見出し画像

郵便ポスト#3 <小説> 全12回(予定)

目安:8分


 この地域は、昔からジャイアンツのファンが多かった。いくら隣の市にプロ野球チームがやってきたからといって、弱小だったCマリーンズを、表立って応援する者はいない。戦績ぐらいはみんな気にはしていたかもしれない。でも、この県にやってきた時から、ずっと万年Bクラス。だから、みんな気にしてはいても、昔から愛着のあるジャイアンツを応援していた。

 まあ、その一方で少なからず、この男の子たちのように、応援に行く人が少なからずいたことはいたさ。駅のロータリーに、毎日いれば気がつくものだ。

 次の日の朝も、いつもと同じように母親が運転する黒い軽自動車で、駅のロータリーへとやってきた。少年は横長の青いリュックを手に助手席を降りる。そのときの少年を見て、ワシはハッとしたのだ。少年は、野球帽を被っていた。隣の市のCマリーンズのものではなく、ジャイアンツの野球帽。

 今年は日焼けはしていないが、その黒地にオレンジの刺繍でGのマークが入れられた少年を見て、この子は、ワシと同じジャイアンツファンだったことを思い出した。

 そしてワシは、さらに思い出す。この少年、以前は普通に、家族で改札を通り電車に乗って、出かけていく様子があった。それがいつのまにか、電車で出かけるのは少年だけになった。母親と一緒に出かけることさえなくなってしまった。黒い軽自動車での送り迎え。それだけ。

 そうだ、一年前、去年の夏だ。少年は真っ黒に日焼けしていた。オレンジの刺繍でGのマークの黒い帽子、オレンジ色のタオルを持ち、駅のロータリーにやってきた。車ではなく、歩いてだ。一人ではなく、母親と父親と三人だ。

 母親は日傘をさしていた。父親は、少年と同じように、オレンジのジャイアンツのユニフォームを着て、首にオレンジのタオルをかけていた。どこからどう見ても一家揃ってジャイアンツファンです、という出で立ち。少年は左手に黒いグローブをはめていたことは、今でも覚えている。

 それが一回ではなく、何度となくそんな姿を見かけた。本当に楽しそうな真っ黒に日焼けした少年の表情、家族サービスに充実した父親の表情。まあまあ、と言いたそうでも、ちっとも満更でもないような幸せそうな母親の表情。見ているワシも、心が安らいだもんだ。


 はて、父親は最近は見かけなくなった。少年の送り迎えは母親のみ。送り迎えどころか、あんなに頻繁に家族三人で改札を通り、遊びに出掛ける姿を見かけていたのに、ここ数か月全く父親の姿を見かけなくなった。体調でも崩して入院してしまったのだろうか。

 朝、通勤ラッシュ時に出掛け、夕方疲れた顔で帰ってくる少年、遊びに出掛けることも少なくなってしまっているようで、少しかわいそうにも思える。

 去年まで自分がしていたプロ野球チームの応援グッズを身に着けていたのが、今年は同い年ぐらいの男の子が、楽しそうに同じことをやっているのだ。 

 ワシが見ていないところで、何か楽しい時間を過ごしていればいいのだが。


 完全に夏が終わり秋が深まる。夕方、太陽が傾くのも早くなる。空の雲が夏よりも薄く、そして高い位置に見えた。郵便物集荷のアイツの汗臭さもそんなに気にしなくてもよくなった。


 ある時から、夕方の時間帯に、母親が運転する黒い軽自動車が来なくなった。いつもであれば、一日の最後の十六時三十分の郵便集荷の前に、必ずやってきて少年を迎える。そしてランドセルを受け取り、青い横長のリュックと夕食のお弁当を持たせて、改札へ通って電車へ乗る少年を見送る。その一連のやり取りがパタリと、なくなったのだ。ただし、夜の二十一時五十分の下り電車に乗って帰ってくる少年は、相変わらず迎えに来ていたけれどな。

 変わったところは他にもある。まず、夜、少年が電車に乗って帰ってきて改札を通り、黒い軽自動車の存在に気づく。そして歩いてくる。今までは小走りでやってくるのに、少し疲れたような重い足取り。そして助手席の窓をコンコンと叩く。

 運転席にいる母親は、少年を待つ数分の間、以前は文庫本を読んでいたのだが、そうではなくなった。ロータリーに止めた黒い軽自動車の運転席で、下を向いて目を閉じて寝ている。そしてコンコンと叩く少年に起こされるかのように、首を上げる。文庫本はどこにもない。

