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孤独を感じたら

私の周りで、
最近旅立つ人が多いのです。

海外に移住する人。
学びを深めるために職を辞す人。
生活スタイルをガラリと変える人。
夢を諦めることを決意した人。

移動距離を伴うリアルな旅立ちもそうだけど、
今後の生き方を変化させるような心の旅立ちをする人が多いのです。

お一人お一人の旅立ちの報告を聞く度に、
感じることがあります。

旅立てる人は、
「自分に還ることができる人」だって。

自分というホームが確立されていて、
だから安心して旅立てる。
お金にも、職業にも、友人や恋人にも、
家族にすら依存せずに自分で立っている。

他人に自分の幸せを求めていない。

いや、そもそもどこにも幸せを求めていない。
幸せは既に自分にあるもので、探す必要がない。だから、寂しさを感じない。
当たり前のちょっとした不安や寂しさはあっても、
あくまでも実務的なもので、誰かにすがらないとやってられないような寂寥感に襲われることはない。

逆に言えば、
他者への依存が孤独感を生む。

「誰かがいれば(何かがあれば)幸せ」であれば、
「誰かがいないと不幸せ」と同じ意味。
人じゃなくても同じ。世間に認められたら幸せ。=世間に認められなかったら不幸せ。ヨガインストラクターになったら幸せ=そうじゃなかったら不幸せ。

極端な相手ありきの限定的な幸せを「依存」と呼んだり「孤独」と呼んだりするんですね。

依存している人(もの)があると、動けない。
その人から連絡が来た時、私が動けるようにしたいから。
そのものを手に入れられるタイミングで、私が動けるようにしたいから。
待ってないといけない。知らず知らずのうちに呪縛のようにがんじがらめになって、ものすごくしんどくなって、待ってる間は暇だからありとあらゆる妄想をしてしまって、もっと、しんどくなる。
でも、感覚が麻痺してしまっていて、しんどいという状況を与えられているだけなのに、その人(もの)と関われるだけまし、むしろ関われて幸せ、なんて錯覚してしまうこともある。抜け出したいよね。

一方、幸せを他に求めていない(具体的な目標はある)自立している彼らはみんな自ら動く。結果は様々だけど、ポジティブな結果だろうがネガティブな結果だろうが、決断できた自分を自分自身でリスペクトしているし、そこに至った経緯に感謝している。
胸張ってるんです。

もちろん、
変化するばかりがいいとは限りませんよね。
継続は力なりです。

けれども、継続か?変化か?の迷いが生じて、適切な判断ができない時、それは多分その時何かに依存している可能性は高いと思います。

だって、依存相手が最大の基準だから。
その人を中心に地球が回ってるんだから。
判断基準を全部もってかれちゃってる。
むしろ適切に判断する方が難しい。

依存ではなく、共存する為には、
誰かとではなく、私と生きていく為には、

自分とは一体なんなのかを知る必要がある。
自分の中に満たされているものがなんなのかを知る必要がある。
自分に信頼を置ける根拠を知る必要がある。

具体的にどうしたらいいんだろう?

それにはまず、
好きなことや得意なことを一旦全部心の引き出しから出して、眺めてみたらいい。

⚫︎私はこれが好き。
(本当に?前の彼氏が好きだったからなんとなく自分も好きになっただけじゃなくて?)

⚫︎私はこれが得意。これがやりたいことだ。
(本当に?これが得意って言えば見栄えがいいからじゃなくて?)

⚫︎私はこれが大事。
(本当に?憧れの人も大事にしてるからなだけじゃなくて?)

こんな風に。
依存から生まれた「好き」「得意」「やりたいこと」「大事なこと」はどんどん自分の引き出しから捨てちゃいましょう。好きなフリしてたもの、得意な気になっていただけのもの。他人の基準に乗っていたものは全て排除していく。よーく検討することですよ。

最後まで残ったものが、
私だけの「好き」「得意」「やりたいこと」「大事なこと」。思ったより少ないかもしれないけどそれくらいでいいんです。

でもね。
それってなんで好きなんだろう?
なんで得意なんだろう?

例えば…
⚫︎私は本が好き。
なんで?子供の頃、お父さんが毎週本屋さんに連れて行ってくれたから。
⚫︎私は歌が得意。
なんで?歌うとお母さんが笑顔になるのが嬉しくて、いつも歌っていたから。

残った「私だけの好き、得意」をもう一段階掘り下げてみたら、結局のところ自分由来で誰にも手垢のついてない「私だけの好き」「私だけの得意」なんて、本当は一つもなかった。
そんなもの、ないんだよ。

血の繋がってる家族じゃなくても、誰かしらのサポートがあって、好きと得意が生まれてる。

「私の好き」も「私の得意」も
誰かの愛でできてる。
とても深い愛で。

それに気づいて欲しい。

私という存在が、
あったかいおうちに見えてくるから。

ほら、安心して還る場所ができたでしょう。
孤独を感じちゃいけないわけじゃない。孤独を感じたら、思い出す。この繰り返しです。

還る場所がある人は、
他の還る場所がある人と対等に付き合える。
互いを尊重し合える。
素敵な関係が築ける。

そして、また変化できる。
旅立てる。
どこにでも。いつまでも。何回でも。
だって一人じゃないからね。私は多くの人の愛で出来ている。

そう思います。

そして最後に。yogaを学ぶとより見えてくること。
本当は私は多くの人だけじゃなくて宇宙全体に愛された結果ここにいるのだから、

究極を言えば、なーんにもなくたって大丈夫なんだってこと。

人生の旅は
手ぶらで出来るんだ。

さて、その空いてる手で何をしようか?






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