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緊急報告。26年間に及ぶ、歪んだ“家族愛”の物語! 和歌山毒カレー事件の真相に迫った『マミー』二村真弘監督インタビュー

取材・文=長野辰次

 具体的な物証は見つからず、動機も解明されず、本人の自供すらないまま、4人の子どもを持つ母親に死刑判決が下された。それが1998年(平成10年)7月25日に起きた「和歌山毒カレー事件」だ。夏祭りで配られたカレーライスを食べた和歌山市園部地区の住民67人がヒ素中毒となり、そのうち4人が亡くなった。カレー鍋にヒ素を混入したとされる林眞須美死刑囚は、マスメディアによって「平成の毒婦」と名付けられた。林眞須美死刑囚は冤罪を主張し、弁護団が再審請求をこれまで3度行なっているものの、再審は実現しないまま今日に至っている。
 事件発生から26年。マスコミ各社による過剰な取材攻勢“メディアスクラム”が問題にもなったこの事件の真相に迫ったのが、二村真弘監督のドキュメンタリー映画『マミー』だ。この映画の公開が発表されるや、映画の取材に協力した林眞須美死刑囚の親族に対する嫌がらせ行為が起きるなど、公開前から異様な雰囲気に包まれた。
 撮影時、林眞須美死刑囚の長男・林浩次さん(仮名)は、素顔のままカメラの前に立ち、事件当時のことを振り返ってみせた。だが、映画の公開が近づくにつれ、生活を脅かす嫌がらせが起きたため、本編の一部に画像加工を施すことになった。8月3日より劇場公開がスタートし、劇場によっては満席回が続出するなどの反響を呼んでいるが、どんなトラブルが起きるのかまだ予断を許さない状況でもある。公開初日を控えた8月2日、二村監督は落ち着いた表情で、初めての劇場公開作となる『マミー』について語ってくれた。

5年ごしで『マミー』を完成させた二村真弘監督

■テレビでは取材不可能だった冤罪事件

ーーハレーションが起きやすい題材を扱った作品ですが、製作者や配給会社に対してではなく、関係者への嫌がらせが起きていることに驚きました。
二村 死刑判決が確定している事件に異議を唱えているわけですから、いろんな反応が起きるだろうなとは思っていましたが、公開前にこのような状況になるとは予測していませんでした。私自身、こうした事態になる前に何かできることがあったのではないかと考える日々ですが、林眞須美さんの長男も、これほどの悪意のある反応は想定していなかったようです。本人の生活を守ることを優先し、相談した結果、映像加工することにしました。
ーー映像加工は二村監督にとっても無念だと思います。映像加工したバージョンはいつ用意されたんですか?
二村 実は『マミー』の劇場公開が決まった時点で、オンライン試写用に一部に映像加工を施したバージョンも作っていました。それは、万が一、映像が流出した際に、取材対象者のプライバシーを保護するための対策でした。
ーーなるほど、不測の事態に対する準備はされていたわけですね。では、そもそも二村監督が「和歌山毒カレー事件」に興味を持った経緯を教えてもらえますか?
二村 2019年に林眞須美さんの長男が『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を出版した際に、新宿ロフトプラスワンで出版記念のトークイベントが開かれ、そこに出演することになったんです。それで『もう逃げない。』を読み、冤罪の可能性があることをそこで初めて知ったんです。イベントにはテレビ局の取材クルーが来ていましたが、半年ほど経って、テレビでは扱われないことを知りました。死刑判決が確定した事件について、冤罪の可能性を検証するような番組はできないと、テレビ局の上層部がストップを掛けたと聞きました。僕もテレビ局の仕事は経験しているので肌感覚で難しいだろうなとは思っていたんです。でも、検証すらしないのはどうなんだと。テレビが難しいのなら、自分でできることから始めようと。それでYouTubeでの配信を前提に取材を始めたんです。

