映画製作会社シグロ

たまたま、『靖国YASUKUNI』というドキュメンタリー映画を見て。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD_YASUKUNI

ここに、協力プロデューサーとして
山上徹二郎の名前があった。
山上徹二郎氏は(株)シグロの代表取締役。http://cine.co.jp/

(株)シグロ
1986年設立。代表、山上徹二郎(1954年熊本県出身)。  ドキュメンタリー映画の製作配給を中心としていた。
ドキュメンタリー映画を扱う会社だった。
以下、今、シグロで扱っているドキュメンタリー映画をざっとあげる。
 『沖縄列島』('69・東陽一)、『やさしい日本人』('70・東陽一)、
『水俣ー患者さんとその世界』('71・土本典昭)、『日本妖怪伝サトリ』('73・東陽一) 、『公害原論』('74・前田勝弘)、『水俣病ーその20年』('76・土本典昭)、
『無辜なる海』('82・香取直孝)、
『海盗りー下北半島浜関根』('84・土本典昭)、『ゆんたんざ沖縄』('84・西山正啓) 、『戦場の女たち』('89・関口典子)    、『老人と海』('90・ジャン・ユンカーマン)、『阿賀に生きる』('92・佐藤真)、『免田栄・獄中の生』('93・小池征人) 、『あらかわ』('93・萩原吉弘) 『まひるのほし』('98・佐藤真)

 『水俣ー患者さんとその世界』『日本妖怪伝サトリ』『公害原論』『海盗りー下北半島浜関根』などの製作は、青林舎。

が、1992年公開の『橋のない川』(東陽一監督)で劇映画製作。
以後、'96年、『絵の中のぼくの村』(東陽一)、
そして2000年代になると、
2001年『ハッシュ』(橋口亮輔)、
'03『わたしのグランパ』(東陽一)、
'06『松ケ根乱射事件』(山下敦弘)、         
       '07『ドルフィンブルー』(前田    哲)、 '08『ぐるりのこと』(橋口亮輔)と本編劇映画の製作が続く。

'92『橋のない川』、'96『絵の中のぼくの村』、2000『ボクの、おじさん』までは、なんとなくワカル。
東陽一監督だから。青林舎つながりありで。
 その後が、2001年『ハッシュ』、監督、橋口亮輔。 なぁんでかなぁ?
いささか気になる。 (^^ゞ 『二十才の微熱』『渚のシンドバット』に続く、五年ぶりの映画がシグロで製作。


2000年『ボクの、おじさん』
原案、山上徹二郎
脚本・監督、東陽一
製作、山上徹二郎、と、
庄幸四郎。
 出演、筒井道隆 つみきみほ 中嶋朋子 宇崎竜童  鈴木ヒロミツ

  
 シグロ。
なかなか興味深い会社だと思うのだが。どうだろう。 
 代表の山上徹二郎は、青林舎にいた人だった。
1981年に青林舎に入社。 '86年に独立、シグロ設立と共に、青林舎も改組。
そして、青林舎は、岩波映画製作所でプロデューサーをしていた高木隆太郎が設立。  
岩波映画出身監督は、羽仁進土本典昭田原総一郎黒木和雄など。 


香取直孝監督の『無辜なる海』、シグロで扱っていた。
http://cine.co.jp/list/2_18.html

http://cine.co.jp/detail/0026.html


シグロ関連で、東陽一。
1996年公開の『絵の中のぼくの村』(監督、東陽一)がシグロ製作配給。この後も三本の映画でシグロと関わっているが、この東陽一、それまでに「幻燈社」という会社で何本も映画を創っている。
その第一作めが『サード』(1978)が、ATG との共作。
この『サード』の製作に前田勝弘、助監督に青池憲司の名前があった。
前田勝弘は『ベンポスタ~子供共和国』(1990)の製作者で、青池憲司は監督だった。


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