『映画秘宝』インタビュー傑作選11 アリ・アスター 『ヘレディタリー/継承』は、僕の家族が経験した、つらく救いのない、深い悲しみについての映画だ
取材・文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2018年12月号
町山 このインタビューは『ヘレディタリー/継承』日本公開後の記事なので、ネタバレは気にしないで何でも話してください。
アリ・アスター OK!
町山 『ヘレディタリー』怖かったですよ。子供のころから、親や先生に走ってる車の窓から頭出すなって言われてましたから。そんなことすると……。
アリ 首をもがれるって(笑)。もちろん僕も同じことを言われて育ちましたけど、そのイメージって笑っちゃうんですよね。僕はユーモアのセンスがひねくれてるから。
町山 ショッキングでした。映画史上でも最も嫌なシーンだと思います。観客のトラウマになりますよ。
アリ ありがとう(笑)。僕は、突然我が子を失った家族の喪失感とトラウマを観客にも無理やり共有させたかったんです。だから、その死はできるだけ予想もつかないものにしたかった。だから最初は娘チャーリーについての物語だと思わせるようにして、観客の気持ちを彼女に集中させておいて、30分目にいきなり彼女を映画から引き離したんです。
町山 最初、少女チャーリーが何らかの超能力で鳥を殺しますよね? まるで『キャリー』(1976年)や『エクソシスト』(1973年)で悪魔に取り憑かれた少女リーガン、それに『オーメン』(1976年)のサタンの息子ダミアンのような、呪われた子供の話かと思って観てたんですが……。
アリ それがトリックなんです。ホラー映画ファンはみんなパターンを知ってて、それを楽しむでしょう。最初の30分はファンのために用意されたご馳走です。ところが突然ドラマからチャーリーを取り除いてしまう。すると観客は「え? この話、どこに行くの?」「これ、ホラー映画じゃなかったの?」と迷子になってしまう。そんなふうに観客をホラー映画の安全圏から引きずり出して、予測不能な状況に陥れたかったんです。
町山 ヒッチコックの『サイコ』(1960年)みたいでした。最初はジャネット・リーの横領の話として始まるけど、30分目でいきなり……。
アリ 殺されてしまうので、観客は話がどこに行くのかわからなくなる。
町山 あれもそうでしたね。『イン・ザ・ベッドルーム』(2001 年)。
アリ そうそう。あれを観たのは子供のころ。ニック・スタール扮する大学生とマリサ・トメイのラブストーリーかと思って観たら、30分目にトメイの別れた夫がいきなりスタールを殺してしまうのでびっくりして忘れられないです。
町山 で、30分以降は、息子を殺された父親の復讐のドラマになりますね。あと、ひとつの家からほとんど出ないで家族の葛藤が描かれるという点で、ウディ・アレンの『インテリア』(1978年)や、その原点のイングマール・ベルイマンの『沈黙』(1962年)なども思い出しました。
アリ そう。ベルイマンは最も尊敬する映画作家なんです。『ヘレディタリー』撮影前にもスタッフに参考としてベルイマンの『叫びとささやき』(1972年)を観せました。家族映画としてリアルであればあるほどホラー映画として恐ろしくなると思って。
町山 面白いですね。フリードキンの『エクソシスト』も前年に公開された『叫びとささやき』を参考にしてますからね。
アリ そうそう。股間を傷つけるシーンとかね。
町山 『エクソシスト』も家族映画ですからね。少女リーガンと母親の映画であるとともに、カラス神父と母親の物語でもあって。いちばん怖かったのは、カラス神父の夢で年老いた母親が道に立ってるシーンでした。『ヘレディタリー』にも似たシーンがありますね。ジョーンが道路の向こうに立っている。
アリ ああ。でも、僕は日本の昔の怪奇映画にも強く影響されているんですよ。50〜60年代のね。たとえば、新藤兼人監督の『鬼婆』(1964年)。
町山 ああ、『鬼婆』もフリードキンが『エクソシスト』の参考にしたと言ってますね。やはり家族映画で、ひとつ屋根の下で姑と嫁が葛藤する。
アリ 家族がそれ自身を食い殺していくようにね。でも、リアルではなく象徴的で悪夢のようです。それに小林正樹監督の『怪談』(1965年)。
町山 耳なし芳一と雪女の映画化で、呪いから逃れようとする人々の話ですね。
アリ それに『雨月物語』(1953年)などの溝口健二作品。宮川一夫撮影の動き続けるカメラは本当に参考になります。
町山 ああ、溝口健二っていろんなホラー映画に影響を与えてるんですね。ウェス・クレイヴン監督の『鮮血の美学』(1972年)も溝口ですよ。
アリ 『山椒大夫』(1954年)でしょ?
