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相米慎二②

今回改めて相米慎二を検索してみて。

◆1972年、中央大学中退後、長谷川和彦の口利きで契約助監督としてにっかつ(撮影所)に入所。
↑↑長谷川和彦の口利き」の謂われについてここでは書かれてなかった。
けれど、やっぱり思い直して検索してみたら、note の記事を見つけた。
1968年長谷川和彦、今村プロ入社。長谷川和彦が、今村プロ事務所の管理人との名目でそこに住んでいた時、相米慎二が彼女と共に転がりこんで来た、らしい。
相米慎二の彼女と、当時の長谷川和彦の奥さんが知り合いだった。
ある日長谷川和彦が帰って来てみたら、そこに見知らぬ髭もじゃの怪しい奴がいた、という記事もあった。
ともかく。相米慎二は、長谷川和彦と出会った。

1971年長谷川和彦にっかつ入所。(今村昌平の口利き?今村プロからの出向ということで)
1972、相米慎二、長谷川和彦の口利きでにっかつ入所。
1976、長谷川和彦、『青春の殺人者』で監督デビュー。この時、相米慎二は杉田二郎名義で助監督。
1979、『太陽を盗んだ男』公開。ここでも相米慎二は助監督についた。
1980年、相米慎二、『翔んだカップル』で監督デビュー。多賀英典が、相米慎二を監督に起用したのだが、そこに特別な理由はなかった、ようだ。
1981年、『セーラー服と機関銃』。
この映画は、キティフィルムと角川春樹事務所との共同製作。。。!!

1982年6月デイレカン設立。デイレカン設立に相米慎二も参加したことは前記した。
1983年、『ションベンライダー』。この映画はキティフィルムの伊智地啓、企画製作。
1983年に『魚影の群れ』(夏目雅子デビュー作)。この映画を、相米慎二が監督することになったのも、いわばたまたまの偶然だった。深作欣二が撮ろうとしていた映画が結局中止になっての、事後処理からの。

デイレカンで、相米慎二は三本撮っている。
1985、『台風クラブ』
1987、『光る女』
1990、『東京上空いらっしゃいませ』(牧瀬里穂デビュー作)

『台風クラブ』と『光る女』の間に、
『雪の断章-情熱-』(1985。斎藤由貴デビュー作)があって、この映画も伊智地啓製作。

その後、1993、『お引越し』(田畑智子デビュー作。桜田淳子の最後の映画)
1994、『夏の庭  The Friends 』のスタッフにも伊智地啓の名前がある。

◆キティフィルムで映画監督デビュー。
その発端は、長谷川和彦との出会い。
(もっとたどるならば、相米慎二とその彼女との出会いにまでいかなければ、という気がするけれど。)
デイレカンで三本。
その後は、伊智地啓製作映画で監督。
長谷川和彦は、キティでもデイレカンでも映画を撮らなかった。(・・?撮れなかった?)
皮肉な運命と言えるかも。

◆相米慎二監督映画で、映画デビュー女優が何人も。
『ションベンライダー』で、河合みちことかいう女優がデビューしている(永瀬正敏も)、そうだけど、私は全く知らない。
『光る女』での秋吉満ちるは?女優と言っていいかどうか?私には解らない。

◆相米慎二、2001年9月9日没。享年53歳。
『東京上空いらっしゃいませ』、出門英の遺作、享年47歳。



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