#5-6【アナと雪の女王】 編集後記
どうも、毎日映画トリビアです。
映画トーク系ポッドキャスト番組「深めるシネマ」、クリス・バック、ジェニファー・リー監督のディズニーアニメーション映画「アナと雪の女王」について深める回、編集後記です。
今回は僕、毎日映画トリビアが公開直後から今までどうしても喋りたかった映画「アナ雪」について。
世間はアナ雪を誤解している。という見立てで、勝新太郎を自らに憑依させつつ、昨今いたるところで聞くようになった「ありのままでいいんだ」「1人で良いんだ」という価値観に1人ブチギレる回になりました。
この編集後記ではその補足を書いていこうと思います。
”ありのまま”でいいの?
アナ雪の代名詞といえば名曲「レット・イット・ゴー~ありのままで~」。
個人的にこの映画でもっとも美しいと思う楽曲は「生まれてはじめて」なんですが(見るたびに毎回ちょっと泣きそうになるほど)、レリゴーほど日本人も含め世界中の人々の心を奪った楽曲は、ここ最近のディズニー映画では登場してないはず。
だけど、ある時ふと僕の中で、この「ありのままでいいんだ」という歌があまりに強く印象に残りすぎて、この映画自体が伝えようとしていたメッセージが霞んでしまっているのではないか、と感じるように。
あまりこの問題点を指摘する声も見当たらないため、「たしかに”ありのまま”は大事なんだけど…そういうことなんだっけ?」という違和感を心の中にしまい込んでいたわけです。
そうこうしてる間にも「多様性」という言葉に後押しされ、世間には「1人で居たいんだからほっといてくれ」という価値観が溢れるようになっていきます。(「多様性が大事」という価値観自体にはなんの罪もないけど…)
そこで僕が思い出した、公開当初、劇場で見た直後に強烈な嫌悪感を抱いた映画がこれ。
2021年公開の映画「映画大好きポンポさん」。
嫌悪感としか言いようがない僕の感情の理由は番組内及びアフタートークで話しているので、そちらを聞いてもらいたいと思いつつ、「ありのまま」で人との関係を絶ち、山へ逃げ出したエルサが美しい氷の城を立ててその中に引きこもったことと、この「ポンポさん」の中で「人との関係を切らなければ素晴らしいホンモノの創作はできない」というストレートな価値観がクロスしているなと感じました。
そしてついに今年、乃木坂46の歌「おひとりさま天国」という、この価値観の決定打のような大ヒット曲が出現します。
「もう大丈夫よ、放っておいて」(強力なパンチライン!)
この曲の存在をTomoheeから教えてもらった時に、ついに「ありのまま」はここまで来たのか…と衝撃を受けました。
この歌は主に「恋愛至上主義」へのカウンターになっていて、僕らが番組内で話しているのはもっと広い意味での「人との繋がり」や「愛」なのですが(そもそもアナ雪自体が公開当時「恋愛至上主義」への強烈なカウンターだったのが面白いんだけど)、とはいえこの「1人で良い」という考え方の土台は、「ありのままの〜♪」と歌う、まだ愛に対して未熟だった時のエルサの価値観と似てるといえます。
つまり、番組内でもTomoheeが語っていたように、
今2023年時点の日本(もしくは世界)は、アナ雪開始30分地点の未熟なエルサで完全に止まっているのではないか
みんなあの歌を聞けたことで満足し、「これでいいの」と自己肯定感を手に入れ、そのあとの話を一切ちゃんと聞いてないのではないか
という見立てから今回のエピソードは企画されました。
でもはたして、僕たちは本当に「ありのまま」で、「1人」でいいんだっけ?
「氷の心」の歌詞
そこで、今回僕が何度もアナ雪を見返していて気になったのが、映画冒頭に流れる歌「氷の心」の歌詞。
氷を切り出す「氷売り」の人々の仕事歌としてさらっと登場するあの歌の歌詞は、日本語吹き替えも字幕も、日本語の歌にするためにかなり意訳されていて、本来の歌詞の意味はなかなか伝わらないのがもったいないところ。
以下が言語歌詞の抜粋。
本来の意味を簡単に意訳するとするならば、
この「採掘に値する(worth mining)凍った心」のために、努力して打ち込め。そうすれば本当に価値のあるものを手に入れることができる。
つまり、凍えるような湖から苦労して採掘に値する氷を切り出すことを生業とする人々を鼓舞するこの歌を、「本当に価値のある『真実の愛』のためには努力が必要である」という教訓に重ね合わせた歌と捉えることができるはず。
つまり”ありのまま”であるだけでは、本当に価値のあるものは手に入れることはできない。この歌はそのことを暗に示しているのではないだろうか?と考えました。
そしてあのシーンに登場する幼い頃のクリストフは、大人たちに混じってこの「冷たい氷のその先に価値のあるものがある」という「真実の愛」の行使の仕方を本質的に、そして直感的に理解して行っていたと解釈できます。
努力って?
では一体努力って何なの?という話になるんですが、これは番組内でも語ったように能動的であること。
Tomoheeがエピソード内で語ったように、アナの努力の仕方(愛の行使の仕方)は見当外れで、エルサとの関係を悪化させることが多かったけど、それでも「絶対にエルサを救う」という信念だけはブレなかった。
アナがその旅の道中で「真実の愛」というものが一方的なものではなく、「自分よりも他者を思いやる心」であると気づき、成長し、見事に自分の凍った心を自分で打ち砕くことができ、その行為によってエルサも能動的に「永遠の冬」を終わらせた、というところに、この能動的であることの力が現れていると思います。
最後の最後まで「自分が事態を解決できる」と信じる力が大事なのかもしれません。
加えて言うなら、映画終盤までのアナにはその信念に追いつく技術が足りなかった。
でも技術は経験でなんとか手に入れることはできる。
この考えは、それこそ映画冒頭でトロールが、頭を氷の力で打たれてしまったアナを見て言っていた「心はなかなか変えられないが、頭はなんとかなる」の精神と似てる気がします。
自分の心に蓋をして「1人でいいんだ」と諦めて城に閉じこもらず(もしくは一時閉じこもったとしても、人が来たら自ら扉を開けることができれば)、自然とその愛を行使する技術は身についていくはず、という希望にも取れるなぁと思ってみたり。
もう一人の自分
そして、この「自分の心に蓋をする」行為をよく表現していたのがオラフの存在です。
番組内でも語ったように、エルサが「1人でいいんだ♪ありのままでいいの♪」と歌いながら作り上げたオラフは、彼女の中のもう一つの人格であるという見方ができます。
雪だるまのクセに、夏が恋しいオラフ。
彼が歌う劇中歌「あこがれの夏」の中では、
と、はっきり「友だちがいる夏へのあこがれ」を歌ってます。
エルサの中にあった「1人でいたくない自分」がオラフとして実体化し、この顔面にアナがニンジンをぶっ刺して(!)完成させ、最終的にアナに愛とは何かを説く展開。本当によく出来た映画だと思います。
この「もう一人の自分」にどれだけ気づけて受け入れられるかが大事なはず。
それを体現するのがクリストフと相棒トナカイのスヴェンのコンビ。
エルサのもう一つの人格がオラフだったように、クリストフのもう一つの人格がスヴェンであり、クリストフは常に自分の中の「もう一人の自分」であるトナカイと対話して、自らの行動を反省したり、思い直したり、修正したりしながら愛を行使しています。
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