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話してみないと、わからない。

このところの状況を見ると、連続投稿対決をしている相手のネタ切れが透けて見えるので、「これは勝った」と一人悦に入っていたのですが。

昨日の投稿を見たらまれにみる力作で、しかも新しいネタを繰り出しているではないの。むむむむむ。

対決相手は職場の人ですけど、一緒に仕事をしているわけではなく、話す頻度としては一週間に一回くらい。私よりだいぶ年下の男性なのですが、話が面白いし、割とどんなトピックでもレシーブしてくれるような幅の広さもあるし、さらに何か一つの事柄について話して、どう思う?と聞いた時のレスポンスも私の予想外のものが多くて、私としては話していて楽しいです。もっともここまで話してくれるようになるには結構時間がかかって、最初の頃は口数も少なくて、何を考えているのかもまったくわかりませんでした。

話は変わりますが、高校の同窓会に出たときに、同じクラスで同じ時間に同じことを共有していたはずなのに、みんなの記憶している内容が違っていてびっくりしたことがあります。同じ場所にいても、みんなその時に「感じたこと」や「見え方」というのは違うし、結果的に心に残るものも違う。それらをすり合わせて、なるほどー、あの時にそういうことを考えていたのか! と卒業後何年もたってから、みんなで笑いあったり、感心したり、驚いたりしたのでした。

ただそれも目の前を通り過ぎていく事柄を「ぼんやりと眺めていく」だけでは心に残らない。それぞれの事柄を「しっかりと見て(観て)」、そして「考える」ことが重要。なので、いたずらに時間ばかり過ごしていても、何も残らない人もいるし、わずかな時間でも多くのものを獲得していく人もいる。

車の運転なんかもそうで、私は下手ですけど、運転しながらどうしたらもっとうまくなるか考える。プレゼンも同じで、漫然とやるだけでは絶対にうまくならない。他人の発表を聞きながら良いところ・悪いところを考えて、自分だったらこうするとか、ここを参考にして今度試してみようとか考える。なので、同じ授業を毎年繰り返している大学の先生は、場数は踏んでいても、プレゼンとしてはうまくはない。

話を戻すと、その「対決相手」である彼は、多分、いろいろ「観て」、それぞれについていろいろと「考えて」いるのだと思います。だからどんなトピックでも対応できるし、それぞれについて意見を求められても、それまでに考えていた蓄積があるから困らない。

職場にはいろんなキャラの若手がいて、「俺が俺がーーー」と前に前に出てくる人も結構います。そういう人とは一見話しやすいものの、口数は多くても、話していると内容が浅かったり、どこかから借りてきたような(ネットで誰かが言っていたような)意見だったりして、深く話すにはツマラナイ。

ただ、そういうのって「しっかり話す」という機会がないとわからないのですよね。私に見る目がないだけかもしれないけど。全員としっかり話すことが出来れば、口数の少ない人でも、実は豊かなバックグラウンドを持っていることがわかるかもしれませんが、なかなかそこまでは・・・。

なので、せっかくなのだから、もっとそういう「いいところ」をもうちょっと前に出してもいいと思うのですよ。N君。
(写真は本文と関係がありません。)