「めでたくもあり、めでたくもなし」
室町時代の禅僧 一休宗純は正月を次のように詠んでいます。
「門松や(正月や)、冥土の旅の一里塚めでたくもあり、めでたくもなし」
一体どういう意味なのでしょうか。
日本には「数え歳」という文化があります。
日本仏教の行事は数え歳を基本にする事が多いです。
それは、この世に生まれた時から生命が始まるのではなく、お母さんの体内に生命が宿った時から命を頂いている、と考えるからです。
生まれた時に1歳、そして正月を迎える度に1歳ずつ加齢していく考え方です。
私たちはお正月に「おめでとうございます」と言います。
それは1年の幸せを運んできてくれる神様「歳徳神(としとくじん)」を我が家にお迎えし、過ぎ去った歳の無事息災へ感謝し、来たる一年間の招福を願う。
そして、その歳神さまから一つ歳を賜るという行事が正月だから「めでたい」わけです。
年の始めに「歳」を頂くから「めでたい」という気持ちに繋がるわけですね。
「数え歳」には、このような精神文化が内包されています。
一休宗純は、正月を迎え1つ歳を頂く事は「めでたい」が、1つ歳を重ねる事は「冥土」に一歩近く事だから「めでたくもなし」と詠んだのでしょう。
確かに「冥土」に一歩近く事は、嫌な気持ちになることもあるでしょう。
でも私たちは、何れにせよいつかは冥土に逝きます。
であれば、歳をただ積み重ねていると考えるより、歳は頂いていると考え、その大切な歳神様からの頂き物を今年1年どのように活かしていくか、と前向きに考えてはいかがでしょうか。
人が亡くなった時、私たちは位牌に「享年」と記します。
享年とは「享(う)けた歳」という意味です。
ただ過ぎ去った年月ではなく、その人が頂いた歳です。
頂いているからこそ、日々を一瞬一瞬を大切にするように仏教は説きます。
少し廃れつつある考え方ですが、お正月は日本古来の精神文化の宿る「数え歳」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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