 少年にも今までと違うところがあった。今までは夕方、ランドセルを背負てやってきて母親に預けて、青い横長のリュックに持ち替え、お弁当の入った小さなバッグを持ち、出かけて行く。そして、そのまま青い横長のリュックを背負い、空になっているはずの弁当箱の入った小さなバッグを持って、帰ってくる。

 でも今は黒いランドセルを背負い電車を降り、改札から出て走ってくるのだ。手にはお弁当のような小さなバッグの存在はない。その代わりにたくさん本が入りそうな手提げ袋をいつも持っていた。まあ手提げ袋というと、簡易なものを想像するかもしれないが、そうではない。結構、しっかりした生地で、マチの幅もあるカバンといった方がいいだろう。

 おそらく学校で使う物は黒いランドセル、今まで横長の青いリュックに入れていたものを、その手提げカバンに入れているのだろう。

 夕方、母親に預けていたランドセルをそのまま持ち、改札を通り電車で出かけている。夜のこの時間まで持ち歩いているのだ。


 それだけではない。秋が終わり冬になった。12月の冷たい空気が、ワシの体に当たる。冬のワシに触ったことがあるかい。痛いくらい冷たい。ワシはその痛さで冬を感じるのだ。

 夜、二十一時五十分の電車で帰ってくる少年を迎えに来る母親、今までよりも十分ほど早くなった。今までも確実に十分早く来ていたから、さらに十分前。つまり二十分も前に、ロータリーへ黒い軽自動車で来るようになった。

 別に以前のように文庫本を読むためではない。母親は、黒い軽自動車をワシのすぐ後ろに止めると、車から降りる。 

 文庫本を読んでいた頃の母親の服装は、そうでもなかったのに今は、いかにも仕事ができそうなジャケット姿であることが多くなったのじゃ。おそらく今までは家事を中心とした専業主婦だったのだろう。それが、いつのまにか仕事を始めていたようだ。

 それで夕方の少年のランドセルを受け取って、青い横長のリュックを渡すということができなくなったのだ。

 青いリュックがなくなり、その代わりに手提げカバンを、1日少年が持ち歩く。お弁当も持ち歩くことがなくなった。

 夜、二十一時五十分の電車で帰ってくる少年を、迎えに来る時間が早くなる。黒い軽自動車を降り、母親が向かうのが、ロータリーに面した、ちょうどワシの向かい側にある、ファーストフード店へ行く。そしてハンバーガーを買うのだ。もちろん、母親が自分で食べるためではない。

 電車に乗って帰ってくる息子のためだ。夕ご飯としてのお弁当を持ち歩かなくなったため、夜の二十二時ごろまで何も食べていない。もちろんわしの推測だ。ワシの知らないところで何か軽いものをお腹に入れている可能性はある。

 しかし、電車に乗って帰ってきて、駅の改札を通り、黒い軽自動車の助手席に座る少年の様子を見ると、そうとは思えない。

 今までは助手席に座ると、母親が何か質問する、静かにそれを聞いて頷く、あるいは短く質問に応える、そんな程度の様子だった。最近の様子はそうではない。

 助手席に座る少年は、母親が買って用意していたファーストフード店のハンバーガーの袋を、奪い取るように受け取る。そしてハンバーガーの黄色い包み紙を粗雑に開くと、一気に噛り付いた。二回三回と噛り付くと、もう黄色い包み紙の中身はもう残っていない。もごもごしている口の中へ消える。そして口の周りにハンバーガーのケチャップを盛大に付けたまま、セットのポテトを四、五本鷲掴みにし、口に放り込む。もう止まらない。連続攻撃だ。

 母親も、その間は、以前のように少年に質問をするような様子は見せない。本当に文字通り、わが子を見守る母親の顔なのだ。

 次第に、少年が鷲掴みにしているポテトの本数が少なくなる。次第に鷲掴みにするポテトの長さが短くなる。ワシはもう残りは少ないことを悟る。やがて、一本ずつ口に運ぶようになる。指についたポテトのスパイスを口で軽くなめ、ペーパーで口と手を拭く。まだ続く。

 ここでようやく思い出すのだ。セットにはドリンクがつきもの。少年はストローの刺さったドリンクを左手に持ち、チューっと吸い、飲み始める。

 そして、ここでやっと母親は、少年に話しかける。ワシがいつも見ている限り、最初は大体、「おいしかったでしょ。」とそんな表情の話し方である。少年はストローを口にくわえたまま、大きく頷く。そして口から離す。母親がそこで以前のように静かに何かを確認するかのように、少年に質問すると、少年も以前のように下を向き真面目な顔で軽く頷く。

