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MTG、紙かデータか?


ツイッター質問箱でこのような質問をいただいた。

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紙でモダンのデッキを組もうとしているのですが、
リアルで対戦する時間がありません。
対戦する以外に
リアルで紙をカードを買うメリットってありますか?

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「紙で」というお話が出るのはMTGアリーナの影響だろうと思う。
ちょっと前までは紙しか無かったのだから。
MTGの裾野が広がっていると考えれば、
とても良い事なのだけれども、
店主は紙派。

もちろん、データでのMTGを否定する事はない。

対戦相手に不足している場合、
自分の空いた時間に対戦相手をすぐに用意出来るのもデータのほう。

それから、
試しで作ったデッキの回し方を見るためというのも、
簡単にそれが出来るのはデータのほう。

データのメリットはいくつもあるのだけれども、
結論から言えば紙のほうが遥かにメリットが大きい。

まず、カードゲームの基礎は当然ながら紙。
それはもうトランプ然り、花札然り。

紙のMTGは五感のうち、
・触覚
・視覚
・聴覚

は最低でも使うもの。

嗅覚も使わなくは無さそうだが、
さすがに今回の話の主旨からは外れそうなので割愛。

触覚から話していこう。

触れるからわかること

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これは店主の友人でもそういう話になるのだけれども、
本か電子書籍かという話。

店主も電子書籍で読む事もある。
しかし、どうも頭に残るという感じがしない。
しっかりと紙の本を買って、
手でページをめくるほうが頭に残る。

これは友人も同じ事を言っているし、
同意してくれる人が結構いる。

これはカードゲームと全く同じだと思う。
手で触る、という事がとても大切なのだと。
電子書籍のような媒体が普及する事も理解しつつも、
紙という媒体は大切であると真に思う。

「紙を手で触る」

という行為と、
「画面をタッチする」
という行為では脳に働きかけるものが違うのだろう。

人間の手の神経というものはとても繊細に出来ていて、
その手から無意識に受け取っている情報量は侮れないものがある。

もちろん、それを見ているのは目なので、
視覚も影響を受けている事は言うまでもない。

これは麻雀も同じではないかと思っている。
牌を自身の手で触る事に意味が十分にある。

それとMTGでは出来ないが、
麻雀には盲牌というものもある。
(指の腹で牌の彫りを触り、その感触で牌を見ずに識別する事。)
あれはあれで1つの楽しみだ。
MTG、本、麻雀、どれをとっても、
直に手で触る事は脳にとって非常に重要なのだと思う。

デッキを作るに際しても同じだ。
一人で部屋でデッキを作る時を考えてみればわかりやすい。

画面の前でカード名を羅列したり、
画像を並べてみたりというデッキ構築と、
目の前で持っているカードと現在のデッキの状態を見ながら、
そしてデッキや候補の手持ちカード触りながら、
「これを抜こうか。」
「あれを入れようか。」
と考えるとでは感覚はまるで違う。

マウスやタッチパネル操作では、
感じとれないものや得られないものが脳にある。
それを無くしてMTGは語れないと言い切れる。

例えば、
《闇の腹心/Dark Confidant》が持つアップキープの誘発型能力。

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《Dark Confidant/闇の腹心》
コスト:1黒
クリーチャー 人間(Human) ウィザード(Wizard)
あなたのアップキープの開始時に、
あなたのライブラリーの一番上のカードを1枚公開し、
そのカードをあなたの手札に加える。
あなたはその点数で見たマナ・コストに等しい点数のライフを失う。
2/1
レア

これ1つでも、実際のプレイでは
「誘発忘れ」
がある。
しかし、ネットを介した戦いの中では、
コンピュータが勝手に誘発を処理するかどうかと聞いてくれる。

これはプレイヤーの「忘れ」を防ぐメリットのように思えるが、
「忘れるか、忘れないか」も実力のうちである。
それをコンピュータに頼ってしまう時点で、
これは実力を本当にはかる術にはならない。

実力を養う事にもならない。

逆に言えば「誘発忘れ」というミスを経験して、
「よし、次からは忘れないぞ。」
と学ぶ事が1つの変化になる。
紙媒体を手で触れて対戦してこそ、
プレイヤーの本当の実力が試されるし、
プレイヤーの成長になる。


見聞きできること

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お次は前述で少し視覚に触れた部分もあるけれども、
視覚と聴覚をいっぺんに説明。

どういう事かと言うと、
シングルカードの購入のみで済ませている人も、
新セットが出たらひとまず箱で買う人も、
全く共通の話がある。

それは、
自分が所有しているカードをいつでも眺められるという事。

これはどういう事かと言うと、
持っているカードを何気なく眺める時でも、
突然に発想する事があるという事。

データはデータでしかない事が多く、
自分の所有しているカードを手にとって眺めながら、
「このカードをこういう風に使ってみたいなぁ。」
「これってなんとか使えないだろうか?」
「今まで気づかなかったけど、こんな使い方あるんじゃ?」
という事が非常に起きにくい。