町山 はい。『鮮血の美学』でレイプされた娘が沼に歩いて行って沈んでいくシーンは、『山椒大夫』で安寿(香川京子)が沼で入水自殺するシーンと撮り方が同じ。
アリ 『鮮血の美学』は、父親が殺された娘の復讐をするというプロットがベルイマンの『処女の泉』(1960年)そのものだし。
町山 ベルイマンと溝口は世界のホラー映画の根っこにあるんですね。
アリ 結局、あのころから映画はあまり進化してないのかもしれませんね。
●母の愛が信じられなかったら?
町山 冒頭でドールハウスがグラハム家につながるショットは素晴らしかったです。トニ・コレット扮する母アニーの職業をどうしてドールハウス・アーティストにしたんですか?
アリ いちばん最初にあの冒頭のイメージが頭に浮かんで、そこから全体のドラマを考えていきました。これはコントロールできない家族の話です。この一家にかけられた呪いは、何をしても解けません。ドールハウスはそのメタファーです。彼らはドールハウスの人形のように、外側の力に操られています。だから、このドールハウスはとても実在的なメタファーだと思います。
町山 人に自由意志はあるのか、という問題ですね。
アリ それとも、あらかじめ決められた運命から逃れられないのか。だからアニーやピーターは、ギリシア悲劇の主人公みたいなものです。
町山 ピーターの高校の授業で先生がギリシア神話について話しますね。ヘラクレスがヘラの呪いを解くために過酷な試練を選んだのは、それ以外に選択の余地がなかったからだと。
アリ そう、あの授業はテーマをチラっと見せるウィンクみたいなものです。ピーターは聞いちゃいないですけどね。前の席の女の子のお尻と、夜のパーティでマリファナ吸うことで頭がいっぱいで(笑)。
町山 生徒のひとりは「私たちは運命に操られる哀れな機械」と言います。
アリ 操り人形ということですね。
町山 映画の中盤はベルイマンというか、ベルイマンから生まれた一連のヨーロッパの映画作家たちの嫌な映画の世界になっていきます。ミヒャエル・ハネケの『セブンス・コンチネント』(1989年)や『白いリボン』(2009年)……。
アリ ハネケも大好きな監督なんですよ。
町山 あと、子供を亡くした両親の地獄という点で、ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』(2009年)。同じテーマでは他にニコラス・ローグの『赤い影』(1973年)もありますね。あと、『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)。死んでしまった息子をめぐって妻が夫を責め続ける拷問のような映画。
アリ たしかに拷問だけど、大好きですよ。「神様、もしもあんたが実在したとしても、離婚したいわ」ってセリフは笑えるでしょ。
町山 本当にユーモアのセンスが歪んでますね(笑)。『ヘレディタリー』でも、あまりにヒドすぎて笑っちゃうセリフがありますね。アニーがピーターに「私はあんたなんかの母親になりたくなかったわ」と言う。あれは映画史上、いちばん言っちゃダメなセリフですよ。
アリ ありがとう(笑)。たしかに母親のセリフとして最悪だね。でも、アニーの本音。だって夢遊病状態だから。夢の中では言いたいことを言えるでしょ。だから彼女は目覚めてびっくりして、ピーターとの関係を修復しようとする。間違ったやり方でね。
町山 あのシーンは『普通の人々』(1980年)と同じくらい嫌でした。
アリ ティモシー・ハットン扮する高校生は、兄と一緒にボートの事故に遭い、兄は死に、自分は生き残ってしまった。でも、メアリー・タイラー・ムーア扮する母親は兄を溺愛していて、弟に冷たくなる。彼はそれが辛くて悩む。
町山 それでも、母親を抱きしめて「愛してます」とキスするんだけど……。
アリ 母親は不快な表情で凍りついて、家を出て行ってしまう。
町山 あれも胸が張り裂けるような痛いシーンでした。
アリ 『普通の人々』のことは、シナリオを書いている最中は頭になかったです。でも、書き上げてから、メアリー・タイラー・ムーアのことを思い出しました。あと子供のころ観てショックだったのは、『キャリー』の母親パイパー・ローリーですね。
町山 娘キャリーに「あの晩、酔った父さんに犯されなきゃ、お前なんて産まなかったのよ!」と言う母親ですね。
アリ でも、すべての人間にとっての原初的な恐怖だと思うんですよ。僕らは母親の胎内に9ヶ月いて、厳しい現実世界に産み出される。その世界で唯一全面的に信じて頼れるものは母親の愛だけじゃないですか。でも、もしそれが信じられないものだったら?
