往復書簡・映画館の話をしよう「なぜ映画館が好きなのか?」③(山口雅)
大浦さん、お返事ありがとうございます。
お返事って嬉しいものですね。ワクワクしながら読みました。
「映画館で自分が世界の一員であると無意識に実感する」という話、興味深いですねえ。そうか。そうなのか。お返事を読み、私もまた映画館が好きな理由を改めて考えてみています。
映画館って当然ながら「映画を最適に観るための専用施設」ですよね。
映画に没入するために、あらゆる配慮がなされている場所。
強制的に電気を消され、スマホを取り上げられ、静寂を強いられて、2時間も3時間もじっとしていろという。落ち着きのない私には最高なんですよ。
なんなら手足を椅子にくくり付けて、開いたまぶたも固定されたい。私、すぐ寝るので。
映画館は、私にとって、とても安心できる場所。
その理由をずっと考えていて、ようやくちょっと思い当たりました。
私は映画館に「圧倒的な平等さ」を感じてるんだと思います。
「客電が落ちる瞬間、私たちはただ待つだけの人に成り下がる」と前の手紙に書いたけど、思えば映画が始まった瞬間から終わるまでずっと、私たちはみんな「等しく無力の人」になるんですよね。
目の前でどんなに大変なことが起きようとも、何ひとつ介入できない、間抜け面で傍観してるだけの人。男も女も、老人も若者も、金持ちも貧乏人も、ハッピーな人も落ち込んでる人も、全員がまったく同じです。
座席に座ると、目の前にあるのはのっぺらぼうの白いスクリーンだけ。そこに映る光と影に私たちは一喜一憂し、涙を流したり笑ったり。
観客のノリやその日のテンションで物語の行方が変わることはありません。その映画は明日も10年後も同じカットで始まり、同じカットで終わる。いつ、どこで見ても同じ。そこにも私はなんだか平等さを感じるのですよ。
でね、大浦さんも書いていた、映画が終わった後に聞こえてくる感想。私もよく聞き耳を立てます。他人の感想、やっぱり気になりますよね。
でも世間で絶賛されてるはずの映画が面白くなかったとしても、そう感じるのはその人の自由。私の感想は私のもの。同じものをみんなで観ても、何を受け取るかは自由で、勝手で、平等なんです。
この世界には理不尽で悲しいこともたくさんあるけど、ここにいる間だけは大丈夫。それが私にとっての映画館なんです。
映画館についてのとりとめもないおしゃべり、いろんなことを考えられて面白いですね。
では、次のお題を出させてください。
「好きな席はどこですか?」
これは人によって持論や好みが大きく分かれる大問題ではないかと思います。大浦さんは普段、映画館でどの辺りに座りますか?
ではではお返事楽しみにしています。
【毎週月曜更新】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?