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#17 大正ロマンと漂泊 竹久夢二美術館(東京都文京区)

竹久夢二(1884-1934)は、美人画で一世を風靡した大正ロマンを代表する画家。岡山県邑久郡(現、瀬戸内市)に生まれる。16歳で上京、1905年(22歳)、早稲田実業専攻科に進学するが4ヶ月で中退。月刊誌「中学世界」の懸賞に応募し、コマ絵「筒井筒」が一等入選。

画壇に属さず、独自の作風で日本画、油彩画、木版制作を行う。詩、童謡なども多く、まさに都市文化が花開く中、大衆芸術のスターであったと言えるかもしれない。恋のエピソードも多く、岸他万喜、笠井彦乃、佐々木カ子ヨとの恋愛などが有名。

美術館では多くの所蔵作品が飾られていたが、個人的には旅(漂泊)に関する記述、作品が興味深かった。

愁うる人は山をゆき おもはれの子は川竹の 流れのきしのゆふぐれに
ものもおもはねば 美しき夢
忘るるをつとめのごとく 旅ゆくなりわいに われぞ さまよえる猶太人

日本各地を旅しつつ、抒情を描き続けたが、竹久が1931年(48歳)にてアメリカ、ヨーロッパに渡ったのは知らなかった。

竹久は欧米訪問の前年、生活と芸術を結ぶ運動「榛名山美術研究所」の宣言文を発表している。印象的だったので以下にシェアする。

「山の家」を建てる畵會

まづ、何故山へゆくか。
国家人類のためだ、など先を越した言い分は止そう。何より自分を高め生かしてゆくために、自信のもてる仕事を完成するために、である。

では、何故山が好いか。
思想の混乱、感情の錯綜、感覚の頽廃、生活のスランプ、組織のパンク、そういふ我等の時代層から、山だけが屹然空気をぬいている。山だけが原始の朗らかさと、おほどかな力をもっている。これは比喩でも、童話でもない。

で、山で何をするか。
社会主義でも、国家主義でも、反動思想でもない。まづ生活の心構え、様式を自分の手によって始めてゆかうとするのだ。最單位の欲望から出発する。最初の藝術から試みる。で、吾等の仕事が、やがて、地方人の新しき木工、染織、紡績、製陶、音楽、詩歌、舞踏夢等を育て促す機縁となることを期している。

新たな一面を窺い知ることができた気がする。


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