『子プリvol.1』雑記②

続きです。

(↑前回)

『うたうくらし』 諏訪灯

作者と短歌のつながりを短歌で表現した連作です。
難しい入れ子構造のような雰囲気は全くなく、日記のような形式で作者のありのままが綴られていて読みやすい連作でした。
定型を守った歌が多いのが良かったです。説得力がありました。
それから、性質上一つ一つの歌に強さはないものの、すべての歌がプラスの方向に向いていることでその思いがしっかりと伝わってくるようで、連作であることの強みも感じました。
そう、総じて短歌が好きという気持ちが文章以外のところからもひしひしと伝わってきました。
そういう意味でこのテーマを扱った作品としては大成功を収めていると言ってもいいのではないかと思います。

名も知らぬ誰かの心に風が吹く歌を生み出すことが夢です

連作の終わりの歌です。
僕も短歌をやっているからかどうか、素直に刺さった歌でした。
「風が吹く」がちょうどいいからではないかと思います。
表現としても爽やかなイメージがこの歌や連作にすごく合っていると思います。そしてその態度みたいなものも、本当にそう思って夢を抱いているんだろうなということが、ありのままを描いてきたこれまでの歌を読めば自然と納得がいくような、そんな言葉選びだと思いました。

ところで、この作者は自分の歌で他人の心に風が吹いたことをどうやって認知するんでしょうね。なんといっても「名も知らぬ誰か」ですからね。
今はネットも当たり前のようにあるから、何も知らない人でさえ作品に対しての感想ならすぐに伝えられるけれど、一瞬の風を伝えられるほど早くはないよなと。
感想を言いたくなることが風が吹いた証である、というのではちょっと味気ないというか、個人的にはすごく勿体なく思うのですよ。
この問いの答えは僕には答えが出せなさそう、というか他人が答えを出すなんて別に意味もないことだと思うのでここまでにしますが。(なので「夢」という表現も個人的にしっくり来ていますと付け加えます)
つまり何が言いたかったかといえば、作者はこの先ずっと短歌を続けていくのではないだろうかという予感が膨らんだということです。
そして何よりも、そんな大きな夢を抱いた作者の短歌をこの先も追っていきたいと思います。

『三年目』 雨虎俊寛

恋人との別れと、一人になってからの「きみ」への変わらない思いを詠んだ連作です。
連作の時間設定として、別れの時と別れてから三年目(とは書かれていないけどそう解釈しました)の二つが軸になっていて、前半後半を構成しているつくりになっています。
特に後半は「きみ」がほとんどの歌に詠みこまれていて、それはもう痛々しいほどです。その痛々しさが前半の二人でいる描写によって際立つように作られていて巧みだなと思いました。
個人的に前半後半それぞれに費やす歌の量とかそもそも12首でなることに対してとか、長さがちょうどいいと思いました。
そして特筆したいのが、前半と後半をつなぐ役割として1首この歌が挿入されています。

雨がふるふる紅葉ちるちる雪がふるふる桜ちるちる満ちる

この歌ひとつで季節が過ぎていった描写が完結しています。
そして、この連作の中でプラスのイメージを持つ動詞ってこの歌の「満ちる」だけかなと思ったんですよね。
この歌によって、巡っていく季節と主体の存在にずれが生じていて、季節が繰り返す毎にどんどんと広がっていくような感覚を植え付けられていました。
ずれということを言うと、この歌は音の繰り返しがとても強い歌だと思うんですけど、韻律で切ってみると、
 雨がふる/ふる紅葉ちる/ちる雪が/ふるふる桜/ちるちる満ちる
とだんだんずれていく、そんな普通でなさもあり、連作を支える歌として重要な役割を担って有り余る歌だと思いました。

「いつかまた」守らなくてもいいような最後の嘘をふたり交わした

前半の歌です。
「守らなくてもいいような」がいいですね。
リアリティのある描写だと思います。
単体の歌で見て一番好きな歌なのですが、この歌も全体のバランスを整えるのにも一役買っているなと思いまして。
後半の歌はすべて別れた「きみ」のことを詠んでいること自体からも、主体は女々しいところがあって、未練なんかも感じさせます。
しかし、この歌は客観的視点が入っているような感じがして、落ち着いているんですよね。
単純な対比なんですけど、後半が更に活きてくるなと思いました。

『猟犬とディアナ』 中武萌

修士2年の主体が過ごす年末を描いた一連。
修士2年の年末といえば、修士論文を書かないといけない大変な時期で、それこそ作中にも論文を書き詰める主体の様子が描写されていますが、その心模様を中心に描くのではなく、ぴきっとした空気が張り詰めた冬のもとにいる一人として描かれているようです。
この連作のタイトルは、そんな張り詰めた空気のもとにいるあるひとりと一匹を表したものと読みました。
全体的に難しい言葉などは使われていないものの、作者の知性があふれるような言葉遣いがされており、静かな印象を受けます。
韻律も非常によく、きっちりとした定型ばかりではなく字余りもいくつかあるとはいえ、句またがりがほとんどないところもそれを際立たせています。
さらに一首ごとが表す時間もミニマルになるように作られているのだと思います。
それもあって、冷たい冬の空気感が実態をもって読み手に伝わってくるようでした。

