『パピヨン』ダルトン・トランボが赤狩りの体験を盛り込んだ、不屈の男の戦い! 町山智浩単行本未収録傑作選21
文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2012年10月
「これから諸君らは仏領ギアナの所有物となる」
並んだ囚人たちは宣告される。
「刑期を終えても、懲役8年以上の凶悪犯はフランスに戻ることは許されない。祖国は諸君らを捨てたのだ! 諸君らも祖国を忘れろ!」
1931年、フランスは重罪犯を南米の植民地ギアナに「流刑」にしていた。そこには「最初の1年間で4割が死ぬ」といわれるほど劣悪なサン・ローラン刑務所と、政治犯が島流しになる「地獄島」があった。
そこで13年にわたって脱走を繰り返した男、アンリ・シャリエールが1969年に発表した体験記『パピヨン』が1973年に映画化された。プロデューサーは『リスボン特急』(1972年)などのオールスター大作で知られるフランスの国際的プロデューサー、ロベール・ドルフマンだが、スタッフとキャストはハリウッドから揃えた。監督は『パットン大戦車軍団』(1970年)『猿の惑星』(1971年)などのフランクリン・J・シャフナー。
シャリエールの胸には蝶々の刺青があったのでパピヨン(蝶々)と呼ばれていた。35歳のとき、ポン引きを射殺した罪で、終身刑を宣告され、サン・ローランに送られた。本人は無実だと言うが、真相はわからない。
大西洋を渡ってギアナに向かう囚人船の上で、パピヨン(スティーヴ・マックィーン)はドガ(ダスティン・ホフマン)という囚人に近付く。ドガは国防債権を偽造して、愛国者から金をだまし取ったので、フランス中から憎まれていた。それに金を隠し持っているのは確実なので、いつ殺されるかわからない。でも、知能犯なので腕っ節はからっきし。だからパピヨンが用心棒になってやろうというのだ。
パピヨンの目的はドガの金だった。
「なんのために?」
「脱走するんだ」
バカげた答えだった。サン・ローラン刑務所は脱走不可能と言われていたからだ。周囲はワニだらけの沼地に囲まれ、その外にはジャングル、しかも脱獄囚を殺して賞金を稼ぐマンハンターたちが待ち構えており、脱走不可能と言われていたからだ。しかし、観客は知っている。我らがマックィーンには不可能はない。
スティーヴ・マックィーンは筋金入りの反逆児で、少年院に収監されても脱走をくり返した。『大脱走』(1964年)では第二次大戦中のドイツの捕虜収容所から18回も脱走したクーラー・キング(独房王)役。営倉の中から聴こえてくる、彼がボールを壁にぶつける音は、不屈の魂の鼓動のようだった。パピヨン役に彼以上の役者はいない。
刑務所に着くとすぐに18歳の少年が脱走しようとした。看守は威嚇射撃もなく、いきなりライフルで頭を撃ち抜いた。刑務所の広場では脱獄をはかった囚人が公開処刑された。ギロチンにはねられた生首が転がり血しぶきがカメラに飛び散る。
サン・ローラン刑務所に着いたドガは看守を買収しようとするが、看守もドガのニセ債権で大損した男だった。ドガはパピヨンと脚を鎖でつながれたまま、最も危険で過酷な沼地の開墾作業に送り込まれる。ワニがいきなり襲って来る。マラリアも命取りだ。力尽きた囚人は作業中に死に、その場に埋められる。『パピヨン』は血なまぐさく直接的な描写に満ちている。これは60年代のモンド映画の影響だろうか。
囚人たちはモルフォ蝶の採集を手伝わされる。蝶を買い取りに来た業者にパピヨンは胸の刺青を見せる。「この蝶を運び出すにはいくらかかる?」
脱走にはドガも同行すると言い出した。
「ここにいたら死んでしまう」
翌日、喉を切り裂かれた脱走囚の死体を見て嘔吐したドガを看守が虐待した。パピヨンは看守に立ち向かった。銃で撃たれ、パピヨンは沼に飛び込んで消えた。ドガは衝撃を受ける。
「彼は命がけで僕を守ろうとした。こんな経験は初めてだ」
ドガが生きてきた詐欺の世界は、金がすべてで、誰も信用できなかったのだろう。
パピヨンは捕まり、2年間、独房に入れられる。そこは人呼んで「人食い牢」。なぜならほとんどの囚人が死んでしまうからだ。
「ここの目的はお前を破壊することだ。肉体的にも精神的にも」
そう言って看守長は自分の額を指差す。
「ここ。ここにおかしなことが起るだろう。すべての希望を捨てろ。マスをかくのも控えろ。早く死ぬぞ」
独房は狭く、5歩四方しかない。食事は具のない薄いスープのみ。ゴキブリやムカデが這いまわり、吸血コウモリが血を吸いに来る。何の病気を感染されるかわからない。囚人は1日1回扉から顔を出してチェックを受けるが、栄養失調で次々と消えていく。
ある日、支給された水にココナッツが半分浮かんでいた。一緒に入っていた手紙には「やぶにらみ」と書いてあった。ドガの差し入れだ! パピヨンは友情を噛みしめる。これで死なないですむ!
