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映画秘宝インタビュー傑作選3 ポール・トーマス・アンダーソン『ファントム・スレッド』「男と女の立場が逆転するのは、男女関係の力学の基本だよ」 『リコリス・ピザ』の監督が撮ったゴシック・ロマンス

取材・文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2018年7月号

——あなたはロサンジェルスで生まれ育ち、今までずっとロサンジェルスを舞台に映画を撮り続けてきましたが、今回の『ファントム・スレッド』は初めてイギリスという外国での撮影ですね。
PTA  昔からずっと外国で撮影したかった。そして今回はイギリスの物語を作りたかったから、英国ロケに完璧な状況ができたね。
——ロンドンのドレスデザイナーのウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)がドライブに出かけて、海岸沿いのレストランでヒロインのアルマ(ヴィッキー・クリープス)に出会います。コーンウォールの岸壁が素晴らしく美しいですね。
PTA  あの岸壁はヨークシャーで撮影したんだ。確かにコーンウォールに見えるけどね。
——別のインタビューで、『ファントム・スレッド』は、ヒッチコックの『レベッカ』(40年)にインスパイアされたと言っていたので、同じコーンウォールで撮影したのかと思ってました。
PTA  うん。『レベッカ』は昔から何度も観ていて、心にまとわりついてきた映画で、強烈なインスピレーションになった。でも……今の目で見ると、リアルじゃない。
——『レベッカ』は後半、ローレンス・オリヴィエがレベッカの正体を明かしてから不自然になりますね。
PTA  そうなんだよ。映画は原作と違うんだ。原作ではオリヴィエがレベッカを射殺したんだけど、ヒッチコックの映画版ではもみあってるうちに倒れて頭を打って死んだことにしている。オリヴィエの告白もバカバカしい。「僕がレベッカを愛しているって? とんでもない! 憎んでいたさ!」って(笑)。あの変更はヒッチコックの意思じゃないと思う。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックが、オリヴィエが殺人犯だと観客にアピールしないと思って変えさせたんじゃないかな。
——変更のせいで殺人犯をかばうサスペンスがなくなってしまった。
PTA  だから、僕はどうしたらもっとリアルになるかいろいろ想像した。ヒロインが夫と暮らすためにね。
——同じダフネ・デュ・モーリエが書いた『レベッカ』の姉妹編『レイチェル』は読みました?
PTA  もちろん(笑)。去年、また映画化されたよね。まだ観てないけど。本は好きだよ。デュ・モーリエの小説は強いヒロイン像がいい。
——『ファントム・スレッド』のアルマは前半『レベッカ』のヒロインのように拾われて、途中から『レイチェル』のように毒を使う。
PTA  ゴシック・ロマンスというジャンルでは、誰かが毒を盛った、って話が多いんだ。
——あなたはインタビューで『ファントム・スレッド』の物語を思いついたのは、インフルエンザにかかった時だと言ってましたね。奥さんがつきっきりで看病してくれたけど、いつも仕事ばかりのあなたがずっとそばにいるから、奥さんが妙にうれしそうで、あなたは、もしかしたらインフルエンザじゃなくて、奥さんに毒を盛られたんじゃないかと怖くなってしまった、と。
PTA  うん。すごく重いインフルエンザだったんだけど、その時、ちょうど『レベッカ』を観直してたんだよ。それと、ジャン・コクトーの『美女と野獣』(46年)と、トリフォーの『アデルの恋の物語』(75年)。どの映画も女性のキャラクターが、男性を支配する社会に立ち向かっていく。僕も、そんな物語を描きたいと思ったんだ。