指先はつめたき水に触れしよりあかあかとひかる年越しのあさ

連作の最後の1首より。
冬の水や空気に触れると冷たくて赤くなる、みたいな景は短歌でも見ると思うし、誰もが持っている観念、それも身内とかの間での瞬間的な苦しみとして割と俗っぽいテンションで語られがちな内容だと思うんですが、ここまで知性を持って表現されると自然とため息が漏れるようですね。短歌の定型の力であり、作者の力量かなと思います。

この歌を読んで評を練っているときに全体に言えそうだなと気づいたのですが、紡がれた言葉の視点の向き方、そしてその温度感がよく表れている1首だなと思います。
歌に出てくる「指先」という言葉、実際に指先だけ濡らしているのかもしれないけれど、手を濡らしているかもしれない、でもいずれにしても濡らしている現象が起きている部分のちょっと先、先端を見ている。
それは鋭いような気高いような印象を受ける一方、冷たく感じる。
けれども、やはりともすれば鋭く冷淡な印象を受けがちな「つめたく」、「ひかる」などの語彙もひらがな開きになることで、その先端が尖りきっていないような、端正なものになっていると思います。
そのような作者の特徴がよく表れている心地良い1首でした。

『ひとまたぎする』 草薙

家族と過ごす年末年始の場面を書いた作品。
とはいえ、多くの家族で集まっている描写はなく、1つの歌に出てくる他人は大体1人までです。「弟」が作中に出てくるので、ほかに登場した他人もほぼほぼ弟なのかなと読みました。

連作を読んで、この作者は普通の人の視点から詩を表現することができる人なのだなと思いました。
詩作をするとき、あるいは日常の中の詩に気付いたとき、その詩を言語化する過程で詩を作らない人だと使わない脳を通って詩が生み出されていくとなると、その過程が歌から滲み出ていることもあるじゃないですか。
それでいい場合と悪い場合とがあるとも思うんですけれど、この作者の歌はそうではなくて、あたかも詩人のフィルターを通っていないような感じがしました。
それは歌の中に登場する人や物に対しての主体のとらえ方が自然で、誠実だからだと感じています。
そして今回の連作で言うと、人物に対しての振る舞いにも親しさと優しさが一貫していて、連作としての柱となって機能しているように感じました。
(弟のことをすべて描いていると思ったのもこの一貫性からですが、改めて考えると家族という特別な関係性だと思えばそうでなくてもおかしくはないなと思いました)

黒を白くろをしろへとまたいつかオセロをしてくれますか、弟

「オセロ」がまずいいです。あったらやるか~という流れになる可能性もあるし、別にいいかってやらない可能性だってあるものです。
今回の連作の中にあると、お正月、年に1回かあと少しかしか会わないという状況の下で、そのオセロのやってもやらなくても良さが際立っている感じがします。
加えて、福笑いとかビンゴとかいった恒例行事になっていなさそうな遊びという意味でもオセロの選択は生きていると思いました。
その上で、「弟」への呼びかけが「してくれますか」なところに、前述の自然さが特に表れていて好きです。
「黒を白くろをしろへと」の描写は、白が多く裏返してお互いにしっかり考える場面ではなくなっている表現と読みました。
おそらく主体が白で、弟に大勝したのでしょうか。
主体の姉としての立場、弟へ向かう視点、オセロというもののとらえ方、全てを鑑みてせめぎあった上で「してくれますか」になっているのだと思いました。
そういったところがすごく表れている歌で、この歌にだけ「弟」と特定の人物が登場しており、特別な愛情を感じさせるところも併せて良かったです。

『jam jam』 谷口泰星

音楽に関するモチーフを多く詠み込んだ連作です。
そして後半には「言葉」が二度詠み込まれています。
この二つの要素が作者にとって非常に大切な要素なのだということが伝わってくるような、丁寧な連作だと思いました。

連作を通して読むと、前半から中盤にかけて音楽のモチーフが必ず出てきているのですが、9首目以降はその限りではなくなっています。
そして特筆したいのが、前半には広い空間があってそこで鳴っている音楽、という性質の歌が多い一方で、中盤には「あなた」、そして主体の姿に音楽を重ねるという作りの歌が多くなっていることです。
視点がだんだんと外側から内側に向いていく様子、そして作中に出てくる静かではあるけど穏やかではない名詞やもったいぶった言葉回し、音楽のモチーフに関しても華やかなものというよりはずっと静かであったり脇役の印象が強いものである点からも、主体に何かの後悔があることがひしひしと伝わってきます。
そして後半へ向かいます。

