#2【イニシェリン島の精霊】 後編 編集後記
どうも、毎日映画トリビアです。
映画トーク系ポッドキャスト番組「深めるシネマ」、マーティン・マクドナー監督の映画「イニシェリン島の精霊」について深める回後編、編集後記です。
前編に引き続き、公開説教のような形が若干続きますが、図らずも2人の差異が出ていて面白い回になったんじゃないかな、と自画自賛。
それでは今週の補足と言い訳、いってみましょう。
シボーンの眠れない夜
本エピソード中、僕は「寂しくて眠れない夜はないが、タスクが終わってなくて眠れないときはある」と語りましたが、これについて補足したいと思います。
もしかしたらTomoheeには「残っているタスクが辛い」という、仕事人間的な発言に受け取られたような気がしましたが、僕がこのとき語っているのは決して「仕事が終わってない時」のことだけではなく、「無力感」の話なんです。
現状に不満がある、あらゆるものが思ったとおりに行かない気がする、報われない、と感じた時に、考えがぐるぐると止まらなくなり、眠れなくなることはあるんですが、僕はそういう「無力感」を感じる時、今その時できることを考えることでそれを脱出しようとします。(これにはもちろん人間関係に悩んだ時なども含まれる)
大抵の場合は(実際に解決できるかどうかは置いておいて)その問題を解決するために「できること」が残されている、もしくは「自分がその問題を解決していってるように感じられること」が残されているので、それを実行するしかないなと感じるわけです。(本当に解決できない問題の時は、「気を紛らわす方法を探して片っ端から試す」などの他の解決策があったり)
ただ、その解決策は大抵が「自分がやりたくないこと」や「恐怖を感じる行動」だったりするので難しい。
最終的には自分がこの行動を取れるかどうかの問題なので、この苦しみは人に話したところで解決するわけではないと思ってしまうんです。
そしてこれは劇中のシボーンの行動と重なります。
物語後半、島から出るとこっそり計画していた日の前夜に、眠れない彼女がベッドで1人泣いているシーンがありますが、彼女は退屈な島の生活から来る(誰からも理解してもらえないという)孤独感や無力感に押しつぶされそうになり、「島を出る」という解決策を取る決意を固めた後、この行動に伴う恐怖心で眠れない夜を過ごしていたのではないか、と考えます。
本当に1人で島を離れてやっていけるのだろうか。兄は自分無しで1人で生きていけるのだろうか。本当に島から出ることが正解なのかは分からないが、少なくとも気を紛らわすことはできる。
この不安と向き合って、島から出たシボーンの姿に学べることが多いような気がしてます。皆さんにも眠れない夜、あります?
精霊の正体とシボーンとの関係
エピソード内でも話した、マコーミックさんとシボーンの関係について。
本作のタイトルにもなっているイニシェリン島の精霊(バンシー)のバンシーとは、アイルランドやスコットランドに古くから伝わる妖精。
日本人にとって「妖精」や「精霊」は、ティンカーベルのようなファンタジックで善のイメージが強いですが、あちらでは妖怪や魔女もこのカテゴリに含まれるらしく、バンシーはその中でも人の死を壮絶な叫び声で予告するという女性の姿をしたもの。
おそらくこのバンシーは劇中のマコーミックさんのことを指していると思われます。
登場人物の中で、そんな死の象徴であるマコーミックさんと唯一普通に人間関係を築こうと接していたのはシボーンだけでした。
死の恐怖や、そこから来る不安から逃げず、きちんと向き合ったシボーンが島から抜け出せたという解釈が個人的にはとてもしっくり来ます。
ちなみにエピソード内でTomoheeが、「コルムは『曲のタイトルにしちゃお☆』みたいな軽いノリでバンシーを利用したから、死の不安から抜け出せなかったのかも」と語ってましたが、映画を見返してみると確かにその節が。
コルムは物語後半、パードリックに曲のタイトルを「イニシェリン島の精霊(The Banshees of Inisherin)」にした理由を、「響きが良かったから」と語っていますが、ここのセリフ、原語では「2つのsh(シュ)の発音があるから」と、韻が踏めてることだけを理由に名付けたと語っています。本当に響きだけじゃん…。
そしてそれに対してパードリックは「ああ、たしかに、イニシェリン島には沢山のSh(shit=糞)があるからな」と軽々しく冗談半分に返しているので、そりゃバンシーの恨みを買ってもしょうがないね!
ラストシーンの解釈
エピソードの後半では、本作のラストシーンの解釈について話しました。
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