それも数日後には看守に発見されてしまった。
「ココナッツを入れた者の名前を言わないと、食事を半分に減らすぞ」
パピヨンは白状しない。
「半年間、食事を半分にし、窓をふさげ」
夜も昼もわからない暗闇の中で、パピヨンは夢を見る。彼は裁判にかけられている。
「有罪だ! ポン引き殺しの罪ではない。お前自身の人生を無駄にした罪だ。いちばん重い罪だ」
いっぽう、ドガはシャバに残した女房の手配で、過酷な沼地の作業から、安全な主計係に回してもらっていたが、ココナッツの件がバレたと知ってビクビクしていた。
「きっとパピヨンは僕の名前を白状するだろう。でも、僕は彼を責めない。人の失敗を責めるのは神とガキのすることだ」
暗闇の中でパピヨンは笑っていた。ゴキブリやムカデを食べながら。
「見ろ! 俺は虫を食っても生き抜いてやる!」
しかし、とうとう、栄養失調で奥歯が抜け落ちた。もう限界だった。パピヨンは、壁の穴に隠したドガの手紙を取り出して看守を呼んだ。
「やっと差し入れをした男の名前を白状する気になったか」
満足そうな看守長の顔を見たとき、パピヨンの目が覚めた。こいつにだけは死んでも屈しない! パピヨンは情けない声で言った。
「白状したいんですが……どうしても思い出せないんです」
やせ細ったパピヨンを見て、看守長は目的を達成したと思った。
「こいつ、もう、死んでるな……」
看守長が去った後、パピヨンはドガの手紙を食べる。俺は勝った!
死体のような姿で「人食い牢」から帰ってきたパピヨンを見たドガはただ涙ぐむ。ドガは言っていた。「誘惑に勝てるかどうかで人の価値が決まる」パピヨンの価値はわかった。
映画はこれで半分なのだが、観客の胸に最も深く刻み込まれるのは「人食い牢」でドガを売らなかった部分ではないか? しかし、今回原作を読んで確認してみると、ドガはほんの脇役で、パピヨンとこれほど厚い友情を育てはしなかった。
脚色したのはダルトン・トランボ。彼も無実の罪で獄に繋がれた男だった。
1947年、ダルトン・トランボは、過去にアメリカ共産党に所属していた事実をもって、マッカーシー上院議員による聴聞会に呼び出された。いわゆる「赤狩り」である。トランボたち10人は社会主義運動に関係していた映画人の名前を言うよう命じられたが、彼らは最後まで黙秘を貫いた。そのため、トランボは法廷侮辱罪で11カ月の禁固刑を受けた。刑期を終えた後も、売国奴とされたトランボにはアメリカに居場所がなく、亡命同然でメキシコに移住しなければならなかった。『スパルタカス』(1960年)の脚本で彼の名誉が回復されるまでには13年もかかった。パピヨンが獄中で過ごした年月と同じなのだ!
