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残酷な喜劇 セルゲイ・ロズニツァの世界

文:町山智浩
初出:『ドンバス』パンフレット

これは劇映画なのか? ドキュメンタリーなのか? 悲劇なのか? コメディなのか?

 ハリウッド的な映画に慣れた眼で、セルゲイ・ロズニツァ監督の『ドンバス』(2021年)を観ると当惑するに違いない。

『ドンバス』(2021年)

 2014年にロシア軍の介入でウクライナから「独立」したドンバス地方を舞台に、いくつかのエピソードが並べられる。プロローグはメイクアップする俳優たち。彼らが撮影現場に向かうと耳を聾する爆音。バスが爆破される。すると、先程の俳優たちが「怖いです」などとテレビのインタビューに答えている。つまり、これはドンバスのロシア系政府による「ウクライナ系のテロ」というフェイク・ニュースのメイキングを見せているのだ。

 ショッキングなエピソードが続く。失敗したロシア系の兵士がガントレット(棒を持って二列に並んだ兵士の間を叩かれながら通り抜ける刑)される。捕虜にされたウクライナ系の兵士が道端でロシア系の通行人たちにリンチさせる。どれも撮影はワンシーン・ワンカット。手持ちカメラによる数分間の長いテイクが続く。状況を説明するナレーションもセリフもなく、ただ現実を切り取った記録映像に見える。

 凄まじく暴力的であると同時に、どれも、そこはかとなくマヌケだ。白眉はロシア系の警察官に自動車を盗まれた男性のエピソード。警察署長は「100万でどうだ?」と持ち掛ける。言われた男性が「警察が私の車を100万で買い取るということですか?」と聞き返す。ところが警察署長は言う。「いや、君が私たちに100万贈呈するということだよ」

 車盗んだうえに100万よこせって?

 このやりとりは、サンドイッチマンのコントそのもので思わず笑ってしまうが、すぐにゾッとする。

 ドキュメンタリーと劇映画、笑いと恐怖、その境界線をロズニツァ監督は一貫して綱渡りしてきた。

 ロズニツァが最初に評価された『包囲』(2005年)はレニングラード包囲戦のドキュメンタリー。第二次大戦中、レニングラードがナチス・ドイツ軍に1942年9月から1944年1月まで包囲された約900日間に撮影された当時のフィルムを編集したもの。

『包囲』(2005年)

 だが、『包囲』には、ナレーションもセリフもない。その代わり、ロズニツァはサウンドスケープ(音風景)を新たに作っている。つまり、アンビエントな人々のざわめき、突き刺さるような爆音を加えて、古い記録フィルムに最近のニュース映像のような迫真性を持たせている。これはロズニツァのドキュメンタリーのスタイルとして確立される。

 餓死者の死体がレニングラードのいたる所に転がる地獄の果てに、ようやく包囲は解かれる。しかし、ロズニツァは苦難に耐えたレニングラード市民を讃えない。その代わり、ドイツ人の捕虜が広場で公開絞首刑にされ、市民がそれを見物する姿をオチにつける。この意地の悪さ。これこそロズニツァ・タッチ。

『私の喜び』(2010年)

「大祖国戦争」と呼ばれて称揚されてきた独ソ戦の神話をロズニツァは解体し続ける。長編劇映画第一作『私の喜び』(2010年)の主人公は、トラックに小麦粉を積んで現代のロシアの西端、スモレンスクを旅する運転手。途中で乗せた老人が独ソ戦の思い出を語り始めると、現在のロシアと戦時中のソ連が入り乱れていく。どちらにも共通するのは腐敗と暴力。戦時中、ソ連兵が自分たちに親切にしてくれたドイツ移民を惨殺する。それから65年経ってもロシアは何も変わらない。その理不尽さに翻弄された運転手は感情を失い、ついには皆殺しの死神と化す。『私の喜び』というタイトルはロズニツァ独特の皮肉だ。

