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デイレクターズカンパニー

『ディレクターズ・カンパニーは、かつて存在した映画製作会社。略してディレカンとも表記される。1982年6月設立、1992年5月倒産。』

『旗揚げ作品は、設立年の1982年秋、〈ピンク!朱に染まれ〉と銘打たれた、泉谷しげる監督『ハーレム・バレンタインディ』、宇崎竜童監督『さらば相棒』、高橋伴明監督『狼』の中編三本立て。1984年4月封切りの池田敏春監督『人魚伝説』が、本格的劇映画第一作目となる。』

↑↑等々、
詳しいことはWikipedia とかをみてもらうとして。

デイレカンについて、私があげておきたいことを書く。

先ずは、ウイキにもある様に、デイレカンの旗揚げは、長谷川和彦が自分たちで映画の企画から製作配給までより自由にできる様にしようと、根岸吉太郎や相米慎二に声かけしたことから始まっていて、
長谷川和彦もそのつもりでいたはず、にも関わらず、最も期待されていた長谷川和彦の三作め映画は誕生することがなかった、ということ。
『長谷川和彦、と村上龍』でも触れた様に、そこが私の興味深いところなのだが、・・。。

『人魚伝説』。
昔、観た記憶あり。好印象。これで白都真理という女優名を記憶した。
この映画を監督した池田敏春は、『人魚伝説』を撮影した海で2010/12/24没。享年59歳。

そして、相米慎二、というか、ここにおいては『台風クラブ』(1985)。
なんだけど、検索してたら、相米慎二に関することだけでいくつも書きたいことあると思えた、ので、それはそれで、あらためて別記。
『台風クラブ』の舞台となった学校校舎が長野県佐久市中込中学校だったと知って、佐久市が郷里の私は(中込中出身ではないが)、とても驚いたものだった。その映画の内容よりもそっちのことの方のがより興味深くて、この映画は私の記憶に強く残っているのだった。
内容的には・・?
よくはわかんなかった印象。
それで、この映画、なア~~~んで造られたんかいな?っていう疑問が湧いて、けっこう長いこと疑問のままだった。
これは、デイレカンが公募したシナリオだった。
デイレカンは、そういう新たな才能の発掘にも積極的だった。最も、それがうまく作用しなかったようだが。
デイレカンの倒産要因は、これもウイキをみてもらえば済むことなんで、略。私は当事者ではないし。

もう一つ。ウイキでの『台風クラブ』に、三浦友和について書いてあったことで。
『この作品で体当たりの演技を見せた工藤夕貴が注目されるきっかけともなった作品であり、これまで優等生的な役柄が多かった三浦友和が、それまでのイメージを180度転換させるような演技をしたことでも注目された。』
これが気になって、やはり検索してみたことある。
そうではなかった。
三浦友和のイメージ転換映画は、1981年の『獣たちの熱き眠り』(勝目梓原作)、だった。『獣たちの熱き眠り』で検索すれば出てくる、私もそう思う。

ついでに?もう一つ。
相米慎二監督の『ラブホテル』(1985)。
この映画、『ラブホテル』で検索すると製作会社デイレカンになっている、けれど、『デイレカン』での製作映画にはない。『ラブホテル』はにっかつロマンポルノ後期作品で、デイレカン製作映画ではないと思った。
相米慎二監督映画を、いろいろ見ていて、それが『相米慎二』で書きたいと思った要因。
相米慎二は、デイレカンで三本撮っている。
『台風クラブ』(1985)
『光る女』(1987)、『東京上空いらっしゃいませ)』(1990)
で。1985年にもう一つ『雪の断章 情熱』があって、この映画の製作者が伊智地啓で、相米慎二は伊智地と何本も組んでいて、これがなかなか興味深い。
そもそもの初監督映画『翔んだカップル』(1980)、それから『セーラー服と機関銃』(1981)『ションベンライダー』(1983)と、キティ・多賀英典製作映画、で、伊智地啓は、キティにいた。多賀英典がキティフィルムを興した際、長谷川和彦らと共に(にっかつから)引っ張られた経緯がある。
とか云々。
相米慎二のことばかりになりそうだから、これで止めとく。ここでは。


デイレカン製作映画作品
1984年
人魚伝説(池田敏春監督)
逆噴射家族(石井聰亙監督)

1985年
台風クラブ(相米慎二監督)
ドレミファ娘の血は騒ぐ(黒沢清監督)

1986年
ウホッホ探険隊(根岸吉太郎監督)
犬死にせしもの(井筒和幸監督)

1987年
永遠の1/2(根岸吉太郎監督)
光る女(相米慎二監督)

1988年
DOOR(高橋伴明監督)
死霊の罠(池田敏春監督)
妖女の時代(長崎俊一監督、大森一樹脚本)

1989年
スウィートホーム(黒沢清監督)
危ない話(井筒和幸・黒沢清・高橋伴明監督)

1990年
東京上空いらっしゃいませ(相米慎二監督)
マリアの胃袋(平山秀幸監督)

1991年
喪の仕事(君塚匠監督)
風、スローダウン(島田紳助監督)

1992年
東方見聞録(井筒和幸監督)
死んでもいい(石井隆監督。『東方見聞録』と同時に撮影が進んでいたが、撮影途中に倒産したため、キティ・フィルムが引き継いで完成させた)

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