全く無いとは言わないものの、
手で触れられるカードにはその機会が多く与えられている事は間違いない。

つまり、
プレイヤーとして強くなりたいのなら、
自身で手にとって自身で気づく機会は軽んじてはならない。

この点は実は電子書籍と本の違いにも同様の影響がある。
本棚に並んでいる本は案外と重要な事がある。
何気なく本棚を眺めた時に入る本のタイトル。

これが目に入ると、
「ああ、そういえばあの本はこんな内容だったな。」
と復習するような事があるが、
電子書籍だとそうはいかない。

何気なく日常の部屋の景色にはならないからだ。
日常での気付きは人が思っている以上に影響が大きい。

さらには手札の読み。
対戦相手の視線、仕草、反応などだ。

画面越しの相手と目の前では全く読みというものは違ってくる。
これらは視覚と聴覚の部分だ。

仮にカメラで対戦相手の顔がわかるような対戦をしたとしても、
目の前で戦う事とは大きく違う。

当たり前なのだが、
データで戦う際は手札のカードを持つという事はしない。

プレイヤーはドローをした時、
火力を撃たれた時、
カウンターをした時、された時、
どの呪文を撃つか考えている時、
どのマナを使うか考えている時、
様々に表情が出るものであり、
人によっては独り言が出る。

そういった目の前の情報からも勝負が左右される。
単純に言えば、
誰かがプレイミスをした時に、
「あっ!」
という一言だけでも画面越しではわからないが、
目の前で対戦していれば必ずそれは1つの情報となる。

このような情報に対して、
「偶発的な要素や確たる情報ではないもの、
 ゲームの展開に不平等に影響を及ぼすもの、
 そういうものを完全排除してこそ正しい勝負の在り方だ。」

という考え方をする人はあまりいないはずだ。
人という存在は不安定な存在であり、
そして、
ライブラリーのトップは基本的にわからない不安定さがあるからこそ、
このMTGの面白さがある。

目の前で対戦してこそカードゲームだ。

"物"として残るからこその価値

次に、資産的問題。
データは所詮データだ。

ゲームセンターでゲームをするのはただのゲーム代と割り切れる。
スマートフォンゲームもそれをゲーム代として課金する事も割り切れる。

しかし、共通する事は、
ゲームセンターならその筐体が消えてしまえば、
スマートフォンゲームならサービスが終了してしまえば、
全てが終わりだ。

これはMTGのオンラインでも変わらない。
思い出と経験だけが残る。

逆に紙のメリット。
1つ目として自然災害時だ。

つい最近も大きな台風があったが、
こういった時、紙のカードは、
・資産価値のあるものを容易に運び出す事が出来る。
・避難先でも無限にも等しい程時間を潰せる。

という強力なメリットがある。

この2点は非常に大きい。
資産次第ではあるが、
人によっては500万円以上の品を簡単に運べる。

もっと持っている人ならわかるだろうが、
へたにお金を持ち出すよりも60枚のデッキのほうが高額だったりする。

1000万円の持ち出しが1デッキなんていう人もいるのだ。
しかも、電気も使わずに延々と時間潰しが可能な道具だ。

最低1人、避難先に対戦相手が必要だが、
停電していても昼間であればいくらでも時間は潰せる。

4人もいればEDHをしたり、デッキ交換、組み換えまで考えれば、
本当に無限と言えそうな程に時間を潰せる。
なんと便利なアイテムだろうか。

もちろん、自然災害によって失うというリスクがあるのも事実。
ちなみに、PSA鑑定されたカードは冠水しても平気らしい。
らしい、というのは、
聞いた話であり、自身で試した事はない。

一度くらい実験してみるべきかもしれないが。

2つ目は、
MTGアリーナが滅びるかどうかはさておき、
手元にカードが残るという事はとても大切な事なのだ。

特にTCGの中でも高騰が続くMTGは、
持っているものをやろうと思えば、
お金に替えられるという点は重要。

サービスが終了して、
「ま、ゲーム代だ、終わったらなら終わっただな。」
と割り切れてしまう人ならば良い。

そうでないのなら資産を持ちたいのが人というもの。
そのため、紙媒体で持つ事は資産的観点でもアリと言える。
仮に新しいセットが出なくなったとしても、
手元のカードでゲームが出来なくなるわけではない。

輪を広げるツールに

思い出と経験だけが残るわけではなく、
手元にその思い出と経験をともにしたカードが残る事は大切だ。

それに、現状を見るに、
紙媒体のMTGはそう簡単には滅ばないだろう。
滅ばないのなら価値はある一定のラインを保つはず。

それに日本全体もそうなのだが、
プレイヤー層は平均年齢がある程度上がっている。
中には家族でMTGをプレイする家族もいる。

いつか、家族の写真を入れるアルバムに、
一緒に思い出のカードを入れる人もいるかもしれないし、
それは非常に味のあるアルバムになるはずだ。

そんな時を考えてもデータだけで遊ぶより、
何倍も意味のあるものになる。

そして大切な事はまだある。

MTGは貴方にとって、
ただのゲームか?
それとも他の要素がどれだけあるか?