●幽霊がいると信じるのは希望に満ちた考えだ

——『ファントム・スレッド』は最初は幽霊ホラーにしようと思っていたそうですね。でも、ホラーにならなかった。ウッドコックは母親の幽霊をまるで怖がっていないから。
PTA  ホラーには幽霊を怖がる人がいないとね(笑)。幽霊がいると信じるのは深い意味では楽観的で希望に満ちた考えだよ。だって死んだら何もかも消えてしまうのではなく、霊魂や死後の世界があるってことだから。
——スタンリー・キューブリックがまったく同じことを言ってましたね。
PTA  そうそう。だから、すべての宗教が死後の世界を約束してるんだ。今はもういない人にウッドコックみたいに夢で会えたらと思うよ。『インセプション』みたいに夢をコントロールしてね。
——亡くなったお父さんとは夢でよく会いますか? お父さんはグーラルディ(テレビの怪奇映画番組の解説者だった)という幽霊みたいなキャラを演じてましたよね。
PTA  時どき会うけど、もっと会いたいね(笑)。
——最近、亡くなったジョナサン・デミ師匠の夢は?
PTA  まだ見ないな。
——『ファントム・スレッド』を観ていて、師匠の『羊たちの沈黙』(91年)も思い出しました。ウッドコックはレクター博士で……。
PTA  いやあ、それはちょっとこじつけだよ。サイコパスの食人鬼と気難しいドレスメイカーの共通点?
——レクターもウッドコックも最初はヒロインを見くびっていて……最後に立場が逆転する。
PTA  うん。それは男と女の力学の基本だよ(笑)。いつも女性を過小評価している男がいて、教師のように振る舞う。でも、女性のほうが実は賢明で……それは昔からある物語の定型だよね。
——『美女と野獣』も、『マイ・フェア・レディ』も。
PTA  そう。それは人生の真実だからさ。
——『ミスティ・ベートーベン』(76年)は?
PTA  え? あれはハードコア・ポルノだよ。
——あなたが推薦したので観たんです。
PTA  どんな話だっけ? ヒロインが教師に出会って世界が開かれるんだよね?
——そう。性の伝道師ドクター・ラブが洗練されてない娼婦ミスティを教育してセックスの女神にしようとするが、ミスティの才能が開花してドクターと立場が逆転する……。
PTA  長い間観てなかったんでストーリーを忘れてた。面白いね。若い頃に観たものは、すっかり忘れているようで、心のどこかに残っているんだね。
——ウッドコックは、50年代の伝説的ドレスメイカー、バレンシアガがモデルということですが、どのへんから興味を持ったんですか?
PTA バレンシアガというのは名前しか知らなかったね。5年前に本を読むまで。僕はファッションに全然興味なくて、いつもはTシャツに短パンだから(笑)。