パチパチと燃える言葉の輪郭にふれる たしかに熱いと思う

9首目。
これまでの静かなトーンから一転して、8首目から9首目のこの歌にかけて熱を帯びてゆきます。
「たしかに熱いと思う」は1首だけで見ると前の1時空けも含めやや大げさにも思えるのですが、連作を通して読むと、大きな説得力を持っているように思えました。

作者はコピーライターをしています。
コピーライターにとっての要である言葉、そのベースとなった音楽。過去から現在につながる作者にとっての本質である部分を表現した連作なのかなと思いました。

五線譜にホットミルクの湯気は立ちすべての声は音符に変わる

音楽と主体の近さを表す1首だなと思いました。
「ホットミルク」の温かさが主体の耳に入る「声」を読み手にも実感させるような効果を担えています。
「五線譜」という音楽をするときにしか使わない云わば無くてもいいものに「湯気」という実体のないものが乗っている情景は何とも不思議で、特に「立ち」の言い切りからして五線譜があるものとして置かれているのは(音楽をしない私にとって)何とも奇妙です。
ですが主体が「すべての声は音符に変わる」と感じているのもさらっと書いてあるけど不思議なことで(主体にとっては普通なのかもしれないけれど)、ずっと普通ではないことをずっと普通な感じで描いているのが面白かったです。
「すべての声」は人の声だけでなくて、物音なども含んでいるのではないかなという気さえさせてきました。

『楽園の雪』 若枝あらう

冬の連作。作中で「きみ」が何度も出てきます。
古くから恋の歌のことを相聞歌と呼んだりしますが、この一連は相聞といってよいのか迷ってしまいます。
まず、きみという言葉自体は何回も出てくるのですが、きみの周りの描写に終始しておりきみの存在が立ち上がってこない点。(「きみの匂い」から僅かに感じ取れるくらいである)
そして、主体は受け取った感情を感慨として消化していて、きみに送ろうという意思が見えない点。
つまり、きみからは何も送られておらず、主体もきみに送っていない。
でも「楽園」「恋愛」と核心に近い言葉も多く使われており、そこに確かな愛情が感じられてしまう。
きみにすら届いていないものを、主体と何も関係を持たない私はどう読めばいいのか戸惑ってしまいます。
主体が自分の周りだけで作られた世界を守り、他を排除しようとしているように見えるほどです。

作中で、実態を持たないもののモチーフがたくさん出てきます。栄養素、温度、暗喩、漸近線、匂い、など。
それはわざわざ言及するに足らないものであったりする。
食べ物を栄養素に置き換える必要はないし、暗喩でないことを確認しなくてもよい。
あるいはそれがないと不安を引き起こすものであったりする。
温度、匂いからは他者の存在を感じることができます。
主体はきみが確かにいる空間の中で、小さな場面の一つ一つやきみに纏わるいろいろなものを、自分の中でゆっくり確認して大切にしようとしているのではないかと読みました。
そういった意味で、この一連は自己を通した相聞歌と言えるのではないでしょうか。

ほんとうに幸せそうに眠るよね ぼくは本心から毛布だよ

この歌の中にも眠っているきみが登場していて、下句では語りかけている口調になっています。
それでも、眠っているきみに声は届かないし、「ぼくは本心から毛布だよ」は眠っているきみに送っている言葉だから起きた後に届ける言葉でもない。
私はこの歌の肝は「本心から」だと思います。
この歌は終盤の歌で、ここまでの流れで主体のきみへの思いは伝わるので、この「本心から」も口だけではないと読めるのですが、ということはこの感情は主体の中でしっかりと咀嚼された感情であることが分かります。
やはり、主体は自分への確認を行っているのです。
そうやって主体が自分で確認をしてから表現した言葉に心を打たれました。

終わりに

ここまでお読みいただきありがとうございました。
一参加者としても『子プリ』に参加することができて本当にうれしく思います。
そして更新が本当に遅くなってしまいました。(前回から11か月空いてしまった)
書かないといけないなと思っていたんですけど、まあ年末までには、ってどこかで思っていたのがまずダメだし、それで書かないのがもっとダメだし、今年中に発表出来たら結果的にはいいかと年末には頑張っちゃって大みそかに発表するところが一番駄目だと思います。3ぺけです。

と、それはほとんどの方には関係ないことだと思いますが、本当に言いたかったのは、2021年にも子プリが出るよ!!!!!!ということです。
発起人のあらうさんには素晴らしい場所を継続してくださっていることを本当に感謝したいです。ありがとうございます。
発行された際はぜひ皆さんお手に取ってご覧ください。

(ちなみに私も現在頑張って作っていますが、間に合わないかもしれません...)

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