この質問をされたら読者の中にはただのゲームだと言う人もいるだろう。

しかし、
多くの人にとってMTGはコミュニケーションツールではないだろうか。

コレクターが情報を交換、
自身の作ったデッキを目の前で対戦、
MTGの友人達で集まって食事やお酒、
こういった事をするに、
紙媒体はデータよりも遥かにその機会を増やす。
質問者のように「時間がない。」という人も確かにいる。
そう感じている人が少なくないのも事実だ。
それでもみんな限られた時間でMTGを楽しんでいる。
その楽しみは同じ趣味を持つ者との時間の共有によって作られる。
その時に紙媒体の有る無しは大きく意味を変える。

カードショップに行って、
見知らぬ誰かに声をかけるのは勇気がいる。
3~4人で遊んでいるところに、
「すみません、自分も入れて下さい。」
の一言はなかなか言えない人は多い。

けれども、
相手側も同じ事を思っている事も多い。
「もっと一緒に遊ぶ人が増えたらいいな。」
と思っているグループなんてたくさんある。

どちらかが意を決して声をかけるだけで、
簡単に人の輪が変わる。
もちろん必ずではないけれども、
それをお互いに「待ち」の状況にしてしまうと何も生まれない。

輪の中に入れてと言って「イヤです。」と返す人も少ないと思う。
余程事情があるならともかく、
紳士的な人が多いMTGでは「イヤです。」と返す人はいない。
・・・と信じたい。

店主はもう100や200では足りない程に、
色々な人に声をかけてMTGを教えたり、
一緒にやったりしてきた。
常にそういう時は待ちの姿勢は持たないようにしてきた。

それが多くの友人を作り、
この何年ものMTG生活を素晴らしいものに出来た。

何せこのカードゲームはとてもとても便利なのだ。
相手が日本語が全く通じない相手でも問題無くコミュニケーション出来る

ゲームのルール=言語

という最高のツールだ。

相手が何語の人であろうと、
MTGのルールさえわかってくれるなら、
簡単にコミュニケーションが出来る。

スポーツ等でも同じような事はたしかに出来るのだが、
手軽さや質というものが全く違う。

店主が経験したものでちょっとこれを書くと、

海外でEDHの対戦をしていた時に、
βの《Timetwister》を撃った。
対戦相手や観戦していた人からは、
「おおおお!!《Timetwister》だ!!」
「βだ!すごい!」
「おー!すごい!初めて見た!」
「写真撮っていい?」
(英語と中国語)
といったコメントをもらった事がある。

この反応から次への対戦のコミュニケーションにもつながった。

こういうコミュニケーションはスポーツ等でも無い事は無いが、
MTGだとそこらじゅうで起きる。
「このカードのFoil!すげえ!」
「その《森》はGuruか!」
なんて話はいくらでも起きるものだ。

このコミュニケーション1つ1つがプレイヤーにとって大切であり、
それがMTGをやる意味だと断言しても良い。
まとめてみると、

・視覚、触覚、聴覚あってこそMTG。
・資産面では現金化が可能であるカードは重要。
・思い出、思い入れが残る事も大切。
・自然災害等の緊急時でも資産を簡単に持ち出せる。
・災害避難時等に停電しようと昼間なら時間を潰せる。
・コミュニケーションツールである。

紙のカードを持つ意味はちょっと書いただけでこんなにも出てくる。

誰だ、「テーブルなど、もはや不要だ」なんて言った奴は。

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前述しているけれども、
データにはデータの、
紙には紙の良さがある。
どちら?と言われたら、
最後には紙をとる。

今これを読んでくれている人達、
貴方のプレイしているMTGは多くの分野において、
世界最高である事を知って欲しい。

ゲーム性、コミュニケーション、
コレクション、資産価値、
沢山の要素が入り混じって、
それでいてこれだけ人を飽きさせず、
魅了し続ける存在なんてそう簡単に転がっていない。

「そんなの当たり前だろ。」
と思っている人には釈迦に説法だったかもしれない。

そのMTGをデータではなく、
紙で持つ事は本当に大切な事で、
そして自分の人生にとってプラスであると信じて欲しい。

少なくとも店主はそう思っているし、
そんな店主とコミュニケーションを望んでくれている人がいるなら、
店主は喜んでその時間を共有したい。

最後に。

紙こそ正義だ!

ではまた。


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