●これはマックス・オフュルスを目指した映画なんだ

——『ファントム・スレッド』の撮影は本当に美しいですね。まるで浮かぶように動き続けています。階段の撮り方など素晴らしい。今回はクレジットされてませんが、あなた自身が撮影監督をしたんですよね。
PTA  僕が今回誇りに思うのは、フィルム・カメラで最新の機材を使わずに撮ったことだね。階段のシーンだけはステディカムを使ったけど、他は昔ながらのドリーやクレーンで撮った。カメラの動きを最小限にして感情を大きく複雑に表現しようとした。それにウッドコックの住むジョージアン様式の邸宅の建築そのもののダイナミズムをスクリーンで見せたかったんだ。
——廊下を浮かぶように動くカメラは1930〜50年代に欧米で活躍したマックス・オフュルス監督の作品を思い出させます。あなたは何年か前、ブルーレイ向けにオフュルスの流麗なカメラワークの解説をしていますよね?
PTA  うん。『ファントム・スレッド』はまさにオフュルス的映画だろ? そう。僕はオフュルスの『快楽』(52年)や『輪舞』(50年)の流れるようなカメラの動きを目指したんだ。あと、『忘れじの面影』(48年)がいちばん好きだね。僕はオフュルスのカメラの動きを本当に尊敬している。なめらかに流れるように動き続けてすべてをつなぐんだ。舞台劇とは違う、映画にだけ可能なカメラの動きが、室内劇に映画的エネルギーを与え、物語とキャラクターを表現し、観客の目を楽しませることを忘れない。
——オフュルスは『ファントム・スレッド』全体に影響を与えていますね。
PTA  うん。オフュルスは上流階級の人々を、豪華な美術、豪華な衣装で描いて、いつも高級感にあふれている。その趣味の良さ、テーマ、いや、もういくらでもオフュルスについては話し続けられるよ。
——僕はオフュルスの映画はあなたがさんざん推薦してたから観たんですよ。
PTA  オフュルスがアメリカで作った『魅せられて』(49年)は観た? 素晴らしい映画だよ。アメリカでは『無謀な瞬間』(49年)も撮っている。そっちは?
——観ましたよ。スタンリー・キューブリックが室内を撮るときのカメラの動きはオフュルスを真似してるんだと気づきました。
PTA  たとえば?
——オフュルスの『快楽』のクライマックスで、愛する画家に拒絶されたモデルの女性を追いかけてカメラが一緒に階段を上がって、そのまま彼女を追い越して、カメラが彼女の視点になって階段を上がり続けて、そのまま窓から落ちてしまう。あれはキューブリックが『時計じかけのオレンジ』(71年)で……。
PTA  窓からカメラを落とした……。うん、みんなオフュルスに戻っていくんだよ。
——『ファントム・スレッド』は色彩も素晴らしくて、マックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』(55年)のカラーを思い出しました。特に新年パーティのシーン。しかも象まで出てくる。あの新年パーティのシーンだけにいくらかけたんですか?
PTA  沢山だよ、沢山(笑)。でも、あの象は張りぼてさ(笑)。みんな本物だと思ってるのがおかしいね。あの新年パーティのシーンだけで撮影に2日間かかってる。

●この物語のポイントは、二者選択じゃない

——『ファントム・スレッド』のテーマは「芸術VS愛」または「仕事VS家庭」じゃないですか?
PTA  まあ、確かにそれも少しあるけど、僕が重きを置いていたこととは違う。自分中心で愛には興味のない男が、究極的に愛で満たされ、誰かを必要とし、頼ることを知る。それがこの物語の最も重要なポイントだ。「芸術か愛か」「仕事か家庭か」という二者選択は子供っぽい問いかけだと思うよ。
——『ファントム・スレッド』のエンディングも、オフュルスの『快楽』に似てませんか? 画家とモデルの物語で、モデルは彼の愛を求め、画家は芸術と名声を求めて、彼女の愛を拒否する。モデルはさっき言ったように窓から飛び降りて自殺を図る……。
PTA  で、どうなるんだっけ?
——モデルは死なずにすんだが両脚を折って一生歩けなくなる。ラストショットは海岸で、モデルの車椅子を押す画家の幸福そうな姿です。画家はモデルの命がけの賭けに負けて、彼女と結婚しました。ナレーションが流れます。「画家は結局、愛と栄光と幸福を見つけました」。誰かが問いかけます。「でも、悲しいですね」。ナレーターが答えます「友よ、幸福は快楽とは違うのだよ」。
PTA  ああ、そうだ。もういちど観直さなきゃ。
——この『ファントム・スレッド』の結末はあなたの個人的な体験ですか?
PTA  僕のすべての映画は個人的だよ。でも完全に体験のままじゃない。
——だってあなたは1人どころか3人も子育てしてるし。
PTA  ああ(笑)。
——仕事か家庭か、じゃなくて、どっちもやる、と。
PTA  まあ、人間はみんな長い歴史の中で同じことを考えてきたと思うよ。
——この映画の撮影を終えた後、ダニエル・デイ=ルイスが俳優業引退宣言をしたのは、自分も仕事にかまけてきた人生を反省させられたから?
PTA  それはわかんないよ(笑)。ダニエルはあまりにも役に入り込むからね。しばらく経って、また気分を変えてくれるといいなと思うよ。

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