林眞須美死刑囚が収監されている大阪拘置所

■事件当時は20歳。報道内容をそのまま受け入れていた

ーー事件が起きた1998年7月は、二村監督は何をされていたんでしょうか?
二村 当時は20歳になったばかりで、日本映画学校(現在の日本映画大学)2年生で、すでにドキュメンタリーについて学び始めていました。それもあって事件の報道は興味深く見ていたんです。「カレーに毒を入れるなんて、どんな心理なんだろう」と。マスコミの報道は事実だと受け止めて、「夫にまで毒を盛るなんて、どれだけ悪い女なんだ」と当時は思っていたんです。
ーー『もう逃げない。』を読んで、毒婦というイメージはマスメディアによって生み出されたものだと気づいたわけですね。
二村 本を読み、トークイベントに参加し、冤罪の可能性があることは分かったんですが、本当に冤罪だという確信はまだ持てませんでした。でも、冤罪説が燻っている以上は、どう転ぶかわからないけど、取材を始めてみようと。それが出発点でした。
ーー中立的な立場から、取材を始めたんですね。
二村 そうなんです。ネット上ではいろんな考察がされていましたが、その多くは直接関係者を取材したわけではなく、イメージで語っていたり、報道された情報を切り取ったものばかりでした。それで冤罪か有罪かは分からないけれど、取材していく過程もそのまま取り入れて、分かったことを動画としてネットに順次取り上げていくというコンセプトで進めていきました。

林眞須美死刑囚との面会に向かう林健治さんと長男

■検察側の誤りを修正しなかったマスコミ報道

ーー林眞須美死刑囚は逮捕前から、マスコミによって疑惑の人物扱いされ、明確な証拠はなく、動機も不明のまま、別件逮捕された挙句に死刑が確定したという異例の裁判でした。
二村 当時の情報の出方や警察の捜査を見ていると、誰もがそう思ってしまう状況だったと思います。動機に関しては、カレー鍋を置いていたガレージで他の主婦たちの冷たい態度に激昂した、と初公判の段階で検察側は主張しましたが、これは一審で「正しくない」とされたんです。でも、新聞などのマスコミは検察側の主張として報道し、その後は訂正していません。そのため、検察の主張をそのまま事実だと思い込んだ人たちは多かった。そうしたことが積み重なって、「林眞須美は黒だ」というイメージだけが残っていったようです。
ーー事件に関する疑問点を、二村監督はひとつひとつの再検証することに。
二村 検察側が用意した証拠は膨大な数に及んでいますが、裁判で有罪判決の根拠となった主だったものだけは最低限検証し、映画の中で描こうと決めました。

事件当日の再現シーン。林眞須美の長男はその日から時間が止まってしまった

■小5の夏から、重い十字架を背負ってきた長男

ーー再検証を進めていく一方、林家の家族像についても描かれています。小学5年生だった事件当日のことを林眞須美長男が振り返りますが、『もう逃げない。』を読むと彼は「死刑囚の息子」としてとても重い十字架を背負って生きてきた人物であることが分かります。でも、そのことを感じさせないほど、カメラの前では明るく振る舞っています。
二村 彼が好青年であることは間違いありません。カメラが回っていないと、もっと明るく、お茶目な若者ですね。やはり、カメラの前では「死刑囚の息子」としてどう見られるのかを意識しているようです。自分の言動については、すごくコントロールしているなと感じました。
ーー決して出たがりな若者ではないですよね。
二村 持ち前の明るさもあると思いますが、自分の身を守るために明るく振る舞っているところはあるかもしれません。それに、マスコミの取材に進んで対応しているのは、それまでマスコミ取材に応えてきた父親の林健治さんが高齢になり、それを支えるためでもある。また他の家族にマスコミの取材が及ばないように、という配慮もあるようです。これまで彼への光の当て方は、「死刑囚の息子」としてのものが多かった。でも、私はそれだけじゃないと思うんです。彼は事件当日の林眞須美を見た目撃者のひとりでもあるんです。小学5年生の夏休みに、母親があのガレージにいたことを見ているわけです。それゆえに、彼はこの事件から離れることができずにいるのではないか、と私は彼の話を聞いて思いました。
ーー1998年7月25日から時間が止まったままに。
二村 まさにそうだと思います。彼は母親が次女と一緒にガレージにいたことを検察に話しているんですが、身内の証言として裁判では採用されていないんです。

