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息子を叱って跳ね返ってきた厄介なもの

つい先日の話、
夜遅くになって、随分と久しぶりに高校2年生の長男に対して、大きなカミナリを落としました。

時間にしては、ものの5分程度のことです。
それでも、息子にとっては叱られる5分って長いはず・・・

最初は気丈夫に、ジッと私の目を睨みつけるように見据えていましたが、途中、堪えきれずに涙を流してしまい、上を向いて健気に強さを誇示していました。

長男の涙を見るのは久しぶりで、泣き方が、幼い頃と同じとまでは言わないけど、さして変わりなく、静かな涙だったことから、懐かしさを感じたのと同時に、親バカみたいな話ですが、愛おしささえ感じさせてくれました。

叱られた理由に対する息子の言い分があることは、そりゃ親ですから当然に理解はします。
ですが、この時ばかりは一切聞く耳持たずの姿勢を決め込み、意図的に一方的な叱りで貫きました。

理由は、
どう言い訳しても、長い期間にわたって結果的に『嘘』を重ねたことには違いないから。

ここまでは、どこの家庭にも日常的にある風景、親としての責任の話です。

そして、
ここからは、親といえども、実は・・・の正直な話です。

落ち込む

我が家は息子が3人。
次男でも、末のチビでも、息子たちを叱るとき、その原因に必ずと言っていいほど、自分のDNAのような、身に覚えがあるものを強く感じます。

なかなか、これが曲者なのです。

息子へ叱りつけている言葉のはずが、実のところ、自分の身に一つ一つがしっかりと跳ね返ってくるんでよ、これが・・・

鬱陶しいやら、恥ずかしいやら・・・

図星であることを、自分が一番自覚しており、カッコ悪さを隠して叱りつけていることを自覚する始末です。

親としての責任を果たす行為ではあるものの、大人のはずの自分の頼りなさをひしひしと感じていました。

年齢だけは大人である今、改めて感じることは、随分と久しく誰からも真剣に叱られることがなくなったことは寂しくもあり、不安であること。

どれだけ歳をとっても、自分を真剣に叱ってくれる存在は救いに違いないと、息子の叱られて気丈夫に構えながらも、幼くて脆さを隠しきれない顔を睨みつけながら、自分が改めて痛感させられるというカッコ悪さを感じていました。


その後、
息子の寝顔を見つめながら、自分が息子と同じ年頃に、あれほど似たくないと反抗心を立てていた当時の父親の心境を察したりするのが、なんとも変な気持ちでした。

結局は、似てきてるよな・・・と。

朝のコーヒー

朝になって、息子が学校に行くまでの時間、おそらく気まずい心境だろうと察した息子と膝を交えて、手短に話しをしました。

親と言えども本当のところ、不確かながら圧倒的な真剣さで試行錯誤なんだってこと、そして父親の過去の恥の部分も正直に伝えて、今回の件は幕引きだと。


親として唯一救いなのは、
息子の方が私よりも、遥かに出来が良いことです。

不足だらけなのですが、積極的な親としての責任と、恥的な正直な気持ちの反省を綴ってみました。

雨降って地固まるとなれば良いのですが、
カミナリ落として自の不足を思い知る・・・

そんな感じです。

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