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『タスマニア物語』

僕のタスマニア物語、というか、2000年のセイクレッドラン。

僕がタスマニア島へ行ったのは2000年の夏のことだ。
つまり、むこうは冬だった。

当時、東信州佐久地域で完全請負宅配仕事をしていた僕には、長期休暇など望むべくもなく、オーストラリアでまたセイクレッドランがある(「また」というのは1993年にもあったから)、との情報を聞いて、行きたいけど……どーしようかなぁって、しかしかなり前向きに行く方向でそのすべを考えていた。 、なんやかやで、僕が行ってる間宅配仕事を任せられる人のめどがたって、私はごく後半の一部に参加できたのだった。それがタスマニア島一周だった。
正確には、タスマニア島一周の後、再びメルボルンに戻りそこからシドニーの手前まで、少し走ってるが。、飛行機チケットは成田発メルボルン、帰路はシドニー発成田にしてあった。
メルボルンの空港に、参加していた日本人女性(その前に日本で出会ってて面識はあった。)に出迎えに来てもらえた。 1995年の日本でのセイクレッドランには、幾人ものオーストラリア人たちが参加していて、その中の何人かとも再会できた。
その日本人女性以外に、この年のオーストラリア・セイクレッドランに五人の日本人たちが、初参加(僕が知っている限りにおいてのセイクレッドラン参加者。もっとも都合七回も参加してる僕はむしろ奇特、か) 、していて驚いた。

映画。『タスマニア物語』(1990年)
この映画は特殊な事情で製作された、そうだ。
角川春樹・製作監督の『天と地と』の配給が、東宝から東映に変更になり(変更になった事情は判らない。「諸般の事情により」だそうだ)、予定されてた夏の配給映画ラインナップに穴があいてしまった東宝が、フジテレビに話をもちかけ、フジテレビが企画製作。 
問題が発生したのが1989年の冬だったことから、晴れ間が多く狙える南半球が舞台となった。(それでも、なんでタスマニア島なんだ?とは思うが) そんで、急ごしらえの企画を成功させるべくフジテレビの総力?をあげての怒濤の宣伝活動が行なわれた。
・・!!
そういや、なんか『北の国から』に感じが似ていなくもない、か。
それにしてもキャスト・スタッフ、急ごしらえにしてはよくぞ集めたといったもんで、けっしてやっつけじゃない、感じ。
田中邦衛、薬師丸ひろ子、根津甚八、宮崎美子、小林桂樹、など。監督は降旗康男。脚本は金子成人。
なぁんか東映を意識してんじゃないかぁ?って気もしなくもない。キャストに富司純子の名もあるし。
それで、これがそこそこ成功したんだな。
配給収入の数字だけをみればたいしたことないようにみえるが、実際の観客動員数によっている比率は『天と地と』より大だから。
つまり、『天と地と』の配給収入の大部分は会社組織(関連企業団体)への前売り券の捌きによるもので。『天と地と』は、『敦煌』とともに前売り券映画、だって。
いやぁ〜〜〜・・!さすが!!フジテレビ。?
たいしたもんである。

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