林眞須美長男の「(死刑囚家族が)幸せを求めることは間違いなのか」という自問が重たく響く

■いびつだけれども、家族であり続けること

ーー二村監督が撮った『マミー』は、和歌山毒カレー事件の真相を追ったドキュメンタリー映画ですが、同時に事件がきっかけでバラバラになってしまった林家の歪んだ家族愛の物語でもあるように感じます。
二村 長男は父親のことを「健治」と呼び捨てにしています。長男と健治さんのやりとりや関係性とかを見ていると、すごく特殊だなと感じます。それは事件後に家族に降りかかってきた出来事があって、その複雑な過程を経て、生まれてきた関係性だと思うんです。一見いびつなようにも思える家族関係ではあるけれど、そこには事件後に過ごしてきた時間の流れも感じさせます。そうした家族の関係性は、この映画を観ていただいた人たちに感じてほしい部分ではありますね。
ーー家族の物語であるからこそ、『マミー』というタイトルにしたわけですね。
二村 はい、そうなんです。

現在の林健治さんは、下半身が不自由な生活を送っている

■発言内容に一貫性のある夫・林健治

ーー長男に輪を掛けて、さらに濃いキャラクターなのが、父親の林健治さん。保険金詐欺の手口を本人がカメラに向かって「言葉は悪いけど、楽勝やなと思った」と語る様子は、元プロの保険金詐欺師としての生々しさを感じさせます。
二村 確かにそうですね。でも、健治さんにいろいろとしゃべってもらったのは、決して暴露話を披露してもらうためではありません。健治さんは保険金狙いで、自分からヒ素を飲んだと語っているわけです。これは検察側の「林眞須美は夫の健治にもヒ素を飲ませ、毒殺しようとした」という起訴内容とは異なるものです。そこに言及するために必要だったシーンです。
ーー自分が保険金詐欺を働いていたことを林健治さんは認め、そのため6年間獄中生活を送った。その一方、妻の眞須美は毒カレー事件の犯人ではないことを訴え続けている。「プロの保険金詐欺師が、一銭の儲けにならないことはしない」と。林眞須美が獄中から送ってきた離婚届にも、健治さんは決して印鑑を押そうとはしない。保険金詐欺で生計を立てていた林夫婦の奇妙な夫婦愛のドラマにもなっています。

林眞須美死刑囚から家族に宛てた手紙

二村 健治さんの生い立ちや生まれ育った時代も、大きく関係しているように思います。家庭の温かさを知らずに、健治さんは幼いころから大変な苦労をしてきた。そうしたこともあって、保険金詐欺に手を染めるようになったようです。
ーー『もう逃げない。』では、林健治さんは逮捕された際、検察から「林眞須美にヒ素を飲まされたと証言すれば、八王子医療刑務所(一般の刑務所よりも扱いがいいと言われている)に入れるようにする」と取引きを持ち掛けられたことが記述されていました。本作でも健治さんがそのことに触れるシーンが入っています。
二村 検察による取り調べ内容が録音などに残されていないので、検証するのは難しいのですが、健治さんが言っていることはずっと一貫性があり、証言の裏付けとなる事実も確認しています。もし、本当に検察が取引きを持ち掛けていたら、大変な問題でしょう。
ーー林健治さんがシロアリ駆除の会社を経営していた際、従業員が亡くなった事件(1985年)については、二村監督はどう思っていますか?
二村 これも検察は林眞須美さんが保険金目的でヒ素を盛って殺害しようとしたと主張したものの、裁判では認められていません。こちらで調べて分かった限りでは、亡くなった従業員の方には保険金が降りていますが、その保険金は林夫婦だけでなく、亡くなった従業員の遺族も裁判のゴタゴタはありましたが、最終的には和解し、半分を受け取っています。その件についても健治さんに何度も尋ねましたが、健治さんが言うには亡くなった従業員の方は「腎不全」だったそうで、病院のカルテにも同様の診断が記されています。従業員を保険に入れ、その掛け金を支払っていたのは林夫妻だったので、保険金を受け取ることには何らやましさはないと言うことです。