『スパルタカス』は、ローマ帝国に反逆した奴隷たちの実話だが、トランボは最高に感動的なシーンを作った。ローマ兵は反乱軍に対して、首謀者であるスパルタカスを差し出せば赦免すると言う。仲間を裏切らせようという、赤狩り的なやり方だ。すると反乱軍の1人が「俺がスパルタカスだ!」と立ち上がる。また別の1人が「俺がスパルタカスだ!」こうして、すべての奴隷たちが「俺がスパルタカスだ!」と叫ぶ。それは、赤狩りでハリウッドに裏切られたトランボが夢見た理想だったのかもしれない。
パピヨンはまた脱獄を企む。ドガは参加しない。弁護士の努力で刑期を短縮され、あと2年ほどでフランスに帰れることになったからだ。ところが、ドガはパピヨンを撃とうとした看守を殴ってしまう。もちろん、自分を守ってくれたパピヨンに報いるためだ。
ドガはしかたなくパピヨンの脱走に同行するが、骨折した足首が壊疽になり、切断する羽目になる。そして結局捕まり、パピヨンと共に、絶海の孤島「地獄島」に死ぬまで閉じ込められてしまう。妻はあきらめて、弁護士と再婚した。ドガはパピヨンとの友情のために人生を失ってしまった。
地獄島の船着き場は島にたったひとつしかない。他はすべて断崖絶壁。激しく打ち寄せる荒波、それにサメのせいで、泳いで脱出するのは不可能だ。
だから地獄島には檻も看守もない。囚人は畑を耕して自給自足で生活する。パピヨンもドガも、まだ40代だったが、厳しい刑務所暮らしのせいで、パピヨンは白髪になり、ドガの頭頂部は禿げ、70代に見えるほど年老いていた。おぼつかない足取りの2人がニコニコと話しているさまは、長年連れ添った老夫婦みたいでかわいい。
すべての望みを断たれたパピヨンは、来る日も来る日も、断崖に石を積んで作られたベンチに座って、呆然と海を眺める。そのベンチはかのドレフュス大尉が作ったものだという。
1894年、フランス陸軍のアルフレド・ドレフュス大尉が、敵国ドイツに軍の情報を売ったと濡れ衣を着せられて逮捕された。ダルトン・トランボたちがソ連のスパイとされたのとそっくりな状況だ。ドレフュスは、終身刑を宣告され、悪魔島に送られ、首相から特赦されるまで4年をここで暮らした。
しかし、パピヨンは気づいた。入り江に打ちよせる波は7回に1回、大波になって外海へと流れていく。タイミングを合わせてこれに乗れば、脱出できるかもしれない。
パピヨンは大きな麻袋にココナッツを詰めた筏を作って絶壁にドガを誘った。
「パピ、ごめん」ドガは断った。
「謝ることないさ」
「死ぬぞ」
「たぶんな」パピヨンは薄らと笑う。
「お願いだからやめてくれ」ドガは嘆願する。脱走なんかあきらめてここでのんびり仲良く暮らそう、と。もちろん、それが無駄な願いだと知りつつも。
パピヨンは答える代わりに、ドガを力いっぱい抱きしめた。
そして筏を断崖から海に投げ、ドガのほうを振り向く。ドガは何度も深くうなずく。そうだ、それでこそパピだ、とでも言うように。
パピヨンは宙に舞った。両腕を広げ、まさに蝶のように。
「バカ野郎! 俺は生きてるぞー!」
筏の上に大の字になって、彼は天に向かって叫ぶ。その姿は『暴力脱獄』(67年)で雷雨の中、両手を広げて天に向かって「神様とやら! 存在するなら、その証拠に俺を殺してみな!」と叫んだクールハンド・ルーク(ポール・ニューマン)を思い出させる。獄中でパピヨンが見る裁判の夢のシーンもそうだが、すぐれた脱獄映画は、刑務所を越えて、生きるとは何か、自由とは何か、という実存的問いかけを残す。
ジェリー・ゴールドスミス作曲の哀愁を秘めたパピヨンのテーマが盛り上がる。
パピヨン、いや、アンリ・シャリエールは40時間の漂流後、英領ギアナにたどり着き、1944年、ヴェネズエラで自由の身になった。そのわずか2年後、ギアナの流刑制度は廃止になった。
69年、『パピヨン』でベストセラー作家になったシャリエールは、70年には赦免を受けて39年ぶりに祖国フランスの地を踏んだ。この映画化では顧問として、ギアナでのロケに参加したが、映画公開直前の73年7月にガンで亡くなった。66歳だった。