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姫田忠義

『旅する巨人』(宮本常一)関連。

NHK TV. ETV特集。
『姫田忠義・果てしない記録の旅』
1994年11月1日・2日、放送の録画ビデオをみた。

姫田忠義。
昭和三年、兵庫県出身。
26歳に民族学者、宮本常一に出会い、以後、1961年(昭和36年)から、日本列島に伝えられているものをひたすら記録して歩こうとして、映像を撮り続けてきている。
『私たち、日本列島には想像を絶するとさえいっていい、深い文化が伝えられていると思う。』
『人には他人に言えない深い思い、内面があると思いますが、そういう人に教わり続ける、会いたい、そう思いました。』
ナレーションを姫田忠義がしている。


1977年作品
『椿山ー焼畑に生きる』
 高知県池川町椿山。1974年秋から、椿山集落の焼畑農耕・祭祠など生活の全般にわたる映像記録をおこなった。
1989年作品『奄美の泥染め』
僕らの記録作業は、人間の細やかな行為の凄さをみて歩くもの。
1988年作品『からむしと麻』
人間の行為というものは、よくみると、非常に細かい細部の連続ということができると思います。
技術の細部の中には、人間の暮らしに有用なものを生み出していく、そういう人間の配慮、心が現れている。
1990年作品『越前和紙』
1978年作品『竹縄のさと』 もう、ただただ、めを見開いてみているしかてがないんですね。
1984年作品『山人の丸木舟』
1976年作品『奥会津の木地師』

1977年作品『イヨマンテー熊送りー』
なぁんでこんなことをするのか、考え続ける日々だった。寒かったしね。

1984年作品『越後奥三面ー山に生かされた日々』
  1985年、奥三面、全42戸は離村し、集落はダムの底に沈んだ。


 『人がいるかぎり、はてしないな。
伝統が途切れてなくなってしまうんじゃないか、といった不安感があるかもしれませんが、そんなことはないな。 
宮本先生におうたばかりの頃、いろいろ話を聞かせてもろて・・昭和十年代はこうだったとか聞いて、いいなぁと。先生はいい時代におられましたなぁ・僕らの時代はカスやなぁ、ま、しゃないですわ、カスをみて歩きますわ、と言ったし、そう思った。が、しかし、それは思いあがりですね。人間の生存、生活にカスも何もないですよ。
私が記録する志をたてるきっかけを与えてくださった対馬の古老は、なぁんのりっぱな言葉も言わなかった人ですよ。
ただ、人間の存在、ということを教えてくれましたねぇ。
そういう人はいつの時代にもずっといつづけると思いますよ。
そういう人に会う旅ですから、今はみえないですけど、その旅は確実にあると思います。 確実に続くと思いますよ。
志さえあればな。 』

『海があれば海を渡り、山がれば山を越え、人に会い、話を聞き、映像で記録する、そういう作業を30数年間、1961年から始めました。
ちょうど日本が高度成長期に飛び込んでいった頃です。
日本は激変しました。
その激変する時代の底に、脈々とながれているもの、それをみつめた日々であったと思います。』

第二夜は、人々との出会いの中から生まれたフランス人民族学者からの要請により、この後、フランススペイン国境のピレネー山地に暮らす人々の記録につながっていく。

 
私が巨樹古木やアメリカインディアンにひかれる心情とも、通低していると思う。



 宮本常一氏に関しては、
『旅する巨人』で書いた。

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