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静かなるバンド・リーダーの交代劇 後編

Livin' on the Fault Line(1977)

寓話形式を取り入れたディスク・レビュー。お題は The Doobie Brothers の Livin’ on the Fault Line。その後編をお届けします。

なお、前編はこちらからご覧ください。


1. イタリアン・レストランのその後

前任シェフが長い入院生活を終えて久々に出勤してみると、店はすっかり様変わりしていた。窮地にあった店は一転、新シェフのメニューが評判を呼んで、むしろ前よりも繁盛している。

自分が果たせなかった責任を思うと、副シェフが新シェフのスタイルでメニューから内装まですっかり変えてしまった事は責められない。

だが、これはもう俺の作った店じゃない。

新しいメニューは素晴らしいし大いに認める。賞賛も惜しまない。でも自分がこのスタイルに合わせて仕事するのは無理がある。なんだか小綺麗すぎる内装も馴染めない。

彼が厨房に入るとスタッフの皆が喜んで迎えてくれた。だがそんな歓迎ムードとは裏腹に、ここはもう自分のいる場所じゃない気がする。

やがて彼はこう言い残して店を去る決心をした。

お前らのやりたい様にやれよ。だが俺はいま休みが欲しい。自分を見つめ直したいんだ。

Original Story

2. 自ら退いた前リーダー

転機を迎えたThe Doobie Brothers。マイクを中心に新しい方向性を続けるのか?トムが復帰して従来の路線に戻るのか?

その決着は意外な形で着いた。当初こそ新作の録音に参加したトム・ジョンストンだったが、結局は自作曲の提供をやめて脱退を決意したのだった。

1977年初頭にLivin’ on the Fault Lineのためにスタジオに入る頃にはThe Doobie Brothersはマイケル・マクドナルドのバンドに変わろうとしていた。といっても、これはマイケルによる敵意に満ちた乗っ取りの結果ではない。彼はラジオですぐにそれとわかる声の持ち主だったので、新しいサウンドの体現者となったのだ。

プラチナディスクはいかにして生まれたのか
語り/ テッド・テンプルマン 聞き手/ グレッグ・レノフ 

トムとマイクの関係はむしろ良好だった。だがバンドの新しいサウンドになじめなかったのだろう。そうプロデューサーのテッド・テンプルマンは回想している。

私がトムの代弁をすることは出来ないが、バンドの新しいサウンドは彼を興奮させる事が出来なかったのだろうと私は感じたよ。スムーズで抑制が効いていて、ジャズっぽい感覚のものだったから。

プラチナディスクはいかにして生まれたのか
語り/ テッド・テンプルマン 聞き手/ グレッグ・レノフ 

3. アーティスト写真の謎

本作のアーティスト写真にはトムの姿があり、メンバーとして担当楽器のクレジットもある。にも関わらず、アルバムを通して参加した形跡が見られない。

Livin’ on the Fault Line インナーバッグより

こうしたアーティスト写真は何気に侮れない。その時々のバンドの状態を割と正確に反映するからだ。彼の脱退を巡ってバンドやマネージメントの中で混乱があったのかも知れない。

ただ、ここでトムが自ら退いた事が結果的にバンドの変化を後押しする形になった。


4. 新機軸に振り切った内容

残念ながらこのアルバムは前作の半分の50万枚にセールスを落としている。原因の一端はアルバムのセールスを牽引するシングル・ヒットに恵まれなかったこと。

先行シングル Little Darling のプロデュース・ミスをテッド自身も認めているが、中核となるマイクの楽曲がどこか内省的なシンガー・ソングライター然としていた事も一因かも知れない。

実際、カーリー・サイモンとの共作 You Belong to Me など、楽曲自体は優れていた。それでもなお、チャート上位を狙うには浮動票ファンを巻き込むだけの何か、が必要だったのかも知れない。


5. 大胆なバンドサウンドの再構築

この作品で基盤となるサウンドの改革を押し進めたのは、むしろバンドの側だった事は、前述のテッドの回想でも|仄ほのめかされている。

その中心となったのはオリジナル・メンバーのパトリック・シモンズ。
これまでも各アルバムで片足だけ外に出したような実験的スタイルを1曲ずつは試してきたパットだったが、そんな彼の面目躍如がタイトル曲の Livin' on the Fault Line。

大胆なジャズ・フュージョン色がバンドの新生面を象徴している。この路線に貢献したジェフ・バクスターのギター・プレイも聞き逃せない。

だが、こうした変革の本当の成果はマイクの There’s a Light の様な音数を抑えたアンサンブルにこそ見て取れる。


6. 実は最高傑作かも知れない

本作を聴くたび、つくづく驚くのは、バンドがほぼ独力でここまで変化を遂げた点。これは何気にすごい事なのだ。

こうしたサウンドに親しんでいる方はよくご存知の通り、AOR系の音楽制作では、高度なスキルを持ったセッション・ミュージシャンの起用が通例だ。

理由を説明すると長くなってしまうが、端折って言うならAORと呼ばれる音楽がブルーズ、カントリー、ソウル、R&B、ジャズ、ラテンといったルーツ音楽の高度な折衷せっちゅうを特徴としていること。そのため演奏者には高い音楽性と技量が求められる。

プロデューサーのアシストもあっての事とはいえ、それを殆ど同じメンバーで実現出来ているのだ。

前リーダーが身を引いた事で、結果的にバンドの方向性に迷いが無くなった。そんな権限委譲とも言える時期の産物であることが、この作品にエアポケット的な形で影を落としている様にも思える。

マイクの魅力が再び開花するのは次作Minute by Minuteまで待つ事になる。

Fin

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