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ひこうき雲と自己紹介

幼い頃って、よく飛行機雲を見つけては 空をじっと見上げていたように感じませんか?
無邪気だったよなぁ、と懐かしくなります。
たまにはいいんじゃないですかね、一筋の雲に思いを乗せて馳せるのも。

「あの頃は良かった」、ということではなくて

好奇心や体力が常に満タン状態だったので、飽きもせずに眺めては、空想にふけてたなぁ、と思い出したりします。
行ったこともない、テレビでしか観たことがない外国の風景を、筋雲の先に想像したりして。
別に不思議ちゃんだったということではなく、またロマンチックな話をしたいわけでもありません。
ふと、最近ではいつ「飛行機雲見つけたっ!」と心が踊って、じっくりと見つめて、好奇心を持ってそんな風に空を感じたか、と考えてみたのです。

でも、残念ながら思い出せない。

車の運転中は当然のことながら、交通機関を使った移動中、手元の書類や本を読むことへの強迫観念があったり、窓の風景が秒単位で移り変わる住宅風景や高層ビル群に、だんだんと不感症気味になったり・・・

幼少の頃に見た飛行機雲と青空は、今見ている空よりも、もっと色が濃かったように思えるのですが、気のせいでしょうか。

視界が狭くなると、未来は他人任せになるし、誰も責任を取ってくれない

手元の作業の向こう側に、誰かの喜ぶ顔が浮かぶ仕事は幸せだと思います。
でも、そんなことを考える余裕もない、忙殺状態の「忙しい」って、一体誰にとって何の価値があるのだろうかと時々疑問に感じたりもします。
僕個人のことに限っては、「忙しい」ことには価値はなく、無能の証明にもなりかねないと感じることもしばしば。

自分はこの先、膨大にあると仮定した時間を使って、一体何者になろうとしているのか。
この先に一体何があると信じて、今の道を歩いているのか、そんな「問い」を持つことは一見自虐的に見えて、実はものすごく意味のある、建設的なことだと思うのです。
その他大勢の流れに従う行動や思考をしていて何者になれるのか。
着いた先で降ろされたところが、断崖絶壁だった時に、果たして誰のせいにしてしまうのか。

だからこそ忘れてならないのは、それでも僕たちは「選べる」ということだと思うのです。

「違い」は強みの源泉。そこから何を抽出するのかを考え抜くこと

僕には、学歴という「過去の遺産」は備わっていません。
ですが、学問という「今」を大切にして、果敢に行動しています。

元事業者向けの金融屋という、一見するとコワモテの世界で生業を立てていた経験のそれとは不釣り合いの、大学院で経営学を学ぶ環境に身をおいて、一般的にエリートと呼ばれる自分とは違う世界の人たちと交わる中で感じたのは、自分の唯一さ、際立ち感のようなものです。
大切な姿勢は、卑屈にならないこと。
「違い」を明確にして、都合の良い解釈で自己暗示をかけていたのでしょうね。

とはいえ、本当のところは虚しさや迷い、時にひどい落ち込みは何回もありましたよ、そりゃ。
臆病なんです、実は。
でも、僕を支え続けたのは、毎朝毎夕と神棚を前にして、真摯に自分と向き合うことによる自己対話でした。
今でもそれは続けています。

目的を見失わないように確認する仕組みを、生活や業務の中に持つことは、未来の自分を救うための具体的な行動だと思うのです。

そうやって迷い見つけたことそれは、僕には人目には触れられにくい企業の資金繰りの実態や、倒産の現場に携わることで様々な交渉ごと、何よりも「経営の底」を13年ほどの間で500件以上見てきたという経験がありました。
これこそが自分の軸、底力となるものと理解したのです。
そして、現場感だけに偏り過ぎていたバランスの不足を補うために、経営学を4年間かけて学びながら、小規模企業の事業再生を生業とする「ナニワの経営参謀」と勝手に名乗り、社内研修を含めて活動しています。

結局はシンプルだった

僕の場合は、他者との違いから何が自分の強みとなるのかを明確にして、その強みを武器に戦うしかない、といったとてもシンプルな答えにたどり着きました。

間違いのないことは、卑屈さに根付く諦めで、未来の自分を犠牲にすることはあってはならないということ。

今の自分を大切にするということは、まだ見ぬ未来の自分に思いを馳せて、可能性を信じるということ。

どこまでも青い空とひこうき雲は、可能性しかない未来を強く感じさせてくれます。

そして、この風景が好きな理由がひとつ確信になりました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

なかなか二枚目なことを書いてるな(笑)

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