秋刀魚の味(1962)

 Netflixで『秋刀魚の味』を観た。これはデジタルリマスターした新しい素材による配信で、色彩は目が覚めるように鮮やかだ。僕はずいぶん以前に、銀座並木座で戦後の小津作品の主要なものをほとんど観ている。それはいつのことだったか。

 映画瓦版の旧サイトには、僕が1990年代半ばから観た映画がほとんど網羅されている。ところがそこに『秋刀魚の味』の記事はない。とすると、僕がこの映画を観たのはそれより以前ということになる。念のために新サイトでも調べてみたが、当然そこにこのタイトルはなかった。

 銀座並木座が閉館したのは1998年9月。僕が『秋刀魚の味』を観たのはそれよりずっと前、まだ20代の独身時代だった。当時の僕にはこの映画が、娘を嫁がせる父親を主人公にした軽いコメディに見えた。でも今観ると、この映画はかなり恐ろしい。

 本作のテーマ「娘を嫁がせられない父になってしまう男の恐怖」なのだ。主人公はクラス会でかつての恩師(漢文の教師であだ名はヒョウタン)に再会するのだが、この恩師には娘がひとりいる。ところが彼は早くに妻を亡くして娘に身の回りの世話をさせているうちに、娘はすっかり結婚するタイミングを逃して独身のまま中年になってしまった。かつて「きれいな娘さん」だったヒョウタンのひとり娘が、生活やつれした杉村春子になって登場する場面は衝撃的だ。

 主人公にも独身の娘がひとりいる。年は二十四になる。そろそろ結婚してもいい頃だと思っているが、彼もまた妻を亡くしていて、家で家事をしているのはこの独身の娘なのだ。学生時代からの親友は「早く娘を嫁がせないと、お前もヒョウタンみたいになっちゃうぞ」と脅かす。

 この映画では「娘の幸福」より、「父親の世間体」が優先されている。男たちは娘の結婚について、「娘が片付いた」という言い方をする。「女の子なんてつまらんもんです。せっかく育てても他人にくれてやらにゃならん」という言い方をする。もちろんそこには、娘を思いやる気持ちもあれば、自分のことを控え目に言う日本の文化もあるだろう。しかしこの映画は娘の幸せより、まず父親の気持ちなのだ。

 劇中で描かれるヒョウタンの惨めさは、戦前は漢文教師として尊敬され恐れられる存在だったものが、戦後は貧しい中華そば屋(劇中では「ちゃんソバ屋」と言われている)のオヤジになったとこから生じているわけではない。最も惨めなのは、彼が娘を嫁がせられなかったことだ。独り身のまま老いた父の世話をする娘の立場も惨めだが(娘が酔い潰れた父を眺めながらひとり泣く場面は胸を打つ)、主人公の気持ちはそこには向かない。彼が見つめる先には、「惨めな恩師の姿」しかない。「娘を嫁がせられないと、自分もこういう惨めな老人になってしまう」という気持ちが、彼を恐怖させるのだ。「娘を不幸にしてはならない」という話以前に、「ヒョウタンのような惨めさを味わいたくない」というのが、この物語の大きな原動力になる。

 映画は後半になって、娘が秘かに思いを寄せていた青年とのエピソードなどをからめながら、娘の見合いへの決意と結婚で幕を閉じる。重要なのはここに、娘の結婚相手が姿を現さないことだ。娘がどんな相手と結婚し、どんな家庭を築いていくかに、この映画はまったく興味を持たない。娘を嫁がせ、家から追い出すことだけが、この主人公の目的になっているからだ。彼はそれに成功する。まさに「娘を片付けた」のだ。これで彼は、「ヒョウタンのような惨めな老人」になることを免れた。

 昭和の時代にあった「国民皆婚社会」は、若者たちの「結婚しなければ」とうい意思以前に、「息子や娘を結婚させねば」とうい親たちの意思によって支えられていた。相手は誰でもいい。結婚は「好きな人と結ばれること」ではなく、「嫌ではない相手と一緒になること」だった。見合いは嫌なら断ってもいい。でも特別嫌でなければ、紹介された相手と結婚するのがルールだった。この映画の中で、主人公の娘もそうして結婚していく。

 「独身の子供を結婚させなければ親が惨めだ」という価値観は、唱和の時代には当たり前のようにまかり通っていた。この価値観は、僕の知る限りでは20年ぐらい前までは普通に存在した。だから都会に出て働く独身の女性は、盆や正月に実家に帰るたびに、「早く結婚しろ」「いい人はいないのか」「見合いを考えてはどうか」などと言われてウンザリしていた。子供はこうした親の介入を疎ましく思っていたのだが、それでもこれを無碍にできないのは、それが子供の幸せを願ってのことだろうと思っていたからだ。

 でもそれは違う。『秋刀魚の味』を観ると、親たちは子供が結婚しないことで自分が惨めになるのが嫌だったのだとわかる。

 今でも田舎に帰ると聞く話がある。「○○さんとこの息子が東京から帰ってきて畑手伝ってるんだけど、四十過ぎてまだ独身なのよ。かわいそうじゃんね……」。ここで「かわいそう」だと言われているのは、おそらく独身の息子ではない。独身の息子に畑仕事を手伝わせている○○さんが、かわいそうだ、気の毒だと言われているのだ。子供が結婚できないと、親が同情され、惨めな思いをする。周囲の人からあれこれ言われるのは、親の方なのだ。

 『秋刀魚の味』はそんな惨めな親と、惨めな親になりたくないと願い、何とか娘を結婚させることに成功した親の姿を対比させる。古き良き日本の家族の実態。その薄気味悪さを、軽快なサセレシアの調べに乗せて無邪気に描く小津安二郎の底意地の悪さ。これを「恐ろしい映画」と言わずして何と言うべきか。

 ちなみに本作は小津安二郎の遺作。小津監督は最後まで独身だった。

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