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ニール・ヤングに気付かされたこと(勘違い)

それなりに音楽に時間を費やしてきた人生だと思うが、これまでに何度か忘れられない曲やアルバムに出会う瞬間が訪れた。そのうちの一つがニール・ヤングの「After The Goldrush」というアルバムなのだが、今でもこのアルバムを聴くと20代前半に感じていた心の揺らぎや足元の覚束なさ、明るさと暗さを同時に感じていた当時の将来を思い出すことができる。

先に言っておくが、僕は特別ニール・ヤングのファンということではない。「After The Goldrush」に始まり、彼&彼の周辺の作品一時期聴き漁っていた時期もあったが、今現在ふと思い出して聴くアルバムはこの一枚と、あと数曲程度だ。

20代前半の頃の僕は、当時大学生で日々何かが起こること、何かを起こすことを夢見て悶々と過ごしていた。若いうちによくあることだと思うが、自分は選ばれた人間で、何かが起こっても特別な存在でいられたり、もしくは何か大きなことを起こす力を持っていると信じていた。19歳の時に初めて海外へ行き、少しの間そこで過ごしたことも拍車をかけていたかもしれない。そこには何の根拠もないし兆しもないから、そのギャップを埋めたくてもがいていた。仲の良い友人とバンド活動をしてみたり、たくさんの本を読んで知識を植え付けてみたり、留学に行ってみたり。その中で唯一痛みや苦しみを伴わず、結果的に純粋に楽しんで、かつ大いなるものを授けてくれたのがバックパッカー(個人旅行)だった。

19歳から20歳の約1年ほどイギリスで過ごしたが、勉強そっちのけでほとんど周りのヨーロッパの国々へ旅行へ行っていた(当時は格安エアライン全盛期だったから、信じられない値段で飛行機に乗れた)。そこで様々な文化に触れ、もっと世界を見たいという気持ちが芽生えた。島国日本で育ったから、ほんの数時間鉄道やバスで走れば国境を越え違う国へ行くことができるという感覚も、とても新鮮に思えた。その小旅行の際に先々で見かけたバックパッカーたちの姿に、僕は興味深々だった。大きなザックの中に一切合財を詰め込み、数日滞在して次の街へ向かう…彼らは一様に汚かったが、僕には皆輝やいて見えた。未知に出会うために世界を旅し続けるなんて、ロマンに溢れている。

イギリスでの放蕩生活の末に日本に帰国し、バックパッカースタイルで旅をすることに決めた。時期は夏季休講がいい。休み明けの最初1週間を削れば丸々2ヶ月期間が取れる。ただし金はないから、比較的安く回れる地域がいい。さてどこがいいかと地図を眺めていると、何とも回りやすそうなアジアの半島が目についた。インドシナ半島である。ぐるっと一周すれば4カ国(タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス)回れる、ここにしようということで、勉強そっちのけでバイトに励んだ(そう、いつだって勉強はそっちのけだ)。

出発前にYouTubeでレディオヘッドのライブ映像を見た。「Everything In Its Right Place」の演奏前に、トムが何かのカバーを弾き語りで歌っている。フェンダーローズのメロウな響きに載せて、トムのか細く不安定な歌声が大きな会場に響く。何を歌っているかわからなかったが、明るくもないが暗くもない。けどすっと力が抜けて、競争から抜け出すような、救われるような感じを覚えた。とてもいい曲だと思ったので調べたら、それはニール・ヤングの「After The Goldrush」のカバーだった。出発前のバタバタした時だったからじっくりアルバムを聴く時間はなかったが、とりあえずiPodにデータをぶち込んで、僕は初めてのバック一つの個人旅行へ出かけたのであった。

Thom Yorke singing "After The Goldrush" at Eurockeennes '03

期間は約1ヶ月半、タイのバンコクから出発してカンボジア、ベトナム、ラオスと周り、タイ北部から再入国後そのまま南下し、バンコクに戻るルートだ。初めての東南アジアはそれまでに見てきた常識をひっくり返すような光景の連続で、刺激が強かったせいか最初の2週間くらいはまともに音楽を聞かなかったと思う。ベトナムに入国したあたりでカンボジアの食べ物にあたったのか盛大に腹を壊し、休み休み行動することにしたおかげで音楽を聴いたり、本を読んだりとゆっくりする時間ができた。

