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『バットマン』『バットマン・リターンズ』 必要なのはバットマンの心理的構造だった。なんでコウモリの格好なんかしてるのかってことだ。どう考えてもそれは異常な行為なんだから。(ティム・バートン) 町山智浩単行本未収録傑作選27



文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2002年6月号

 1939年、ニューヨークに住む17歳の少年ボブ・ケインは、レオナルド・ダヴィンチの描いた鳥形飛行機のスケッチを見た。人が腕に翼を装着したその姿に魅了されたケインは、コウモリのようなマントを翻すヒーローを描き始めた。
 それがバットマンだ。

●闇の処刑人ダークナイト

 主人公ブルース・ウェインは6歳の時、路上で強盗に両親を射殺される。父と母が目の前で血みどろで死んでいくのを見たブルースは、両親から受け継いだ莫大な遺産を犯罪者退治に注ぎ込もうと誓う。
「僕は素顔をさらせない。犯罪者どもが恐れる扮装をしよう。奴らは迷信深い臆病者だから」
 ふと窓を見るとそこには天啓のようにコウモリが。
「そうだ。コウモリになろう!」
 ケインの『バットマン』は『ディテクテブ(探偵)コミック』(後のDCコミックス)の27号に初めて掲載された。闇から現れたバットマンは悪人に向かって静かに言う。
「観念しろ……さもなくば殺す!」
 それは脅しではない。ギャングを高い屋根のてっぺんから落とし、投げ縄で絞首刑にし、拳銃さえ向ける。
「人の命を奪うのは好きじゃないが、必要なときもあるんだ!」
 バットマンは明るく優しい正義の味方とはほど遠い、情無用の仕置人だったのだ。
 バットマンに処刑されるのは法で裁けぬ悪。ということは精神異常者だ。最初の敵ジョーカーは狂った道化師。彼の犯罪の目的は金ではなく、ただのジョークとして人を殺し、社会を混乱させることだ。連載第2回の敵は気狂い博士ドクター・デス。バットマンは言う。

「貴様は狂っている。死ぬしかない」

 もちろん悪人といえど裁判を経ずに処刑するのは違法だ。バットマンもまた犯罪者として警察から追われ、ついには法廷に立たされる。無差別殺人を繰り返す精神異常者と、それを処刑するDark Knight(暗黒の騎士)。この陰惨な物語はどこから来たのだろう?

●フィルム・ノワール+ドラキュラ

 バットマンが生まれた1940年前後はアメリカン・コミックの黄金時代であると共にパルプ・マガジンの全盛期でもあった。パルプ・マガジンは、大恐慌で犯罪が増加し、ギャングが都会で銃撃戦を繰り返す世相を反映した犯罪小説や風俗小説を集めた雑誌で、セックスとバイオレンスを売り物にした安っぽい読み物だったが、その分、人間の暗い欲望を赤裸々に暴いていた。1920年代に創刊された探偵小説雑誌『ブラック・マスク』にはハメットやチャンドラーが寄稿し、孤独な探偵のモノローグを通して、トリックの推理ではなく人間の業を非情に描く「ハードボイルド」というジャンルが生まれた。若年層向けのパルプ・マガジンでは、『ザ・シャドー』などブラック・マスクをかぶって闇夜に悪を退治する探偵モノが人気を呼んだ。『バットマン』もまた『ディテクティブ・コミック』で連載が始まったように、黒覆面の秘密探偵の一種なのだ。
 ハメットの『マルタの鷹』は1941年にハリウッドで映画化され、『三つ数えろ』『深夜の告白』などハードボイルド小説が次々に映画になった。モノクロの闇の深い画面。雨に濡れた夜の舗道、車のヘッドライト、過去を背負った男、男を誘惑して滅ぼす悪女(ファム・ファタール)。勧善懲悪好きなハリウッドらしからぬこの陰鬱な作品群は後にフランスでフィルム・ノワール(暗黒映画)と名づけられる。ボブ・ケインの『バットマン』はフィルム・ノワール全盛期に、そのコミック版として人気を集めていく。
「フィルム・ノワール」のモノクロ映像美に影響を与えたのはヨーロッパ映画、特にドイツ表現主義だった。実際にフリッツ・ラングなどドイツから渡ってきた映画作家が非ハリウッド的な闇でスクリーンを染めていた。同じくドイツで『巨人ゴーレム』(1920年)などを撮っていたカメラマン、カール・フロイントもハリウッドに呼ばれ『魔人ドラキュラ』(1931年)を撮影している。ベラ・ルゴシ扮するドラキュラがコウモリとなって月夜に飛来し、美女の寝室の窓辺に立つシーンは有名だが、これはそっくりそのまま『バットマン』の連載第一回で再現されている。トランシルバニアの古城のような大邸宅に独り暮らすバットマンは、美女ではなく悪党の血を吸うドラキュラだったのだ。

