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恩師の話

高校の頃、私のおごりをかち割ってくれた先生がいました。
その先生(以下、K先生)との出会いがなければ今の自分はいません。

帰国子女で英語でのコミュニケーションに問題のなかった私は
簡単に言えば、いい気になっていました。
「自分はもう英語を話せるから、
細かく辞書を引いたり、
文法書を読み込んだりしなくていい」と…
今思い返しても、本当に恥ずかしいです。

3年生になって、K先生の英語精読の授業を取りました。
先生が選んでくる文章は文化人類学者が書いた
「お盆」や「海」や「書」についてで、正直、
内容に関しては、当時の私は興味を持てませんでした。

ただ、今でも、K先生の放ったこの言葉が忘れられません。
「一つの単語には複数の意味がある。
その中の一つでも知らないものがあれば、
その単語を知っているとは言えない。」

パッカーンと、頭をかち割られた感覚でした。
今までの自分の英語に対する態度が恥ずかしくなって、
顔がカーっと熱くなりました。

それからというもの、知らない単語に出くわすと、
放っておくことができなくなりました。
語彙がグンと増えたのもそれからです。

K先生は私が大学生の頃に他界されました。
先生が私に残してくださった手紙には
「何事にもバリバリ全力投球ですよ。頑張ってください」
と記されています。
私の宝物です。

そういえば、もう一つ、今まで忘れてしまっていました。
K先生からもう一つ学んだことは、
下線を引いたり、蛍光ペンを使う時には、
定規を使うことです。
醜いノートは見にくい、とそこは徹底させられました。
読み返したくなるノートにしなさい、と。

良い先生に恵まれました。


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