ボツ原稿

 以下はReal Sound https://realsound.jp/person/about/998902 で連載中の僕のコラムの下書きですが、コラムの内容としてはちょっと私的すぎるなー、ということでボツにした文章です。

  

 僕のドラムセットには、ツイン・ペダルにハイハットが二つセットされている。 
 スピーディーなプレイへの対応や微妙な音色の差異でリズム・パターンに彩りを加える・・・という効果も大いにあるが、それは後天的なものであって、最初の目的は四つ打ちのバスドラムを左足で踏むためだ。

 以前から感じていた右足の違和感がどうしようもないレベルで顕在化したのは『街の14景』ツアーでのことだった。
 端的に書くと「バスドラムのペダルがうまく踏めない」のである。
 歩いたり走ったり、サッカーボールを蹴ることもできるし、やろうと思えばクリップスのC-WALKの真似も下手なりにできるが、ドラムセットに座ってバスドラムのペダルを操作しようとすると、途端に足首から脹脛の筋肉が緊張して固まってしまい、動きが不自由になってしまう。
 ドラムを叩く時にだけ現れるこの症状は、皮肉なことに自分のドラミングを見つめ直し毎日長時間の練習に励んでいた両国国技館以降から顕著になった。

 今までの遅れを取り戻そうと練習に取り組んだ日々は、もちろんその努力に見合う結果も与えてくれたが、自分でも気づかないところで身体にストレスも与えていたようで、その時期から時折、単なる疲労とは明らかに性質の違う違和感を右足に感じるようになっていた。
 最初は「狙ったタイミングでバスドラムが鳴らせない」「今までできていたスピーディーな動作ができない」といった現象が起こり、戸惑いながらも一時的なスランプだろう、とそれほど気にかけず、むしろこれを克服すれば新たなステップ・アップのチャンス、とばかりに一日中バスドラムだけを踏み続けていたこともある。 
 しかし、その症状があらわれる頻度は増していき、練習をすればするほどコントロールが困難になっていく。

 ドラム・ペダルの操作にはいくつか種類があるのだけど、ポップスやロックにおいて最も一般的なのが「ヒール・アップ」という奏法。以前はできていたその奏法が全くできなくなってしまった僕は、主にジャズ・ドラマーが使う「ヒール・ダウン」というやり方に切り替えることを目指した。
 それまでのフォームを変えるのは当然一朝一夕では成り立たなかったが、一刻も早く気持ちよくドラムを叩きたいという気持ちで日々練習を重ね、『Scent of August』のレコーディング前後にはある程度ものにできてきていたと思う。
 新しい奏法にすることで右足の動作感覚が一度リセットされたのか、プレイ中の足の硬直が起こることも減っていた。

 しかし今考えれば、オーバーワーク気味だった長時間の反復練習が、技術の習得と同時に新たなストレスも生んでしまっていたのだろう。ヒールダウン奏法になじんだのも束の間、『街の14景』ツアーの頃には、克服したと思っていた症状が以前より悪化した形で表れるようになってしまった。

 「ジストニア」という言葉を知ったのはこの頃のことだ。

 自分なりに色々と調べていくうちに、同じような症状に悩まされているのは自分だけではないばかりか、未だに根治的治療の確立されていない病気らしいということがわかってきた。

 今では「職業性ジストニア」と検索欄に入力すれば、「脳や神経系統の何らかの障害により、自分の意思とは無関係に持続的に筋肉が収縮したり硬くなったりする難治性の病気です。持続性の奇妙な姿勢をとる全身性ジストニアと、手指や唇などが思い通りに動かなくなる局所性ジストニアがあります。職業上、キーボードのタイピングや楽器の演奏など同じ動作や姿勢を過剰に反復することで起こす局所性のものを職業性ジストニアといいます」という説明が出てくるくらいだが、当時はまだそれほど世間に認知されているものではなかった。