町山 でも、ハリウッド映画ではそういう問いかけはあまりされないですね。母の愛は決して疑うべきでない聖域だから。
アリ その通り。その聖域がもし腐っていたらどうなる? 子供を亡くしたことで壊れていく家族の話そのものはハリウッド映画には珍しくないですが、たいていは絆を取り戻す希望で終わります。でも、僕はそんな映画は作りたくなかった。家族を破壊するほどの巨大な悲しみを描きたかったんです。なぜなら、それは実際に人を引き裂いてしまうことがあるから……。
●悪魔と精神病の物語でもある
町山 ……そんなふうに『ヘレディタリー』の中盤はリアリスティックですが、アニーがこっくりさんをしてから、再びオカルト映画に戻りますね。
アリ 人間が燃えたり、宙に浮いたり、天井に貼り付いたり、リアリティを振り切って悪夢のように暴走し始めます。それが観客に受け入れられるように少しずつ細部を積み重ねていきましたが、同時にそこまでのリアルさに慣れた観客が受け入れられないほど過激にもしたかった。壊れる寸前までぶっ飛ばしたかったんです。
町山 積み重ねについてですが、2度目に観て、最初から周到に伏線が張られていたので感心しました。ベイモンの紋章のネックレスはもちろん、高校の授業中にピーターがチャーリーに体を乗っ取られる時に先生が話しているのはイフィゲニアの話ですよね? トロイ戦争に出陣したアガメムノン王が生贄に捧げた愛娘の。
アリ そうですよ。
町山 イフィゲニアをテーマにしたヨルゴス・ランティモスの『聖なる鹿殺し』(2017年)は観ました? もしかして、大好きでしょ?
アリ 大好きですよ! ものすごくおかしいダーク・コメディで、何度も観ちゃった。本当に気分が悪くなるけど。
町山 はらわたが捻られるような嫌なコメディ。観客へのイジメみたいな。
アリ イジメですね。
町山 だからチャーリーの斬首は事故じゃなくて……。
アリ すべてあらかじめ計画されています。ピーターがパーティに行くとき、その後、チャーリーがぶつかる電柱にベイモンの紋章が刻まれてますよ。
町山 ああ。アニーがセラピーでこう語りますよね。父と兄も自殺したから精神病の遺伝を恐れていると。でも、本当はヘレンの悪魔召喚の実験で殺されたわけですよね?
アリ こういうことです。僕は映画のなかで起こることはまず文字通りに受け取ってほしい。同時にメタファーとしても理解してほしい。だから、この映画は悪魔についての物語であり、同時に精神病の物語でもあります。
町山 タイトルの「継承」は心霊的な継承? それとも遺伝的な継承?
アリ 両方です。人生には自分の意志だけではコントロールできないことがあるんです。遺伝的にガンにかかりやすい人もいるし、糖尿病の遺伝子を持っている人は生活に気をつけなければならない。精神病も同じです。そういう継承の恐怖を映画にしたかった。
町山 なぜですか?
アリ ……でも、同時に純粋にホラー映画としても楽しめるようにしたかったんです。
町山 最後にピーターがベイモンとして戴冠するのは、ハッピーエンドですか?
アリ トラウマが人を完全に変えてしまう、ということのメタファーです。ピーターにとっては悲劇です。チャーリーに乗っ取られるから。でも、教団のヘレンやジョアンはハッピーですね。
町山 アルバムの写真でヘレンが金貨を投げているのは?
アリ ベイモンは富と知恵の神だからです。
町山 なるほど。最後にチャーリーのツリーハウスがまたドールハウスみたいに撮影されていますが、クリスマスになるとカトリックの教会に飾られる、キリストが生まれた馬小屋みたいに見えますね。
アリ アンチ・クライストの誕生だからです。
町山 まさに『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)ですね。エンディングに流れるジュディ・コリンズの「ボス・サイズ・ナウ」のミスマッチにも意表を突かれました。
アリ やっぱり僕の意地悪なユーモアのセンスですね。この歌は呪いから解放についての歌です。
町山 皮肉ですね。
アリ イタズラんですよ。
町山 短編映画『ジョンソン家の奇妙な事実“The Strange Things about The Johnson”』(2011年)も観ましたけど、なんとも居心地の悪いイタズラなコメディですよね。息子がオナニーしてるのを見つけた父親が「誰でもすることだよ」と慰めるけど、息子がネタにしていたのが父親の写真だったという(笑)。
アリ 僕にとって映画作りってイタズラの延長なんですよ。
町山 『ヘレディタリー』は意地の悪いユーモアと同時に、切実さがありますよね。単に創造しただけとはとても思えないリアルさが。
アリ ……真剣につらく救いのない映画を作りたかった……僕自身が、実際に、その……つらい体験をしたからです。僕の家族も。イタズラな映画ですが、僕らが経験した深い悲しみについての映画なんです……。
町山 ……アニーがセラピーとしてドールハウスを作ったように、あなたも自分自身のセラピーとしてこの映画を作ったわけですね。
アリ ……ええ、はい。でも、僕にかぎらず、すべての創作活動はある意味でセラピーだと思います。作者個人は作品のなかに消えてしまうけど、作品は作者にとって、それを作らなければ生きられないライフライン(生命線)なんです。苦しみのカケラを拾い集めて作品にするんですよ。
町山 『ヘレディタリー』は個人的でシリアスでアートシアター向けのテーマを、ホラー映画の形式で作ったことでシネコンで拡大公開されて莫大な収益を上げました。今後はどうしますか?
アリ ホラー映画は大好きですが、それに縛られたくはありません。大事なのは語りたいテーマや掘り下げたいキャラクターであって、それに最適なスタイルを選ぶだけですよ。
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