新東宝

以前、高島忠夫死去ニュースをネットで見かけて、チョット検索してみるかなとか思って(高島忠夫って俳優だったらしいけど出演してる映画みたことないし)(それにしてはショーケン死去に対しては・・?(^^;))
そうして、新東宝。

私、チョット勘違いしてました。(^^;)永田雅一と大蔵貢。永田雅一は大映でしたね。
検索によると、高島忠夫が新東宝ニューフェイス第一期生として芸能界入りしたのが1951年で、大蔵貢が社長に迎えられたのは1955年、となっている。
第二次東宝争議の後、新東宝映画製作所創業が1947年、それから倒産が1961年で、その間14年間、大蔵貢が辞任に追い込まれたのは1960年末、だから、新東宝の大蔵貢時代はたったの5年間しかない。。!
14年間に800本ほどの映画を製作。一年間に約57本、1ヶ月4.7、約5本。

そうして、新東宝は、やはり、前期と後期に分けられる。大蔵貢が社長になってからの後期とに。
つまり、私の印象として、新東宝の映画ってエログロものっていう印象がどうもあったのだけれど、今回の検索で、『西鶴一代女』や『野良犬』(黒澤明の)も新東宝映画って判って、吃驚した。それは、勿論前期のものだった。

大蔵貢時代の新東宝映画っていったら、なんといっても1957年の『明治天皇と日露大戦争』。大ヒットした、らしいのだけれど、配給網が整備されていなかったから利益が他社へ持って行かれちゃったそうだ。
そんな中で活躍した若手俳優たちが、宇津井健
天地茂菅原文太三原葉子らだった。Wikipediaでは「健闘した」と書かれてある。高島忠夫の名前はどこにも出ていない。。?
因みに、テレビ放送開始は1953年2/1。

正直なとこ、私は高島忠夫より新東宝(&大蔵貢)に興味関心がある。
私が生まれたのは1956年で、高卒後一人暮らしを初めて一人で自由に色んな(お金はなかったけど映画館は多かった)映画を観ることができるようになった頃は(1970年代後半)、新東宝はなかったし(その頃の新東宝映画っていったらピンク映画だった)、日活といえばロマンポルノだったし(日活のポルノ路線開始は1971年、終了1988年)、とにかく、高島忠夫より新東宝。ってことなのです。(高島まさひろ&まさのぶ兄弟には映画俳優として興味あり)


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