 これが原因でステージから去ってしまった演奏者は何人もいるし、その気持ちは痛いほどよくわかる。
 演奏中に大事な場面でスティックを落としたとか、フレーズを間違えてしまったなんてことはよくあることで、酒でも飲んで一晩寝れば忘れてしまう(自分の場合)が、かつて当たり前にできていた身体の動きができない・・・例えば「何だかわからないけど箸がうまく持てない」「しかし飯は食わなくてはならない」といった状況なら箸をフォークやスプーンに持ち替えたり、最悪でも素手で食えばいいだけの話だが、バスドラムはペダルを踏まなければ音が鳴らないのである(どちらかの手を使って叩くこともできるが、リズム・パターンの自由度は相当限定されてしまう)。
 そして、そのペダルを踏むときに限って、自分の足が思った通りに動いてくれない。
 そんな症状を抱えたまま人前で演奏する精神的消耗は大きい。ライブやレコーディングの度に、通常の緊張とは別のプレッシャーとも戦わなければならないからである。

 本来ライブでの演奏は楽しいものだ。
 序盤の緊張は演奏時間の経過とともに高揚へと変化していき、終わった後にはある種の充実感に溢れている。
 しかし、そうした状況下で行なっていた『街の14景』ツアーでは日々のライブをこなすのが精一杯であり、演奏を楽しめた瞬間はほとんどなかった。せめて楽曲の成立を妨げないように、決定的なミスをしないように、不本意な動きをしてしまう自分の右足をテーピングでガチガチに固定したりしながら、なんとか乗り切ったという記憶しかない。

 その様子は我々のライブDVD『510 x 283』で観ることができる。普通ならリリースを拒みたいくらいのところなのだけど、そこは、”リリースする作品は全てその時のドキュメント”という謎の暗黙ポリシーを共有している我々なので、僕のがちゃがちゃなドラミングも修正なしにそのまま収録されています。

 こんなふうに書いていると、「えっ、今もそうなんですか」と疑問に思う人もいるかもしれないが、それはある意味ではその通りだ。
 僕の右足は今でも、昔のようには動かない。

 しかし、上に書いた例えで言うなら「箸を右手で持てない」なら「左手で持てば良い」という発想で、バスドラムを左足で踏むことを思いついたのは『街の14景』ツアーが終わってからのことだ。

 個人的に一番症状が出やすかった四つ打ちのダンス・ビートを、ツインペダルの左足で踏むことから始めた。それからシンプルなエイト・ビート。構造上オープンしっぱなしになってしまうメインのハイハットをカバーするために、常時クローズしているサブ・ハイハットもセッティングに組み込んだ。
 いきなり利き手と逆の手で箸を使うようなものだから最初は違和感しかなかったが、バンドの演奏以外でツイン・ペダルの練習をしていたこともあって、それほど苦戦はしなかった。
 そして、最も気をつけたのが「同じ動作や姿勢を過剰に反復すること」の回避である。ヒール・アップからヒール・ダウンへと奏法を変えた時は、そこで失敗していたのだと今ならわかる。
 まずは動きをイメージすること。そして実際の動作は長く続けるとしても10分程度で、休憩や全く別の練習などを挟みつつ気長にゆっくりと動作を自分のものにしていく。

 偉大なる先人、故PONTA氏の名言「棒っきれ持つ前にやることがある」は本当にその通りだった。

 こうしたイメージ・トレーニング先行の取り組み方は、ガムシャラに長時間練習していた時と同じくらい、もしくはそれ以上のスピードで動作の習得に結びついていった。
 そして、その方法を左足以外の練習にも取り入れていった結果、現在では一時期よりも右足ジストニアの症状も和らいでいる。今日は右足の調子が悪いな、という時には、左足にスイッチすれば良い、という精神的余裕ができたこともその一因かもしれない。

 幼い頃からドラムを叩いていたり、天性の素質に恵まれているとしか思えないような、そんなドラマーたちに少しでも追い付きたいと思っていた僕は、ドラムと向き合うことが遅かった焦りも手伝って、スランプも長時間の練習で乗り越えるといった昭和生まれの精神で技術の向上を目指してきた。
 しかし、努力が全て結果に結びつくとは限らず、時にはどうしようもない副産物をもたらすことだってある。
 そうした時に、一時の結果で絶望してしまうのではなく、過ぎたことは糧にしつつ今までと少し視点をずらしてみるという、言葉にすると有り体だけど非常に大事な考え方を、僕は身を以てこの病気から学ぶことができた。

 舗装路上の分岐以外にも道はあって、どの道を選んだとしても、得るもの / 失うものがあるだろう。
 とにかく前を向いて歩いていきたい。後ろ向きに歩くのは大変だしね。 


 

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