見出し画像

心の回復が辿る道:9.11同時多発テロ事件遭遇後の個人的経過について

 2001年9月11日にアメリカ合衆国で起こった同時多発テロ事件は、今や教科書に載る現代史上の事件として扱われている。近年は、アメリカでも若い世代にこの事件のことをどう伝えていくかが課題とされているという。あれから19年。

 当時シカゴで大学院生をしていたわたしは、事件の日、たまたま旅行でニューヨークを訪れていた。この日に飛行機でシカゴに戻る予定だったのだけど、飛行機の運行は停止され、ホテル宿泊の延長も断られて行き場を失った。NYCを鉄道で脱出し、州内の小さな町の知人宅に転がり込んで、数日後にグレイハウンド・バスでシカゴまで帰った顛末は、一部フィクションの体裁にした上で2003年に朝日新聞北海道版に掲載していただいた。現在は朝日新聞に許可を受け、北海道大学のサイトに掲載している。(https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/14632)

 しかし、自分では長年読み返していない。若い頃に書いたものを読むのは気恥ずかしいということもあるが、主には、当時の体験を思い出すことで心身に不調が現れるのが怖いからだ。

 何か衝撃的な体験や辛い経験をした場合に、話したり書いたりすることでそれが整理され、心の回復につながるという説をかつてはよく見た記憶がある。一方で、それがかえって傷を深めるなど、マイナスの方向に働くことがあるという説も見た憶えがある。(※このあたり、今は専門領域でどのような議論になっているのか知らないため、関心のある方は専門家の意見を参照してください。)

 原稿を書いた後は、これで一連の出来事を消化できたと思った。また、授業の中で学生に体験の話をすることもあり、その間もおおむね平静だった。
 ところが、2003年の夏に突然、混雑した地下鉄内でパニック症状を経験し、その後数年にわたって専門医のお世話になった。閉鎖空間や乗り物に乗ることが恐怖の対象となってしまったのだ。
 担当医は当初、テロ事件を目撃した件とは関係ないと思うと言っていたが、症状が緩解して治療を終える時には、関係があった可能性を示唆した。初めに関連性を否定したのは、因果関係の証明ができないことと、テロが原因だと思い込むことが治療を妨げる可能性があったからだろうと推測している。

 そしてさらに年数が経ち、今から3、4年前だっただろうか、授業の中で9.11事件について触れた。話し始めてすぐに心臓の鼓動と呼吸が早くなり、身体が震える自覚があった。平静を装って早々に打ち切ったが、顔色が変わっていたのではないかと思う。
 それから授業でテロの話はしていない。関連の教材を扱うこともしない。

 かつては、ショッキングな出来事からの心身の回復は、時間を経るに従って一直線に進むものと思っていた。けれども、この長い年月の間の経験を通じて、それは行きつ戻りつするものと考えるようになった。ある時期には事件について語ることができるのに、それより後の時期には語れなくなる。再び語れる日は来るのかもしれないし、来ないかもしれない。
 そこには様々な要素がからんでいるだろう。ある時点での健康状態や周囲の環境、年齢を重ねたことによる物事の捉え方の変化など、すべてが関わっている可能性がある。

 さらに言えば、回復という言葉は、実は正確ではないかもしれない。問題の出来事が起こる前の状態に戻るのではなく、適応とか、折り合いをつけて生きられるようになるというのが実態に近いように思う。何もなかったことにはできないが、現在の日常生活と人生に過去の衝撃が侵食して来ないよう、心身をケアし、コントロールするすべを身に着けていく。

 確かなのは、こうした経緯を辿っている真っ最中の人たちがたくさんいるということだ。街ですれ違う、自分とは全く属性の異なる人たちも、同じような体験の仲間かもしれない。

 以上は一個人の体験談に過ぎない。けれども、自分の記録として書くとともに、心の回復過程に関心のある人のための事例として役立つかもしれないと思い、この場に記しておくことにした。

(掲載のスナップ写真は事件前日のNYCのスカイラインと、当日朝にホテルから見たWTCビル。筆者撮影)

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?