■改めて検証するという姿勢の重要さ

ーー映画は後半、かつて林家で一緒に暮らしていた元同居人を訪ねに、林健治さんと長男は向かいます。予想外の展開にハラハラさせられるシーンですが、どのような経緯から撮影されたのでしょうか?
二村 健治さんと元同居人はかつてはとても仲がよく、一緒にギャンブルに出かけたり、麻雀したりしていたそうです。それが、あの事件がきっかけでふたりの間には大きな溝が生じてしまった。僕から提案して、訪ねてみることになったんです。正直なところ、健治さんと元同居人とのやりとりを聞いて、その場ではがっかりしました。新しい証拠になるような発言が得られるかもしれないと期待していたんですが、健治さんの人のよさばかりが目立って、空振りに終わったなぁと思いました。でも、後から改めてそのシーンを観てみると、証言以上のもの、健治さんと元同居人との関係性を感じさせる空気感がまるごと記録されたものになっているなと思いました。
ーー事件に関わった捜査官らへの取材は拒否されましたが、スクープ記事を書いた朝日新聞の元記者は取材に応じることに。
二村 捜査に関わった警察関係者で名前の分かる人は100人ほどいて、全員に「取材させてほしい」と手紙を出しましたが、そのほとんどは断られました。朝日新聞の元記者が取材に応じてくれたのは意外でしたね。スクープ記事を書いた後、林夫妻に連絡しようとしたものの、会社の上司から止められたそうです。マスコミにはそのときの状況に応じて、伝えなくてはいけないこともあるので、朝日新聞の元記者のスクープ記事は必ずしも否定はできないと思います。私自身、事件の真相に近づきたいあまりに、なかなか進まない状況に焦りを覚え、法令に反することをしてしまった。メディアスクラムのことを嫌悪していた自分が、同じようなことをやってしまったわけです。その点に関しては深く反省し、なぜ踏みとどまれなかったのか今も自問し続けています。しかし、状況によって、また時代が変われば、考え方や見方はずいぶんと違ってきます。科学捜査なら、最新の技術を導入することで鑑定結果も大きく変わってくるはずです。マスコミも一度報道したものであっても、その後、改めて検証するという姿勢はとても重要だと考えています。この映画が公開されても、それで終わりではなく、どんな反響が起きるのかも含めて今後も追っていくつもりです。
ーー取材を進めていくなかで、林眞須美死刑囚の印象は変わりましたか?
二村 事件当時は冤罪だとは思っていなかったわけですが、取材していくうちに、報道で事実として伝えられてきたことが次々と覆されていき、それに伴い彼女の印象も大きく変わっていきました。彼女が獄中から家族に送った手紙なども読み、日付などと照らし合わせると、子どもたちのことを心配する気持ちが強く感じられてきました。4人いた子どものうち、いちばん下の女の子は逮捕時は未就学児だったわけです。事件当時は「私利私欲を満たすためなら、何でもやる女」という人物像だったのが、自分も子育てする立場になったこともあり、4人の子どもを育てることがどれだけ大変なことか分かるようになりました。事件当時のイメージは、マスメディアの影響によってとても偏ったものだったことが、この映画を撮ったことで分かりました。今では林眞須美さんは冤罪だと感じています。少なくとも再審はするべきでしょう。

『マミー』
監督/二村真弘 プロデューサー/石川朋子、植山英美(ARTicle Films) 撮影/高野大樹、佐藤洋祐 オンライン編集/池田聡 整音/富永憲一 音響効果/増子彰 音楽/関島種彦、工藤遥 製作/dig TV 配給/東風 8月3日より渋谷シアター・イメージ・フォーラム、大阪・第七藝術劇場ほか全国順次公開中
(C)2024 dig TV

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●二村真弘(にむら・まさひろ)
1978年愛知県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)で学び、2001年よりドキュメンタリージャパンに参加。2011年よりフリーランスとしてテレビ番組の制作を手掛ける。主な番組に『千原ジュニアがゆく 聞いてけろおもしぇ~話』(NHK総合)、『情熱大陸/菊野昌弘』『情熱大陸/松之丞改め神田伯山』(MBS)、『セルフドキュメンタリー 不登校がやってきた』シリーズ(NHK BS)など。『マミー』は初めての劇場公開作。

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