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『かまさん』

門井慶喜、の『かまさん』(祥伝社文庫)を読んだ。
 
門井慶喜の小説は、たぶん三作め。
以前に、直木賞受賞ということで『銀河鉄道の父』に手を出して、読んでみたらおもしろかったから、次に『家康、江戸を建てる』を読んだ。
これも、興味深く読んでおもしろかったから、次にと、なんか探偵ものを読んでみたことあったけど、これはダメだった。
そんなんで、私にとって「門井慶喜」という作家は
歴史小説の作家といった認識だ。

この小説は、函館戦争にいたるまで、函館戦争終了で終わっている。

『かまさん』というのは榎本釜次郎、つまり榎本武揚のことだ。
榎本釜次郎は徳川幕府幕臣で、函館戦争で、薩長閥の新政府軍に抵抗し、惜しくも数ヶ月で敗れ(開陽丸座礁とか、色々な惜しいことあった)たのだが、後に、新政府に出仕、明治政府の要職を勤めた人だ。
函館戦争で敗れた榎本釜次郎の助命嘆願に努めたのが黒田清隆。黒田清隆は、函館戦争において、新政府側の総司令をしていた。

ここで、私はどうしても小栗上野介忠順を思わないわけにはいかない。
https://duckduckgo.com/?q=%E5%B0%8F%E6%A0%97%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%BF%A0%E9%A0%86&ko=-1&ia=web

小栗忠順(ただまさ)は、江戸幕府での要職に就いていた人だった(更には徳川慶喜恭順に反対、薩長への主戦論を主張した)から、新政府軍が目の敵にしたがったのは理解できるけれども、上野国群馬郡権田村に隠遁した小栗忠順を逮捕、何の吟味もなく翌日斬首したのは、全く横暴もいいところと言える。

まぁ、長岡藩家老河井継之助も、最後の談判に行って対応に出た新政府側の男が下っ端の横柄な男だったというのも、運命の皮肉と言えるし、会津藩もだし、こういう事例は小栗忠順に限らないのだけれど。

二人とも交戦派だった。
小栗忠順は薩長への主戦論を主張したが、幕府内での論争に敗れて後に隠遁、薩長軍の追討令に応じて武装解除、養子を差し出している、にもかかわらず逮捕即斬首。
榎本釜次郎は実際に交戦している、けれども助命、後に新政府に出仕。

榎本釜次郎と小栗忠順との違いは、なんだろう?
この二人を列べてみるのは、筋違いだろうか?

どうも良く解らない。

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