●ポップでキャンプなTV版

 ところが子供たちの間で『バットマン』が大人気になると、バットマンは半ズボンの少年ロビンを相棒にすることになる。それと同時に「僕らは刃物や拳銃を使わない。犯罪者といえど殺してはいけない」と健全化していく。
 1960年代、『バットマン』はTV化されたが、晴れ上がった青空の下でカラフルな衣装をつけたジョーカーやリドラー(日本ではナゾラー)がはしゃぎ回るというバカバカしいほど明るい映像だった。さらにバットマンが悪党にパンチを食らわせると画面いっぱいに「POW!」とアメコミ風の擬音が飛び出す、まるっきりアンディ・ウォーホルやリキテンシュタインのアートのようなポップでサイケな世界はそれなりに楽しいが、はっきり言うとオカマっぽい。特に半ズボンの少年ロビンと、いい年して独身のブルース・ウェインの関係は意識的にホモっぽく描かれて微妙に笑わせる。ゲイ独特のキッチュ趣味をキャンプと呼ぶが、TV版『バットマン』は究極のキャンプだ。
 このTV版のせいで、『バットマン』と聞くと誰もがオカマ・バーのショーを思い浮かべて笑うようになった。彼が非情のダークナイトだったことは忘れられてしまったのだ。
 いや、唯一の例外は日本にあった。1972年、石ノ森章太郎は『少年マガジン』に『仮面ライダー』の連載を始める。稲光に浮かび上がるゴシック風の古城、そこに執事の立花藤兵衛と孤独に暮らす本郷猛と、社会への怨念に狂って自ら怪物となった改造人間たちとの陰惨な闘いは何よりもダークナイトの魂を正しく引き継いでいたのだ。

●ティム・バートン登場!

 1978年、同じDCコミックスの『スーパーマン』が映画化され、これが大ヒット。ワーナーブラザーズはすぐさま『バットマン』の映画化権を取得、『ダイヤモンドは永遠に』『死ぬのは奴らだ』など007シリーズの脚本家トム・マンキーウィッツにシナリオを依頼した。『スーパーマン』のシナリオにも協力したマンキーウィッツは、それと同じ方法論でバットマンの誕生から宿敵ジョーカーとの最初の対決、そしてロビンとのコンビ結成までをマンガ的なタッチで描いた。
 監督にはジョー・ダンテ、アイバン・ライトマンなどが指名されたが、誰も手を出そうとしなかった。まだキャンプなTV版の印象が強すぎて、きちんとした映画になるとは思えなかったのだ。
 そして、白羽の矢が立ったのは、長編第1作『ピーウィーの大冒険』(1986年)、『ビートルジュース』(1988年)で続けざまにヒットを放った新人ティム・バートンだった。
 部屋に閉じこもって怪奇映画ばかり観て育ったバートンは、筋肉モリモリの正義の味方やヒーローが悪党どもをブン殴るヒーロー・コミックの愛読者ではなかった。けれども『バットマン』の原作が持っていたゴシック調の暗さ、夜な夜なドラキュラ風衣装を身につけるバットマンには惹かれるものがあった。
「なじみの持てるキャラクターなんだ」
 いつもバットマンのような黒いロングコートしか着ないバートンは言う。しかし、彼はマンキーウィッツのシナリオを読んで失望した。
「まったく『スーパーマン』と同じだった。同じように軽くて、ふざけたムードだった。真剣にキャラクターの内面を考察してなかった。なぜ、コウモリの格好なんかするのかということだよ。その点ではTV版と似たようなものだったね」
 バートンは新人脚本家サム・ハムと一緒にバットマンのキャラクターを掘り下げる作業に入った。あんな悪趣味な格好をする男が現実にいたとしたら、そいつはどんな性格だろう……。

●ダークナイトの復活

 しかし、その頃、コミック版の『バットマン』にはルネッサンスが起こっていた。1986年、フランク・ミラーが『ダークナイト・リターンズ』を発表したのだ。50歳を過ぎ、引退したブルース・ウェインが、精神障害を理由に処刑されずに街に戻ってくる犯罪者共どもに堪忍袋の緒を切らす。衰えた肉体をハイテク・マシンでカバーしたバットマンはボブ・ケインが創造した暗黒の騎士に戻り、悪党どもに裁きを下す。法を無視した彼のやり方は論争を呼び、ついには国家権力がバットマン弾圧に乗り出してくる。セックスとバイオレンス、ソ連との軍事競争に金を注ぎ込み経済を崩壊させたレーガン政権への批判を盛り込み、フランク・ミラーは『バットマン』を、シリアスで、深く、重い、大人の文学として再生した。
 同じ86年に『ウォッチメン』でスーパーヒーローというジャンルを芸術の域に高めたアラン・ムーアも1988年に『バットマン』に挑戦、ジョーカーの狂気に極限まで踏み込んだ『キリング・ジョーク』を発表した。ジョーカーは警察署長の娘(バットガール)を銃で撃ち、倒れた彼女を陵辱。その様を写真に撮って、拉致した署長に見せつける。物語は一生下半身不随となった娘の姿で終わる。
 このアダルトな2作品は、沈滞していたコミック業界を揺るがすほどの売り上げを記録した。それはコミック読者の平均年齢が20歳を超えている事実を証明していた。
「あの2作品が成功したおかげで、すごく上を説得しやすくなったね」
 暗く、シリアスで、心理学的な『バットマン』を作りたいというバートンの意向は、『ダークナイト・リターンズ』と『キリング・ジョーク』なしには通らなかったのだ。

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