信した。朝日が昇り、少しずつ外は明るくなった。清々しい朝だった。

今の私は、ビジレザの社長を退任することに、後悔ひとつない。新しい代表たちとビジレザの船出を、世界で一番ワクワクしている。でも、寂しくない、と言えば、嘘になる。こんなにも素晴らしい仲間たちに、私はこれからも出逢えるのだろうか。そう思えるほどビジレザの仲間は素晴らしい仲間だった。私の一生の宝物だ。

そんな大好きな仲間たちが、私の志を応援してくれている。今、愛する船を一人で降りて、自分が活きて生きる場所で新たな船出をする。もう一度、流木を拾って、紐で結んで、イカダを創る。この社会がよりよい社会になるためだけに。 

最後の月次

Special Thanks ビジレザの仲間たち
未熟な船長の荒い操縦に、みんなを船酔いさせたこともあるし、私自身が船酔いしたこともあります。力不足で申し訳なかったと反省します。でもみんなが私を、人として、経営者として、成長させてくれました。みんながいなければ成し得なかったことばかりでした。心から感謝しています。みんなのことがこれまでもこれからも大好きだよ。

Special Thanks 田口さん&鈴木さん
新たな挑戦ができるボーダレスに、そして新たな挑戦ができるボーダレスを作った田口さんと鈴木さんに感謝します。二人は「そんな感謝はいらないから、はなみちが考えるいい社会を創ってこい」なーんて言われそうだけど。でも本当に感謝しています。

Special Thanks ボーダレスの仲間たち
社長を退任する、新しい事業に挑戦したい、そう伝えたすべてのボーダレスの仲間たちが背中を押してくれました。社会をよりよくしたい、そう行動する仲間たちに私はいつも刺激を受けています。本当にありがとうございます。これからも一緒にいい社会を作りましょう。

【編集後記】
「はなみちのビジレザ経営日記」をお読みいただきありがとうございます。大航海に出るビジレザも、新たな船出をするはなみちも、応援してくださるとありがたいです。どちらの船もよりよい社会を創るためだけに、前に進んでいきます。はなみちのビジレザ経営日記は完結しますが、今後も違う形で発信を続けたいと考えています。引き続きよろしくお願いいたします。


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