『霧の中』(2012年)

 劇映画第二作『霧の中』(2012年)はベラルーシの対独パルチザンの物語だが、ロズニツァが彼らを祖国を守った英雄として描くはずがない。善良な主人公はパルチザンからドイツ側だと疑われ、森の中で処刑されそうになり……主人公は善意を貫こうとするが、パルチザン同志は殺し合い、絶望した主人公は……。

 ロズニツァの突き放した視線は『マイダン』(2014年)でより明確だ。2014年、ウクライナでEU加盟を公約に掲げて当選したヤヌコヴィッチ大統領が親プーチン的政策に転換、これに反対する市民が首都キーウの広場(マイダン)に集まり、政府と戦った。この「マイダン革命」をロズニツァも現地で撮影して映画にした。

『マイダン』(2014年)

『マイダン』と同じくマイダン革命を記録したドキュメンタリー『ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ自由への戦い』と比べるとまったく違う。

『ウィンター・オン・ファイヤー』のカメラは、市民たちのバリケードの中に入り、手持ち撮影で市民一人ひとりの表情をクロースアップで捉え、その意見や声を拾う。ところが、ロズニツァの『マイダン』は、すべて固定カメラによるロングショット。クロースアップもインタビューもなし。市民たちは常に顔もよく見えない群衆として遠景で撮られる。市民が警官に殴られようと、バリケードが炎に包まれようと、カメラは冷酷なまでに動かない。ただ一箇所を除いて。政府側が実弾で市民を狙撃し始めた時だけ、カメラは中立性に堪えきれなくなったかのように狙撃者たちにズームする。

『やさしい女』(2017年)

『やさしい女』(2017年)はドストエフスキーの小説と同題だが、中身は関係ない。舞台は現代のロシア。ヒロインの夫は無実の罪でシベリアの刑務所に収監される。夫と連絡が途絶えたので、彼女はシベリアまで旅をする。その間、悪夢のようにロシアの過去が入り乱れる。つまり『私の喜び』の女性版だ。乾杯する時の「我らの大いなる悲しみに!」という言葉が、ロシアに対するロズニツァの気持ちを代弁するようだ。

『戦勝記念日』(2018年)

『戦勝記念日』(2018年)は2017年の独ソ戦勝利記念日のドキュメンタリーだが、なんとドイツの首都ベルリンのトレプトゥ公園で撮影されている。この公園は東ドイツ時代にソ連のプロパガンダのために作られた。東西冷戦下に大勢のロシア人が東ドイツに移住し、現在のロシア系ドイツ人は350万人もいるという。彼らが、戦勝記念日になると公園を埋め尽くす。ソ連軍の軍服や民族衣装を着て、ソ連の旗を振って、ソ連の愛国歌を歌う。

「我らはソ連に生まれさ。ウクライナもカザフスタンもモルドヴァもバルト三国も我が祖国」   この「大ロシア主義」丸出しの歌詞には苦笑いさせられつつも背筋が寒くなる。

『マイダン』や『ドンバス』でウクライナに親和的と思われたロズニツァだが、最新作『バビ・ヤール:コンテクスト』(2021年)ではウクライナから批判されている。

『バビ・ヤール:コンテクスト(公開題『バビ・ヤール』)』(2021年)

 1941年、ウクライナに侵攻したナチス・ドイツがバビ・ヤール峡谷で3万3千人のユダヤ人を虐殺した史実のドキュメンタリーだが、ロズニツァがドイツやソ連の記録フィルムを編集して語るのは、ロシアとソ連に侵略されてきたウクライナの民族主義者が独立のためにナチスドイツに寄り添って虐殺に協力したというコンテクスト(文脈)なのだ。史実とはいえ、ロシアが「ウクライナはナチだ」と主張してウクライナに侵攻している今、あえてそれを掘り起こすロズニツァのひねくれぶりにまた苦笑せざるをえない。

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