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わがままな優しき人たち。

帰りの電車の中でのこと、発車までにちょっと時間があって、私は座席に座ってひとり本を読んでいた。

車内は、ほどよく混雑していたのだけど、私の隣の空いていた席に、とても巨体な若者が、ドシン!と座席に座った。なんて横柄な態度なんだ。二人分の席のはずが、彼一人でいきなりいっぱいになってしまった。

彼はゴソゴソと私の横で、ケイタイを片手に腕を広げる。なんて態度が大きいんだ。(というか実際に大きいんだけど。)

その大きなカバンは自分のひざの上に置けないのかな?座席に置いたら隣に誰も座れないよ。それに大きく広げた腕が、私の体に当たってるよ。自分さえよければいいのかな?なんて私は思った。

若者の顔をじろっと見たら、確かにそんな顔してる。”長年、店員していたから、なんとなくわかるんだよな。”うん、この人はわがままな人だ。やれやれ、困った人だ。私は心の中で、ひとりぶつぶつとそう思っていた。

・・・・・・・
まもなく電車も発車する時刻になった頃、ふたりのご老人が、キョロキョロと空いた席を探し歩いていた。どうも二人分の席を探していたようだけど、席はどこも空いていなかった。

すると、突然、私の目の前の巨体な彼が立ちあがった。なんだ?トイレにでも行くのか?と私が不思議に思っていたら、彼は、横を通りすぎようとしていた、さっきのふたりのご老人に向って、こう言ったのだ。

「あ、よかったらこの席をどうぞ。お二人座れますよ」

なんとこの若者はご老人に、自分の席を譲っているのだ。確かに彼の席は彼一人が譲りさえすれば、二人分になる。あの巨体な彼のことだから、立つことになると、普通の人よりももっと苦痛だろうに。

「いえ、いいんですよ。私達は、すぐ近く駅で降りますから」

ご老人二人が遠慮がちにそう言った。

「僕もすぐ降りますからいいのですよ」

彼はとても自然な笑顔で、ご老人二人に座らせていた。

その目の前で、ポカンとした顔で座っていた私は立場がなかった。私が席を譲ってあげてもよかったのだ。なんてことだ、”長年、店員していたから、なんとなくわかるんだよな。” なんて誰が思ったんだ?むちゃくちゃ好青年じゃないか。

こんな自分を、なんだかちょっと反省したい気持ちになった。人は、その外見や、ちょっとした一面だけじゃわからないものだ。

・・・・・・・・・
私が電器売場の店員だった頃、レジでこんなことがあった。いきなり一人のおばさんが、怖い顔して私にこう言ったのだ。

「ねぇ、ちょっと、これ(5千円札)を千円札に換えてよ」

なんで私が叱られてるみたいに言われなきゃならないんだ?私はとても不愉快に思った。

「申し訳ございませんが、両替はこちらのレジでは出来ませんので、別の専用レジで両替致しますので」と答えた。(昔、両替詐欺の防止の為、そういうルールになっていた。)

「いいでしょ、早くしなさいよ!」

とそれでもそのお客さんは私を叱る。そうは言われても、出来ないものは出来ないのだ。その時、そのお客さんは、ちょうどラジカセをお買い求めだったので「では、このお買い上げの商品のお釣りの5千円を5千円札じゃなくて千円札でお渡ししましょう」と私は臨機応変に対応をした。

その私の対応でさえ、「なんでもいいから早くしてよ」と怒るばかり。確かにこちらの勝手な都合なんだけど、「助かるわ」のちょっとした一言があってもいいんじゃないか?

”あぁ、いやだいやだ。こんなわがままなお客さんは。” 私はそんなふうに、心の中でぶつぶつと思っていた。

おばさんは、千円札5枚のお釣りを受け取ると”ありがとう”の言葉はもちろんなくて、ツカツカと歩いて行ってしまった。あの千円札をどうするんだろう?と私は不思議に思いながら、そのおばさんを目で追っかけていると、おばさんが、幼稚園くらいの女の子の目の前で立ち止まってこう言ったのだ。

「はい、これ、おばあちゃんからのお小遣いよ!」

おばさんは、千円札2枚をその小さな女の子にあげていた。さっきまでの氷のような冷たい顔が、まるで春の雪解け水のように、とても穏やかな表情になっていた。

孫にお小遣いをあげたかったんだ。なんてことだ、”あぁ、いやだいやだ。こんなわがままなお客さんは。” なんていったい誰が思ったんだ?むちゃくちゃ優しい人じゃないか。

すぐそばにいるのは、あのお客さんの息子夫婦だろうか?「おかあさん、いいよ。そんな事までしなくても」と息子が慌ててしゃべっている。そんなことはお構いもなしに、「いいんだよ。こうすることが、私がうれしいんだから」とそう言うあのおばさんの笑顔が、まるでさっきとは別人のように明るかった。

なんて幸せな光景なんだろう。

人の心って本当にわからない。誰にも嫌われるくらい、感じ悪く思えたりする時も、ちゃんと肝心なところでは、いい人だったりするのだから。

そう思うと、結局、人はみんな優しいんだなと思った。

そう思う自分の心まで、なんだか優しく思えてうれしい。みんな、なんだかんだといい人なんだ。しかめっ面でいる人も、無表情でスマホを見ている人も、いつかどこかでみんな優しい。そんなうれしい気持ちに、ひとり感謝している私がいた。

わがままな優しき人たち。
こんな気持ちにただ、感謝。


そういえば、きっと私しか知らないだろうな。電車で席を譲った彼が、結局、すぐに降りることもなく、ずっと立ったままだったことは。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一