 母親も少年の反応を確認すると、ようやく黒い軽自動車を走らせ、ロータリーのワシからは見えなくなっていく。


 そして、別の日の夕方、黒いランドセルを背負って、本がたくさん入りそうな手提げカバンを持った少年の姿が見えた。ワシの前を通り過ぎて、改札へ向かう。

 しかし、改札のちょっと手前で止まり、引き返してきた。ワシの方に来るのだ。いつも少年を見かけるだけであったが、初めて少年はワシの前に来て立ち止まる。じっとワシの顔を覗き込む少年。寒さで少々顔が赤らむ。赤いワシはじっと息を呑んだ。

 ワシの顔の左部分を見て、次に右の部分を見る。そして左を見て、右を見て、しばらくの間左と右を交互に見て、考え込んでいた。覗き込むのをやめて体を起こす。決心するかのようにランドセルから何かを取り出す。そしてそれをワシの左の口に投函した。

 年賀状だったぞ。

少年は向きを変え、再び改札へ。そして改札の前で、また立ち止まって振り返った。じっとワシを見ているのだ。軽く頷いたようにワシには見えた。少年が改札を通り、駅のホームの方へと消えていく。

 少年の名前は、山村颯太。差出人にそう書かれていた。そこでワシは、少年の名前を知ることができたのだ。ワシは郵便ポストだ。もちろん守秘義務があるから、あまり詳しくは語れない。でも語る相手というか、聞いてくれる相手がいないからこのくらいは許してほしいものだ。

 颯太少年が投函した年賀状は、一枚だけ。宛名には、山村壮一と書かれていた。
 


 あけましておめでとう

 父ちゃん元気ですか。一年後の受験を目指して、一生けんめい勉強しています。

 絶対に荒川学園に合格して、中学高校と野球部に入って甲子園を目指します。

 またお母さんと三人でジャイアンツ戦見にいきたいね。

 約束した素振りは今でも毎朝やっているよ。



 ジャイアンツのマスコットのウサギの絵が年賀状の余白に大きく描かれていた。その年賀状を見る限り、どうやら最近見ないと思っていた父親は、今は別に暮らしているらしい。

 宛先は大阪。でも、行けない距離ではないだろう。来ることができないという距離ではないだろう。ワシはそう思ったのだ。

 荒川学園は、この辺では甲子園の常連校。但し進学校としても知られている中高一貫の私立の学校。よくある甲子園の常連校は、勉強とは関係なく野球推薦で選手を集めてというのが一般的だったが、荒川学園は違った。他の一般の生徒と同様に勉強もできなければ部活ができないという文字通り文武両道を教育方針としていた。さらに高校での生徒募集は一切ない。だから甲子園の常連の荒川学園で野球をやるためには中学受験からしっかりと勉強して、さらに合格して入学しなければならない。それだけではない。入った後ももちろん成績を維持しなければいけない。

 ワシはますます颯太少年が気になり始めた。そのために、颯太少年は受験に向けて夜遅くまで塾で勉強していたことになる。

 その日も二十一時五十分の電車に乗って帰ってきた颯太少年。颯太少年の母親は相変わらず早めに駅にやってきて、車を止めてファーストフードのお店へ行き、颯太少年のためにハンバーガを買い黒い軽自動車で待つ。改札を出て黒い軽自動車を見つけると小走りで走り寄ってくる。今度は黒い軽自動車の前で止まった。そしてワシの方を見る。何かを考えているそんな目だ。それはすぐに分かった。

 数日後、颯太少年が黒いランドセルを背負い、たくさんの本が入りそうな手提げカバンを持ち姿を現した。今度は、まっすぐワシの方へ、迷いもなく、そして立ち止まる。ワシの顔を覗き込む。ランドセルから取り出したのが、また一枚のハガキだった。今度は前回とは違って右の口に投函した。それがクリスマスカードだった。

 

 メリークリスマス

 父ちゃん元気ですか。

 クリスマスプレゼントは来年のジャイアンツ戦のチケット三枚希望します。


 年賀状と同じようにジャイアンツのマスコットのウサギのイラストが描かれていた。投函する順序が、バラバラではあるが、クリスマスカード、年賀状といった季節ものは、投函する時期には十分気をつけてほしいものです。特に年賀状は、余裕をもっての投函をお願いします。日本郵便を代表して、郵便ポストからのお知らせでした。







<つづく>

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは今後の活動費に使わせていただきます。