ベトナムを後にし、ラオスに入る。ラオスはタイでも、カンボジアでも、ベトナムでも見なかった景色が広がっていた。何もないのである。噂では聴いていたが、本当に何もない。観光なぞ各都市2時間もあれば終わってしまう(しかしこれこそがバックパッカーの醍醐味というのをここで学ぶ)。何となく決めていたその後の行程もあるし、仕方ないのでメコン川を眺めて過ごすことにした。音楽を聴いたり本を読んだりしながら、何となく自分のこと、これからのことについて考えたりしてみる。

何か人と違ったことをしたいから、人と違った道を選ぶことが正しいのだろうか。そもそも俺は何者なんだろうか。実は取るに足らない人間なのではないだろうか。人は俺をどう思っているのだろうか。今の俺にはどんな鎧が必要なんだろうか…

メコン川の流れは、そんな感じで頼みもしないいくつもの疑問を運んできてくれる。何もしないつもりだったのに、いつの間にか自分と対峙していた。それは一番面倒で厄介なことだ。嫌気が差してきた頃にiPodから流れてきたのが、出発前にデータをぶち込んできた「After The Goldrush」だった。やはりいい曲だったのは間違いないが、一節の歌詞が頭にこびりついた。

"I was thinkin' about what a friend had said,
I was hopin' it was a lie"
友達が言ったことを考えてたんだけど、嘘だって信じたい

After The Goldrush / Neil Young
(叔父のレコードコレクションから拝借中=いわゆる借りパク品)

(後で知ることになるが、どうやらこれは核兵器が落とされたというニュースを友達から聞いての一節という解釈が一般的らしいので、以下は一部を切り取って勘違いした青年の勝手な思い込みだと思って読んで欲しい)

若者はいつの時代も怠惰であるが、口では色々言う。やれ経営者になるだ、一流企業に入るから今から対策をするだ、TOEICで800点を目指すだ云々。その願望に嘘はないだろうが、実際ほとんどは何もしない。そうなればいいなと思っているだけだ。そんなまやかしを、僕は間に受けすぎていたのではないだろうか。みんなだって自分が何者なのかもわからないし、どうなるかなんてわかるはずもない。ただ、少しでも未来が明るくなればいいなと思ってその場で答えを捻り出しているにすぎない。20歳そこそこの子供なのだから自分の本質などわかるはずもないのに、周りの雑音に惑わされて答えを急ごうとしていただけだったのではないか。人と違う道を選ぼうともがいていたはずが、いつしか人と同じような道を歩き出そうとしている自分にがっかりしたが、同時に孤独でいること、自分の時間を大事にすることの大切さに気づいた。そして「思うままに生きよう、自分が正しいと思う道を選ぼう」と決めた。メコン川に反射する太陽の輝きが、それまではギラギラと僕を責めるよう見えていたのに、急に応援団のような、観客のような温かい声援に思えた。

振り返るとこの頃に自分の指針というか、主たる骨格が形成されたのかなと思う。今でもこの考えは変わっていないし、独立の際も同じようなことを考えた。ただ、正しいかどうかはわからない。どんな生き方を選んでも、こればっかりは死ぬ時にわかることなので、その時に備えて瞬間瞬間の判断を誤らないようにするしかない。

これだけでも価値のあることだったかもしれないが、僕はこの旅で貧困を目の当たりにしたり、生涯の友と呼べる人間に出会ったりした。今思うとこの旅行こそが人生のターニングポイントだったのかもしれないが、人生は点ではなく線だから、やはりその時々の選択を大事にするべきなのだと思う。慎重に、しかし大胆に。

そんなことを、ニール・ヤングは気づかせてくれたのでした(大いなる勘違い)。

※当時の写真を保存したHDDは以前ウィルスにやられて一枚も残っていないので、代わりに東南アジアっぽいフィリピンの写真を冒頭に掲載しました。


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